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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

河村尚子と山田和樹&N響の矢代秋雄「ピアノ協奏曲」、昭和の匂いを払拭


「フィルハーモニー」4月号の拙稿

2019年4月20日。ピエタリ・インキネン指揮日本フィルハーモニー交響楽団のヨーロッパ公演凱旋の定期演奏会2日目マチネは、スポンサー主催イベントでのツアー報告、開演前のサントリーホール舞台上でのプレトークまでにて「やり逃げ」。車をそのまま渋谷区営駐車場へと走らせ、NHKホールのNHK交響楽団第1910回定期演奏会(2日目)に駆けつけた。


指揮は日本フィル正指揮者の山田和樹。N響定期は3年3ヶ月ぶりの登場だ。前半が第二次世界大戦の直前と直後にパリへ留学、奇しくも46歳の享年も同じくする2人の日本人作曲家、平尾貴四男の「交響詩曲《砧》」と矢代秋雄の「ピアノ協奏曲」(独奏=河村尚子)、後半がシェーンベルクの「交響詩《ペレアスとメリザンド》」。全く偶然ながら、今年はシェーンベルクの作品を1972年に日本初演した指揮者、若杉弘の没後10年でもある。


N響の定期会員誌「フィルハーモニー」4月号では「今月のマエストロ」の山田についての部分、「オーケストラのゆくえ」シリーズ最終回(第23回)でのライナー・キュッヒルのインタビューの2つ、私の原稿が載っている。山田の選曲に対するセンスについて少し、書かせていただいた。


世阿弥の能楽作品「砧」に基づく1942年の平尾作品は「砧を打ちながら、留守宅で夫の帰りを長年待っている女性の情念や悲しい感情」(野平一郎氏の楽曲解説による)を表現した部分で戦時中の作品と捉えることも可能だが、実際の音からはモダニズムの洗練を強く感じた。矢代の協奏曲は1967年11月に中村紘子の独奏でまず若杉弘指揮の放送、次いで森正指揮のN響演奏会と二段構えで初演された。中村は後々まで弾き続け、私も何度か接した。


中でも印象深いのは1980年代半ば、広島に転勤していた時期に地場スーパーのイズミをスポンサーに企画された渡邉暁雄指揮広島交響楽団のニューイヤーコンサートだ。テレビCFで「カレーのおばさん」と親しまれた人気ピアニスト、広響音楽監督に招かれた芸術院会員の巨匠指揮者の組み合わせは当然話題を呼んだ。J・シュトラウスの「こうもり」序曲とチャイコフスキーの「悲愴」交響曲は名曲冠コンサートの定番だが、ピアノ協奏曲にはショパンでもチャイコフスキーでもラフマニノフでもなく、矢代秋雄を持ち込んだ。2人の丁寧な解説が功を奏したのか、ほとんどが普段クラシックとは疎遠なスーパー社員、店頭の抽選で当たった主婦たちでぎっちり埋まった客席は矢代の強烈な音楽に、魅了され尽くした。


懐かしい昭和の記憶である。2度の石油危機も乗り越え、日本経済が最後の絶頂を目指して繁栄していた時代だから可能な「賭け」だったのかもしれない。しばしば矢代の演奏困難で手をいため、バンドエイドを指に巻いた中村の体当たり演奏は、小澤征爾がスクーターに日の丸を立ててヨーロッパへ「音楽武者修行」に出たり、16歳の中村がN響初の世界一周ツアーに同行し振袖姿で協奏曲を独奏したりした「ニッポン元気時代」の光景の1つだった。その後、岡田博美や野原みどりらの独奏で矢代を聴き、かなり違う印象に戸惑いを覚えた。


今回、河村と山田の演奏はそうした戸惑い、モヤモヤを完全に払拭した。めくりやすいように工夫した自作の譜面を携え、三宅一生のプリーツプリーズの動きやすい衣装、ポニーテールの髪型で颯爽と現れた河村は1音たりとも疎かにせず、矢代の痕跡の克明な再現を冷静に進めていく。山田がN響から引き出したのもダイナミックレンジを大きくとりながら、音のエッジをきっちり立てるウルトラモダンの響きだった。両者による徹底した「再考」作業に立ち会い、メシアンらフランス系の影響ばかりを指摘されがちな矢代の音楽が、実はとてつもなく日本的な芯の太さを備えていたことに気づかされた。こんなにガッシリした作品だったとは! 河村はアンコールに本来ピアノ連弾の小品(矢代と中村の演奏の画像が残っている)を岡田博美がソロ用に編曲した「夢の舟」を弾き、矢代の別の一面もきちんと伝えた。河村がドイツから日本へ逆輸入される形で注目を集めたころ、いち早く評価した1人が中村で、「あの人のピアノには『品格』があって、素晴らしい」と私に漏らしたことがある。


昨日はインキネンと今の日本フィル楽団員がついに「渡邉&日フィルのシベリウス」の先を行く新しい演奏様式を確立するに至った、と書いた。今日は河村と山田が「紘子節の矢代」を乗り越えた。昭和の濃い味わいは平成の長い時間を経て洗い流され、若い世代の演奏家たちが令和の時代に向け、より洗練された次元の音楽を奏で始めたように思う。自分は昭和と平成をちょうど30年ずつ生きたので、令和まで30年も生き長らえる自信はないけれども、こうした新しい演奏解釈の展開に1つ1つ、立ち会える幸せを早くも実感している。


後半のシェーンベルクは指揮者、オーケストラとも熱演だった半面、かつてミヒャエル・ギーレンやレイフ・セーゲルスタムらの指揮で聴いた記憶に比べると、分析の刃の切れ味が今ひとつ甘い気がした。山田とN響が共演を積み重ね、山田自身の譜読みも一段と深まれば、さらに上の水準の達成は「それほど難しいことではない」との期待も、同時に抱いていた。

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