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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

新日本フィルも楽員ソリストで定期再開


ブルーローズ(小ホール)はまだ、お休み中。

新日本フィルハーモニー交響楽団は2020年7月2日、東京フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団に続き、サントリーホールの定期演奏会(第621回・ジェイド)を再開した。外国人指揮者の来日不可能に伴い下野竜也が指揮、首席チューバ奏者の佐藤和彦をソリストに立てた。他のオーケストラと同じく、最初の楽員が舞台に現れ、最後に入ったコンサートマスター(豊嶋泰嗣)がチューニングを促すまでの間、拍手が続く。下野は右手に白い手袋をして現れ、同じ手袋の豊嶋と固い握手を交わした(手袋を外して演奏開始)。前半はイギリス音楽でフィンジ「弦楽オーケストラのための前奏曲」とヴォーン・ウィリアムズ「チューバ協奏曲」。後半はベートーヴェン「交響曲第6番《田園》」。穏やかな自然観照の世界観を共有し、疲れた人々の心に滲みいる音楽で見事にまとめたプログラムだ。


下野は2000年に東京国際音楽コンクール「指揮」、翌年にブザンソン国際指揮者コンクールに連続優勝(沖澤のどかと同じパターン)して一気に表舞台へ躍り出たにもかかわらず、国内では補佐役ポストに甘んじ、2017年に広島交響楽団の音楽総監督に就いて初めて「マイ・オーケストラ」を手に入れた。以後は持ち前の企画力がフルスケールで回転、音楽の恰幅も見違えるようによくなった。今回の「田園」でもウィーン留学時に得たであろう音の流れや色を前面に出し、長く「日本的指揮」の欠点とされた「(スコアの)縦の線をきっちり合わせるチョッピー(ぶつ切り)演奏」ではない、横の流れを重視した音楽に徹していた。


豊嶋の鉄板リードの貢献も大きく、新日本フィルの弦がこれほど美しく豊麗に鳴るのは実に久しぶりだ。惜しむらくは1972年楽団分裂時の後遺症もあって「弦の日フィル」「管の新日フィル」と長く認識され、新日本フィルの売りだった管楽器が世代交代の過渡期にあるようで、新入りの多い木管は〝おっかなびっくり〟、高齢化の進む金管は精彩を欠く状況が感知されたのは少し、残念だった。こればかりは時間が解決する問題なので、しかたない。興味深かったのはソシアル・ディスタンシング(社会的距離への配慮)で第3楽章から、第4楽章から…と、管楽器奏者を出番に応じて途中入場させたこと。終演後の歩道では年配の男性定期会員2人が「あそこまで管楽器の飛沫リスクを管理することになると(大編成の)マーラー、ブルックナーを聴けるにはまだまだ、時間がかかるな」と、ため息をついていた。


チューバ首席の佐藤は柄物のシャツにタイトなパンツの衣装で、意外に長身でかっこいい。ふだん地味な位置の楽器の奏者をソリストに抜擢すると、全く別の輝きを放つ。どこか日本民謡に通じる牧歌的な響きのRVWの協奏曲を確かな技巧、艶やかで温かな音色で鮮やかに再現して聴衆、同僚の双方から熱烈な喝采を浴びた。お茶目な下野は突然、指揮台に置いていた団扇(うちわ)をかざした。両面に「ブラボー!」と、2色の色違いで書かれていた。アンコールは同じ作曲家の「イングランド民謡による6つの習作」。これも見事だった。


オーケストラにも「田園」のあと、アンコールがあった。J・S・バッハの「管弦楽組曲第3番」の「アリア」(「G線上のアリア」と呼ばれる旋律)。弦楽合奏は弦楽合奏でも、楽器の使い方と響きが微妙に違う。レオポルド・ストコフスキーの編曲版だった。下野らしい気の利いた幕切れだったが、大ホールで久しぶりに聴く「アリア」は、本当に美しかった。鳴り止まない拍手。下野と豊嶋が再び舞台に出て深々と頭を下げ、21時過ぎに終演した。

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