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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

日生劇場「トスカ」、お友達世代の忖度


新天皇陛下の即位記念パレード当日の2019年11月10日、日生劇場に「ニッセイ名作シリーズ2019」のオペラ「トスカ」(プッチーニ)を観に行った。日比谷通りには警官がたくさんいて、一種独特の雰囲気だった。劇場では、小林玉夫さんと10数年ぶりに出会った。元日本生命役員、東京オペラシティ文化財団初代理事長を務めた方で1930年生まれ、「もう90歳近くなりました」と、笑われた。機関投資家の取材を担当していた1987年当時は本社の専務で直接の取材先。私の勤務先の出版部門からはその名もずばり、「生命保険の知識」(日経文庫、1976年)というハウツー本を出し、よく知られた存在だった。いつしか小林さんも自分も、活躍の場を経済から音楽に移し、今こうして10数年ぶりにオペラの客席で再会する。日生劇場に生まれて初めて足を踏み入れたのは小学生時代、「ニッセイこどもミュージカル」の枠組みで劇団四季に委託していた「オズの魔法使い」を観にきた時でもう、50年前になる。さらに「トスカ」は大学生時代の1979年、最初に大枚を投じて観た海外歌劇場引越し公演(コヴェントガーデン王立歌劇場)の演目(フランコ・ゼッフィレッリ演出、コリン・デイヴィス指揮、モンセラート・カバリエ主演)で、すでに40年が過ぎた。


きょう観た演目の批評の前置きにしては延々、昔話を書き連ねたと思うなかれ! 眼前の光景に何らかの不満や不足を覚えたとき、人は過去の記憶と照らし合わせ、何が問題なのかを思考する「人力検索エンジン」の作用で、どうしてもレトロスペクティヴになる。「トスカ」自体を振り返れば、世界初演は1900年と19世紀から20世紀に替わる年。プッチーニは以後、日本という当時全くの別世界を舞台にした「蝶々夫人」、唯一のコメディである「ジャンニ・スキッキ」を含む3部作(他は「外套」「修道女アンジェリカ」)、米メトロポリタン歌劇場からの委嘱にちなみ当時最先端の表現メディアであった映画の手法を作劇術(ドラマトゥルギー)に逆流させた「西部の娘」、ウィーンから「オペレッタ風の作品」と依頼された「つばめ(ロンディネ)」、同時代のR・シュトラウスやベルクら最先端の音楽に急接近した未完の大作「トゥーランドット」と、かなり〝ぶっ飛んだ〟5作だけを書いている。逆算すれば、「トスカ」はプッチーニと同時代人にとって「正調イタリアオペラ」の終着点に位置する傑作である。ベルカントもヴェリスモも統合して、主役3人の男女の凄惨な愛と死のドラマをエネルギーの激しい奔流に託し、とことん描くのが再現の王道のはずだ。


確かに粟國淳の演出は奇を衒わず、「ローマ絵葉書オペラ」と揶揄されることすらある3幕それぞれの光景をイタリア調の美しい色彩、落ち着いた動きで提示した。だが、細部の詰めは甘い。第2幕の開始と終了で指揮と照明、緞帳の上下のタイミングがずれたり、スカルピアを刺殺したトスカの退場後に舞台スタッフが突然ドアを開けてしまったりの事故は仕方ないとしても、ダークな愛の物語にもかかわらず指揮者とピットへの照明が過剰に明るい代わり、トスカがスカルピア殺害後に備える十字架に光が当たらなかったり、基本プリマドンナオペラの体裁なのに、主役の顔にきちんと照明が当たらなかったりと、演出の意図なのか、単なるアクシデントなのか、よく分からない瞬間が多々あった。「トスカ」の上演会場としては小ぶりの日生劇場の特徴を逆手に取り、回り舞台を多用したい装置家の気持ちはわかるし、巨大劇場では得られない味わいがあったのは確かだが、余りに頻繁な移動はドラマへの集中を削ぐ。いちばんの聴かせどころ、トスカのアリア「歌に生き、愛に生き」を舞台中央ではなく、上手ぎりぎりの壁際で歌わせた意図も不明だ。スカルピアの殺し方にしても、胸をチョンと刺すだけでは死なない。イタリアの名バス歌手、ルッジェーロ・ライモンディに「正しい殺され方」をインタビューで直接質問したら、「まず下腹部を思いっきり刺し、そのままナイフを上にグッと引き上げるのが解剖学的にも正しい殺し方だ」と教えられた。


読売日本交響楽団を前にした園田隆一郎の指揮も得意のロッシーニ、あるいは藤沢市民会館のアマチュアオーケストラとの「トスカ」とは勝手が違うのか、今回は物足りない。上手なオーケストラだからソツなく弾いてはいたが、それ以上に、指揮者の「持っていく」瞬間があまりにも少ない。カヴァラドッシの「妙なる調和」こそ少しの拍手が割って入ったものの、「歌に生き、愛に生き」もカヴァラドッシの「星も光りぬ」も管弦楽をオリジナル通りに管弦楽を切れ目なく奏したため、拍手の機会を逸した。それは演出家、指揮者がドラマトゥルギーを重視した結果の措置だったと聞いたが、個の「否定」、それがきついとしたらアンサンブル志向の「過剰」が、個々のキャストの歌唱と演技の矮小化を招いたのは確かだ。みな仲良く、誰もリスクを取りたくないし傷つきたくもないという「忖度」の果て、本来は100%か120%か出さなければ伝わらない「トスカ」の世界が、絶えず70〜80%のセーフティーゾーンでリミッターをかけながら進行していく現場に立ち会うのは、つらかった。


前夜、テレビで私と同い年の大ソプラノ、佐藤しのぶの追悼番組を視て改めて大輪の花の「濃さ」を思った。我々は1947〜49年生まれの団塊世代(ベビーブーマー)とその子どもたち(団塊ジュニア)の谷間に生まれ育った「少なめ」世代で、上下の人口過剰に押し潰されまいとひたすら濃度アップに努めてきた。オペラとジャーナリズム、仕事の舞台は違っても、団塊とジュニアたちに埋もれないよう個性に徹底的に磨いた世代だから、周囲との衝突は当たり前と考えている。ところが団塊ジュニア以降、日本の国力も経済力も下降線をたどるなか、残された資源を皆で分かち合う「お友達」感覚が次第に前面へと躍り出て、言いたいことを言わずトラブル回避を最優先する「忖度文化」が急速に広まった。演出家、指揮者、歌手、舞台スタッフのすべてが仲良しチームでいる限り、この程度の緊張感が関の山かと思い知り、個々の歌手の頑張りには申し訳ないが、かなり複雑な思いで劇場を後にした。

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