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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

淡々「タンホイザー」の「準」天覧試合


劇場ロビーのディスプレイ。記念写真を撮る人へのサービス?

新国立劇場が2007年にハンス=ペーター・レーマンの演出で制作した「タンホイザー」(ワーグナー)の6年ぶり2度目の再演を2019年2月6日、同劇場オペラパレスで観た。


いつものように首都高速道路の初台南ランプを出て山手通りに入ると、妙な渋滞が起きていた。なかなか前へ進まない。甲州街道を越え、東京オペラシティ側から劇場の地下駐車場に着いたら、ふだんいない警備員が「地下1階には停められないので、ここへ」と地下2階の端の駐車スペースに誘導してくれた。いくら気温が急激に低下したとはいえ、ここが満車になるのは異例の事態だと思っていたら、劇場に入って理由がわかった。皇太子殿下が鑑賞に来られるので、東宮御所から初台へのスムーズな移動のために首都高の入口規制や山手通りの信号調節、駐車場の利用制限を行なっていたのだ。終演後に駐車場エレベーターを一時停止する旨の張り紙もあった。まだ皇太子とはいえ、間もなく天皇陛下に即位されることが確定しているため、警備レベルが従来より格段に上がったようだ。利用者には多少の不便を強いても、これがオペラの場合、一般聴衆にも多大のメリットがある。準「天覧試合」に備え、ピットに入った東京交響楽団は熱心に音出し。指揮のアッシャー・フィッシュもキャストも晴れやかな表情で現れ、演奏のテンションはいやが上にもどんどん、高まっていく。


何度みても、レーマンの演出はドイツの中堅以上の何物でもない。ヴェーヌスの装置は銀行のATMコーナーに併設されている消費者ローンの無人受付ボックスみたいに無機的で、年配の女性店員と少し頭のおかしいおじさんの客との対話にしか見えない。バレエダンサーが気の毒になるほど美しくないコスチュームとメイクには何度接しても、興ざめしか感じない。半面、手慣れていることも確かで、第2幕の歌合戦のシーン、第3幕の大詰めなどは作品の意図をどこまでも忠実に視覚化するので、後になればなるほど、安心して観ていられる。


この「安心して観ていられる」というのが、実は、当夜の公演のキーワードだった。日本のワーグナー上演は長らく超豪華な外国歌劇場の引っ越し公演か、二期会などの「一作入魂総力戦」のどちらかだった。今回の新国立劇場の上演は、そのいずれにも属さず「レパートリー上演ならではの程よいヌルさ」に満ちており、全く新たなカテゴリーを提示した。題名役のトルステン・ケール、ヴォルフラムのローマン・トレーケルは声楽的なピークを明らかに過ぎているが、その分、日本人歌手との間の段差を感じさせない。ケールは昨年の兵庫県立芸術文化センターの佐渡裕プロデュースオペラ「魔弾の射手」(ヴェーバー)で聴いたときより遥かに持ち直し、「ローマ語り」のヨレヨレ感とか、妙なリアリティーがあった。リート(歌曲)の解釈者としても高い評価を得ているトレーケルもドイツ語の一語一語のニュアンスを非常に克明に、客席へ語りかけるように伝え、「夕星の歌」に深い感銘を与えた。エリーザベトのラトヴィア人リエネ・キンチャ、ヴェーヌスのドイツ人アレクサンドラ・ペーターザマーの女声2人は、ともに大柄な容姿と歌唱。日本人歌手の繊細さの対極にあるが、役には合っていた。このゲスト歌手のランクも初演ではなく、再演の感触を助長する。


ヘルマンの妻屋秀和を筆頭に鈴木准(ヴァルター)、萩原潤(ビーデロルフ)、与儀巧(ハインリヒ)、大塚博章(ラインマル)、吉原圭子(牧童)ら日本人歌手の健闘には隔世の感がある。外国から来演したゲスト歌手の皆が皆、絶賛する新国立劇場合唱団(三澤洋史指揮)も依然として、素晴らしかった。当初よりの力感に、表現の陰影の出てきた気がする。


驚くべきはフィッシュの指揮。これまで国内外で何度も聴き、一度も感心しなかったカペルマイスターなのだが、昨夜は「天覧」効果か、1幕こそ「いつもの彼」だったが、2幕以降は実にスケールの大きな音楽で歌手たちの熱唱を支えた。3幕のピット入りの際には「ブラヴォー」の声がかかったほどだ。初台のピットのワーグナーでは「御難」ばかり続き、本領を発揮できないできた東響も、今回は汚名返上。うねる弦に輝かしい管が乗ってがっつり、ワーグナーサウンドを堪能させた。休憩時間にはNHK交響楽団定期会員の顔見知りに声をかけられ、「いやあ、素晴らしいオーケストラですね」と言われた。


今年は日本のワーグナー上演史に大きな足跡を残し、新国立劇場のオペラ芸術監督も務めた指揮者、若杉弘の没後10年に当たる。昨夜の「再演テンション」に満たされ、どこまでも安心して楽曲に身を委ねられるワーグナー上演のスタンダードが日本主導で実現できた瞬間を若杉が目の当たりにしたら、さぞ、お喜びになったと思う。

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