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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

日本の若手〜中堅の高い意識に感心した

今月のパフォーマンス・サマリー(2023年2月)


ほぼ連日の驚き

コラボレーション。コラボと略され、共同作業を意味するが、そこに予期以上のプラス効果が発生すればシンセシス(合成)、ケミストリー(化学反応)に昇華する。2月の演奏会では若手から中堅にかけての世代の演奏家が独自の視点でコラボを企画、目覚ましい成果を上げた。


チェロの宮田大は多様性=diversityを意識した年1回のシリーズ「Dai-versity」を第一生命ホールで始めた(26日)。自身の無伴奏(コダーイ)の前後に箏のLEOとのデュオで吉松隆の尺八と二十弦箏のための作品のチェロ版、今野玲央(LEOの本名)の新作、最後に人間国宝・桐竹勘十郎とJ・S・バッハ、黛敏郎。2度の休憩と宮田の親しみやすいトークを交え、きっちり2時間に収めた。ピアノの北村朋幹はソロ・リサイタルを装いつつ、ホリガー作品ではザルツブルクの夭折詩人トラークル、ノーノ作品では有馬純寿のエレクトロニクスから流れるポリーニの残像との対話を繰り広げ、コラボ「のような」感触を与えた(25日、東京文化会館小ホール)


室内楽は元々がコラボだが、例えば1月から2月にかけてベルリンと日本を往復したベルリン・フィルハーモニー首席ヴィオラ奏者アミハイ・グロス(1979年エルサレム生まれ)の場合、自身がメディア(媒体)と化し、日本の様々な音楽家たちとのコラボを通じ、底知れない才能を明らかにした。トゥガン・ソヒエフ指揮NHK交響楽団定期(1月25日、サントリーホール)でバルトークの「ヴィオラ協奏曲」を弾いた後に同じ作曲家のヴィオラ二重奏曲をN響首席の佐々木亮とアンコール演奏、同じ曲を愛知室内オーケストラ(ACO)第50回記念定期(2月23日、名古屋・しらかわホール)でシューベルト「アルペジョーネ・ソナタ」(シュタインベルク編の弦楽合奏版)を独奏した後はACO弦楽器アドヴァイザーの川本嘉子と弾いた。グロスは「アルペジョーネ」を27日の東京文化会館小ホール、三浦謙司のピアノでも弾き、後半のショスタコーヴィチ「ヴィオラ・ソナタ」でラリーを完走した。


ピアノの江﨑萌子、ヴァイオリンの石上真由子それぞれの名前のイニシャルに因む室内楽の企画「M&M」vol.4(28日、早稲田奉仕園スコットホール)はヴァイオリン=水谷晃、戸澤采紀、ヴィオラ=安達真理、チェロ=西谷牧人の弦楽四重奏団と共演、演奏機会が滅多にない名曲のショーソン「ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のためのコンセール」に水際立った冴えをみせた。アンコールのコルンゴルト「歌劇《死の都》から《マリエッタの歌》」も同じ編成の優れた編曲で、とりわけチェロの西谷のパートが「おいしい」感じに思えた。


だが究極のコラボは14日、品川区立五反田文化センターで聴いたロシア人ピアニストのアレクセイ・ググニン(1987〜)、ウクライナ人ヴァイオリニストのアレクセイ・セメネンコ(1988〜)のデュオ・リサイタルだった。ともに一級のコンクール歴を持ち世界の一線で活躍、ロシアのウクライナ侵攻前から面識もあった。ググニンは侵攻をSNSで批判した当日にモスクワを去り、現在はクロアチア在住。セメネンコはドイツの音大で教える。すべてを超越、音楽の純度だけを極めるデュオを聴きながら、実に多くのことを考えさせられた。


