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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

桐山建志と小倉喜久子の新鮮な音で聴くベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ


地味だけど忘れてはいけない

急な誘いを受け、桐山建志(ヴァイオリン)と小倉喜久子(フォルテピアノ)が昨年から続けてきた3回連続の「ピリオド楽器で聴くベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ集」の最終回を2021年10月18日、東京文化会館小ホールで聴いた。当初の番号順を変え、前半に「第9番《クロイツェル》」、後半に「モーツァルト《フィガロの結婚》の《伯爵様が踊るなら》の主題による12の変奏曲WoO.40」と「第10番」を弾いた。アンコールは後年のフリッツ・クライスラーによるトランスクリプションの旋律の方が今や有名になってしまった「ロンドWoO.41」で、「《フィガロ》変奏曲」との一貫性を持たせた。我ながら最初に書くのもどうかと思うが、これほど高水準の演奏会の客入りがあまりにも少なくて、気の毒になってしまった。東京文化会館も今夜は大ホールの公演がなかったため、終演後に出たところで知人と立ち話をするうちに施錠&消灯と、一抹の寂しさが漂う。


日中、映画を観に行ったりジムで泳いだりで頑張り過ぎたのか、最初はピリオド楽器の柔らかい響きの心地良さが思わぬ方向に作用してしまい、しばしば意識が遠のいた。よくよく考えれば、《クロイツェル・ソナタ》をピリオド楽器の実演で聴いた記憶がない。冒頭からガンガン攻めてくるソナタで、名だたるモダン楽器のヴィルトゥオーゾ(名手)の名演を数え切れないほど聴いてきたので、最初はあまりに威圧感なく、音量も控えめな展開に違和感を覚えた。だが耳が音量にアジャストするうち、ピリオド楽器ならではのデリケートな再現を通じて得られる情報量の多彩さに惹きつけられていく。とりわけ第3楽章の変奏のニュアンス豊かさは出色で、このような感触・気分で《クロイツェル》を聴いたのは初めてだった。


後半。《フィガロ》変奏曲を実演で聴くのも初めてだったが、初期(20歳頃)の作品だけに今日の楽器選択とのマッチングもよく、おしゃれで楽しい音楽を聴いた。アンコール前のトークで桐山が「ベートーヴェン全体としては中期ですが、ヴォイオリン・ソナタでは最後の作品で、後期の《ミサ・ソレムニス》に匹敵する世界を感じさせます。やはり《クロイツェル》より後に弾くべきだと考え、演奏順序を変更させていただきました」と話した通り、J・S・バッハからモーツァルトに至るヴァイオリンと鍵盤楽器のためのソナタの歴史を踏まえつつ、全く新しいバランスと表現手法の領域を開拓したベートーヴェンの「第10番」。鍵盤楽器主導で「クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ」と呼ばれた時代以来のソロ&オブリガートの頻繁な交替の鮮やかさ、アレグロが象徴する軽やかさ(Leichtigkeit)、スケルツォからフィナーレに移る場面の細やかさ、アレグレットのフィナーレとフォルテピアノの音の相性の傑出した良さなどなど、非常に味わい深い再現を楽しんだ。

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