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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

浅野真弓とクァルテット・エクセルシオのブラームス「ピアノ五重奏曲」を堪能


銀座の真ん中でも終演後は店の灯りが消える

桐朋学園大学とドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州立マンハイム音楽・表現芸術大学(Staatliche Hochschule für Musik und Darstellende Kunst Menheim)で学んだ中堅ピアニスト、浅野真弓から「真嶋雄大さん(音楽評論家)のご紹介で…」と、ご案内メールを頂き、クァルテット・エクセルシオと共演する「ソロ・三重奏・五重奏による名曲コンサート」を2021年3月18日、王子ホールで聴いた。プログラムは別掲の通り。ハイドンの三重奏の弦は西野ゆか(ヴァイオリン)、大友肇(チェロ)が担った。アンコールはドヴォルザークの「ピアノ五重奏曲」の第3楽章。午後7時開演、きっちり9時に終演した。



冒頭のショパン。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)感染症拡大に伴う緊急事態宣言のさなか、天下の銀座でも午後8時閉店だから、終演後の飲食は期待できない。開演前に王子ホールの隣、銀座三越の肉料理「モリタ屋」で早めの晩ご飯をゆっくりいただけたのは良かったとして、食後特有の睡魔を計算に入れ忘れた。ショパンの中で特に有名な旋律が浅野の折目正しい演奏を介して耳に流れ込んだ数十秒後(たぶん「分」の単位までいかない)、あまりの心地よさに意識がトロトロ別世界に飛んでしまい、激しい楽想の「革命のエチュード」が目覚まし時計の役目を果たしてくれた。ごめんなさい!


師事した先生のリストに種田直之、ローベルト・ベンツ師弟の名を見つけ、懐かしさがこみ上げてきた。2011年に77歳で亡くなった種田は長くカールスルーエ音楽大学教授を務め、1970ー1980年代の旧西ドイツで名教師の評価を確立した。1974年のブゾーニ、1976年のリスト=バルトークの両国際ピアノコンクールで第1位を得たベンツは種田の最も有名な生徒で1990年以降、マンハイム音大の教授を務めている。浅野の幾分モノトーナスながら、音楽の内実を一心に掘り下げる趣の音色は、ある時代までのドイツで確実に受け継がれてきた鍵盤奏法の伝統と一致する。ハイドンの古典美を極め、弦との愉悦感あふれる音楽の会話には、室内楽奏者としての適性も良く現れていた。西野、大友も練達の室内楽奏者であり、浅野との音のキャッチボールを嬉々として奏でて、聴く側にも喜びが生々しく伝わった。


後半のブラームスは演奏時間45分の大曲。熱く、深く沈潜する情念、ハンガリー風のエスニックな情趣、大きなクライマックス目がけて激しく燃焼する合奏のスリル…と実に多彩な要素が折り込まれ、最初から最後まで演奏者は気を緩められず、聴衆も必死で食らいつかなければならない。逆に言えば室内楽を奏で、聴く、醍醐味のすべてを集約した傑作である。浅野はエクセルシオの万全の弦楽四重奏に乗り、すでにハイドンで示した室内楽への適性をより一層の集中&燃焼度とともに発揮、ブラームスの創造した世界を克明に再現した。楽曲のクオリティに照らし合わせ、なかなか満足のいく実演に接する機会の少ない難物を心ゆくまで楽しみ、ショパンでの惰眠とは全く異なる類の陶酔感を得られたのは収穫だった。

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