オペラの分野でも、2つのコラボを体験した。イングリッシュ・ナショナル・オペラ前総裁の米国人ダニエル・クレーマーが演出した東京二期会の《トゥーランドット》(プッチーニ)はデジタルアートのチームラボとのコラボレーション。東京文化会館大ホール(私は24日を鑑賞)には珍しいイリュージョンが広がる中、ディエゴ・マテウス指揮新日本フィルハーモニー交響楽団がルチアーノ・ベリオ補筆版のスコアを丁寧に鳴らし、日本人歌手のアンサンブルが健闘した。特に土屋優子の題名役は収穫。ジェンダーやディストピアといったキーワードの社会的視点、シェイクスピア劇を思わせる演劇の感触も伴い、普段ミュージカルや映画しか観ない人が来ても「オペラも案外、面白いじゃない」と思わせるアプローチ、自分は支持する側に回る。


もう1つは岩田達宗が演出した日本オペラ協会の《源氏物語》(三木稔)。20年あまり前に英国人コリン・グレアムが台本を書き、米セントルイス・オペラで世界初演した作品の日本語版(作曲者自身が同時に作成)初演。多くの女性を相手にした光源氏に対する「原罪」「没落」「贖罪」といった視点はキリスト教的といえ、光クンが和製「ドン・ジョヴァンニ」みたいになった一方、伝統楽器を多用したスコアはどこまでも日本およびアジアなので、ドラマがなかなか盛り上がらないもどかしさはある。それでも《源氏物語》自体の集客力は抜群で、あの大きなオーチャードホールが2日間完売したのだから凄い。私が観た18日の光源氏役は岡昭宏(バリトン)で、ほぼ出ずっぱりの長丁場を持ち前の美声で完璧に歌い切った。指揮の田中祐子も東京フィルハーモニー交響楽団を精妙にコントロールしていた。


新国立劇場ではハンス=ペーター・レーマン演出《タンホイザー》(ワーグナー)、ジョナサン・ミラー演出《ファルスタッフ》(ヴェルディ)の再演が並行して行われ、ともに東京交響楽団が管弦楽を担った。指揮者の力量や演出の優劣もあって《ファルスタッフ》、とりわけ題名役ニコラ・アライモ(バリトン)の傑出した演技が強い印象を残したが、もともと演奏会が主体の東響がワーグナー、ヴェルディを交互に演奏し、スタンダードと呼べる水準を保てるようになったこと自体、一つの大きな収穫だと思った。5日には本拠のミューザ川崎でイタリアの新人指揮者アレッサンドロ・ボナートと共演、《ファルスタッフ》も担当した28歳のコンサートマスター、小林壱成がR=コルサコフ《シェエラザード》のソロを初めて手がけ、深い音楽を聴かせた。


オーケストラではヤクブ・フルシャ指揮N響2公演(15日のBと10日のC定期)、坂入健司郎指揮日本フィルハーモニー交響楽団(6日=都民芸術フェスティバル)、マティアス・バーメルト指揮札幌交響楽団東京公演(9日)、鈴木秀美指揮神戸市室内管弦楽団東京公演(13日)、セバスティアン・ヴァイグレ指揮読売日本交響楽団(17日)、山下一史指揮ACO第50回定期(23日)、ミハイル・プレトニョフ指揮東京フィル(24日)も聴いた。フルシャ、プレトニョフの凄い進境、バーメルトの渋い巨匠芸、また新たな扉を開いたヴァイグレ…などなど、それぞれに聴きどころ満載。読響の金川真弓(ヴァイオリン)、日本フィルの北村陽(チェロ)、N響のピョートル・アンデルシェフスキ(ピアノ)、東京フィルのイム・ユンチャン(同)、ボナート指揮東響の金子三勇士(同)、札響のカール=ハインツ・シュッツ(フルート)と吉野直子(ハープ)、ACOのグロス(ヴィオラ)ら、ソリストも稀にみる充実ぶりを示した。


ソリストのリサイタルでは藤田真央(ピアノ)の「モーツァルト全曲演奏会」完結編(7日、王子ホール)、今年80歳の今井信子(ヴィオラ)と伊藤恵(ピアノ)のデュオ(12日、東京文化会館小ホール)のインパクトの大きさも忘れてはならない。昔は閑散期だった2月も、今や充実の日々に一変した。



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