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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

東海学園名物教師ゆかりのオペラとヴァイオリン〜日生「ヘングレ」と西村尚也


一見脈略のない「ハシゴ」ながら、実は…

毎年夏が近づくと母と2人、たいがいは往復葉書の抽選招待による音楽劇やサーカス、映画などに出かけたころを思い出す。当時の言葉を引っ張り出せば「情操教育」。良質の芸術との出会いは往々にして、学校の正規カリキュラム以外の地点に用意されている。若いときからクラシック音楽や芝居の愛好者で、働きながら数多くの公演に足を運んでいた母の存在を抜きにして、今の自分はあり得ない。最初に聴いた音楽や舞台の質が、一生を左右する。


名古屋市にある中高一貫教育(現在は大学も設置)の名門私立校、東海学園で2017年まで英語を教え、自身もアマチュアのフルート奏者である西村尚登氏は東京出身ながら、中京圏のアマチュアオーケストラ界でつとに知られた名物教師だった。東海学園交響楽団の顧問を長年つとめ、入学前に楽器を習っていた、いないに関係なく希望者を募り、「放牧」方式で育て続けた。一般企業へ就職後も弾き続ける卒業生は多く、名古屋のアマオケ文化興隆の礎となった。2011〜2012年には東海学園出身者を中心に複数のアマオケが参加する「名古屋マーラーフェスティバル」を行い、すべての交響曲を演奏。最終回には西村氏の成城学園中学の先輩に当たる井上道義を指揮に招き、第8番「千人の交響曲」の合同演奏を成功させた。ある年、東海学園交響楽団がマーラーの長大な交響曲に挑むと決めたとき、大学受験を控えた高校3年の団員たちが辞退を申し出ると、西村先生は一喝した。「ばかやろう、大学は何度でも落ちることができるが、アマオケでマーラーを弾ける機会なんて、一生に1度か2度しかないんだぞ!」。全員参加の結果、この年は大量の浪人生が出たという。


2019年6月20日。私は昼に日生劇場で「ニッセイ名作シリーズ2019」のオペラ「ヘンゼルとグレーテル」(フンパーディンク)、夜にムジカーザで「西村尚也(ヴァイオリン)&アンドレア・バッケッティ(ピアノ)デュオ・リサイタル」を聴いた。オペラを指揮した角田鋼亮は東海学園出身で西村氏の薫陶を受け、東京藝術大学大学院からベルリン芸術大学へ進んだ。「名古屋マーラーフェスティバル」でも「交響曲第1番」の指揮を「花の章」付きで担当していた。ヴァイオリンの西村尚也は西村氏の長男。東京藝大在学中にドイツのマインツ音楽大学へ留学、現在は同地のラインラント=プファルツ州立フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターを務めながら、ソロ活動を行なっている。サイトウ・キネン・オーケストラのメンバーでもある。会場に着くまでは気づかなかったのだが、昼も夜も「西村イズム」の強烈な指導の下、世界に羽ばたいた若手演奏家の「今」を聴く1日となった。


角田の芸風は先日、日本フィルハーモニー交響楽団との共演を「品性たしかな音楽」と評した。新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮した「ヘングレ」は中高生対象の昼公演ながら、ワーグナーのアシスタントだったフンパーディンクのスコアの特徴を的確に踏まえ、前奏曲からフィナーレまで弛緩なく、すっきりと振りおおせた。もう少し音に厚みがあればとも思ったが、劇場の音響特性やオーケストラの持ち味、若手中心キャストの声とのバランスなどを考慮した現場判断がかなりあったようだ。何より音楽劇への適性、劇場での現場感覚に秀でているので、今後は「便利な若手指揮者」を卒業、日本を代表するオペラ指揮者に飛躍してほしいと、切に願う。若い観客の現代感覚に直接訴える広崎うらんのダンサブルな演出、若く活きのいい歌手たちの中で1人、藤原歌劇団のベテランテノール角田和弘が当たり役の魔女でマツコ・デラックスを思わせる怪演を披露し、子どもたちの喝采を浴びていた。全体のコージーな雰囲気は、私が小学校6年生で「ニッセイ名作ミュージカル」、劇団四季の「オズの魔法使い」に杉並区内の学校から貸切バスで生まれて初めて日生劇場へ出向き、音楽劇への夢を大きく膨らませたときの舞台に何となく似ていて、懐かしかった。



夜の西村尚也&アンドレア・バッケッティのデュオにもまた、初めて音楽を聴く瞬間の衝撃のようなものが満ち溢れていて、驚いた。曲目は右に掲げたプログラムの通り。アンドレアの録音したJ・S・バッハのCDに感動した西村が2年半前に自身の録音を送り共演を願い出たところあっさりOKが出て、以来、共演を重ねているという。ドイツの名門オケのコンマスという肩書きから、西村に堅実な室内楽奏者を期待すると、激しい肩透かしを食らう。すでに2年前、東京芸大音楽学部附属高校の同級生のハープ奏者、高野麗音とのデュオに同じムジカーザで接した時点から、西村が「悪魔のヴァイオリニスト」で超絶技巧曲の作曲家パガニーニに傾倒、自身も並外れたヴィルトゥオーゾ(名手)である実態を知っていたのでイタリアの鬼才、バッケッティとの共演には大きな期待を抱いていた。結果は予想以上。西村の揺るぎない造形が次第に熱を帯び、熱狂から陶酔へと上り詰めていくかたわらで、アンドレアは十分に音楽を感じ、ほとんど指を鍵盤から離さず、完璧な脱力の自由自在の打鍵から多彩な音色を繰り出して丁々発止の「会話」を続ける。ペダリングもユニークながら、必要な場面以外はノンペダルで通す。2人とも作曲家の時代や様式に応じて巧みに音色を切り替え、自分たちよりも作品を際立たせる姿勢で一致した。とりわけ、ラヴェルのソナタにおける当意即妙、瞬間瞬間の即興性にあふれたピアノの動きは未だかつて、聴いたことのないものだ。もちろん、西村の無伴奏は「パガニーニもかくや」と思わせる迫真の名演だった。


角田鋼亮と西村尚也。この2人を育てただけでも西村尚登先生、十分にすごい!







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