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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

新国立劇場「夏の夜の夢」と読響「峡谷から星たちへ」、20世紀後半の煌めき

更新日:2020年10月8日


ブリテンとメシアン〜久びさのヘタ似顔絵

私は1958年9月24日に生まれた。英国のベンジャミン・ブリテン(1913ー1976)がオペラ「夏の夜の夢」(もしくは「真夏の夜の夢」)をオールドバラ音楽祭で初演したのは1960年6月11日、フランスのオリヴィエ・メシアン(1908ー1992)が米国の声楽家で篤志家アリス・タリーの委嘱によるピアノと管弦楽のための作品「峡谷から星たちへ」をニューヨークで初演したのは1974年11月20日。すべては20世紀後半の出来事だ。アメリカ合衆国ではケネディ大統領当選からニクソン大統領が「ウォーターゲート事件」で辞任するまでの14年間、世界は旧ソ連主導の社会主義と米国主導の資本主義の「東西冷戦」で分断されベトナム戦争も泥沼化、1968年には学生たちの抵抗運動が燎原の火のように広がった。政治の季節を背景に生まれたブリテン、メシアンの傑作は世の中の喧騒とは無縁の静けさを基調とする。そこに籠めた作曲家の思いは複雑に違いなく21世紀も5分の1が経過した今、遺されたスコアから、より多くのメタファーを読み解くことも可能だろう。熱い時代が生んだクールな2作と改めて向き合い、20世紀後半の創作の煌めきに圧倒される思いがした。


新国立劇場オペラが2020/21年シーズンの幕開けに制作した「夏の夜の夢」は5回のうちの2日目、10月6日の公演を同劇場オペラパレスで観た。大野和士オペラ芸術監督の古巣ブリュッセルのモネ劇場が制作したデイヴィッド・マクヴィガーの原演出にレア・ハウスマンが新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策の「演出・ムーヴメント」を施し、日本側スタッフとリモートで協働した「ニューノーマル時代の新演出版」と銘打った。指揮者も歌手も日本人に替わり、新国立劇場が1997年に團伊玖磨の「建(たける)」で開場して以来途絶えていた全員日本人によるオープニングが実現した。


指揮は飯森範親、管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団でコンサートマスターは依田真宣(美しいソロも披露)。オーベロン=藤木大地、タイターニア=平井香織、シーシアス=大塚博章、ヒポリタ=小林由佳、ライサンダー=村上公太、ディミートリアス=近藤圭、ハーミア=但馬由香、ヘレナ=大隅智佳子、語り役のパック=河野鉄平。劇中劇を演じる職人チームはボトム=髙橋正尚、クインズ=妻屋秀和、フルート=岸浪愛学、スナッグ=志村文彦、スナウト=青地英幸、スターヴリング=吉川健一。児童合唱はTOKYO FM少年合唱団。藤木、村上、近藤、髙橋、岸浪の5人は新国立劇場オペラ研修所の出身で、英語での授業もこなしてきた。劇場が外国からの指揮者・歌手の招聘を断念したのが1か月前。よくここまで歌唱を練り上げ、アンサンブルをまとめたものだと、過去10数年の日本オペラ界の水準向上に目を瞠った。ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離の設定)重視の「ニューノーマル」がなければ、噴飯ものの劇中劇の笑いも、もっと盛り上がったはずだ。


2000年8月に東京二期会が加藤直演出、若杉弘指揮で上演した際はいったん日本語訳の歌唱と発表した後、「やはり英語でないと無理」の判断で原語に差し戻され、英語歌唱の経験の乏しい歌手たちが四苦八苦した。今回はスティーヴン・ティーチェンのディクション指導が徹底したのか、ちゃんと英語に聴こえる。新国立劇場はドイツ語やイタリア語のオペラでも英語字幕を用意しているので、ブリテンの場合は、元の台本をたどる楽しみも加わった。コンディション万全の大隅のコメディエンヌぶり、松本市の有名なバレエ教室が実家である近藤の凛とした立ち姿、アメリカで23年間を過ごした河野の縦横無尽の動き、子どもたちの見事な歌とセリフなど、演技面でも光る存在が随所に現れ、フェアリーテール(妖精物語)の幻想的世界に、きらきらした生命を吹き込んだ。飯森の指揮も「初めて振る作品」とは思えないほど精緻を極め、ブリテンの玲瓏なスコアに仕掛けれられた艶の数々を適確に引き出していた。


読売日本交響楽団(読響)が第49回サントリー音楽賞を受賞したコンサートは当初、メシアンの長大なオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」全曲日本初演で圧倒的な成果を収めた前常任指揮者シルヴァン・カンブルランを迎え、同じメシアンの大編成(合唱と管弦楽)作品「われらの主イエス・キリストの変容」を演奏するはずだった。入国規制とソシアル・ディスタンシングに対応した結果、読響で「指揮者/クリエイティヴ・パートナー」のポストを持つ鈴木優人が室内オーケストラ編成の「峡谷から星たちへ」を10月6日、サントリーホールで演奏することになった。ピアノはメシアン夫人のイヴォンヌ・ロリオの薫陶を受けた児玉桃で、全身全霊こめての熱演を繰り広げた。さらに首席ホルン奏者=日橋辰朗、シロリンバ=西久保友広、グロッケンシュピール=野本洋介の読響楽員3人が傑出したソロの腕前を披露した。


ブリテンのオペラがシェイクスピア原作のフェアリーテールというヴァーチャルな世界で展開するのに対し、メシアンのピアノと管弦楽のための楽曲はアメリカからの委嘱にちなみ、メシアンがユタ州のフライスキャニオンを実際に散策して想を温めた「山の協奏曲」。リアルな自然と向き合った心象風景の絵巻物だ。


古楽ファミリーの出身、ピリオド楽器奏者のイメージが強い鈴木は同時に作曲家であり、すでに「トゥーランガリラ交響曲」をはじめとするメシアン作品を指揮した経験も持つ。もしカンブルランが振っていたら、もっと極彩色の世界が広がったかもしれない半面、マエストロと読響の「アッシジ…」を頂点とする長期の共同作業を振り返るレトロスペクティヴ(回顧的)な一夜となったはずだ。1981年生まれの鈴木に替わり、若い世代の楽員が卓越した音楽性を示したことで、コンサートのベクトルが大きく未来へと転換したのは予想外の収穫だった。コロナ禍がもたらした事象は悪いもの一辺倒ではなく、未来への階段を上る歩みを加速した部分もある。ブリテンが玲瓏なら、メシアンは透明という表面の感触の違いは聴き進むにつれ、一つの豊穣な創作の時代の精神に収れん、それらを同時代の音楽として共有できた私たちの世代の僥倖を思わずにはいられなかった。ありがたき1日!

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