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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

新国立劇場+びわ湖ホール「カルメン」コロナ後のぞむ広域連携に一歩踏み出す

更新日:2021年7月11日


左が本公演、右が高校生向けのプログラム

1997年、東京・初台に新国立劇場が完成したのと前後して、愛知県芸術劇場、富山市芸術文化ホール「オーバード」、よこすか芸術劇場、アクトシティ浜松、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールなどが整備され「多面舞台芸術劇場連絡協議会」を組織した時期があった。日本で唯一、オペラやバレエを恒常的に上演する「第2の国立劇場」(「第1」は日本の伝統芸術を担う東京・三宅坂の国立劇場)で制作したコンテンツを共有し、地域の人材発掘やオーケストラ、合唱団の育成にも役立てようという発想だった。1970年代の革新系首長による「地方の時代」、大平正芳首相の「田園都市構想」、1980年末に竹下登首相が打ち出した「ふるさと創生」などの標語とともに日本全国、文化施設の新築が相次いだ時代の産物だ。一部例外を除き、実態は何でもかんでも東京で制作し〝地方〟に分け与える中央集権型供給構造のヴァリエーションの域を出ず、1990年のバブル経済崩壊以降、構想は急速に萎んだかにみえた。だが「失われた20年(30年?)」の間も努力を重ね、自前の制作&教育機能を高めてきた劇場は今、逆に〝中央〟へコンテンツを供給するまでの力を備えるに至った。ある先輩記者が「目標を達成、すべて当たり前になった時、スローガンは消える」と言っていたが、最近の各地の劇場、オーケストラの充実に接すると、本当にその通りだと思う。


新国立劇場が2021年7月に初演したアレックス・オリエ演出の「カルメン」(ビゼー)は、いくつかの点で画期的な制作&上演態勢を伴った:


1)同じオペラパレス(大劇場)の同じ舞台装置で本公演6回(7月3、6、8、11、17、19日)、「高校生のためのオペラ鑑賞教室2021」6回(7月9、10、13、14、15、16日)を交互に上演する。これまでは前シーズンまでに好評を得た舞台から「高校生…」向けを選び、全く別の日程で再演していた。


2)7月19日に新国立劇場12公演すべてを終えた後、7月31日と8月1日の2日間、びわ湖ホールが従来の「高校生…」ではなく、一般向けの「沼尻竜典(芸術監督)オペラセレクション」枠で2回上演する。


3)新国立劇場の本公演は同劇場オペラ芸術監督の大野和士、「高校生…」は沼尻が振り、東京フィルハーモニー交響楽団は2週間半(リハーサルを含めればさらに長期)の間、2人のマエストロの持ち味、テンポを異にする解釈と日替わりで向き合う。


4)合唱は本公演、「高校生…」、びわ湖とも新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブルの合同チーム。新国立劇場主催のオペラハウス本公演に、びわ湖ホール声楽アンサンブルの名前がクレジットされるのは2018年7月の「トスカ」(プッチーニ)、2019年7月の「トゥーランドット」(同)に続いて3度目。児童合唱は本公演がTOKYO FM 少年合唱団、「高校生…」が多摩ファミリーシンガーズ、びわ湖が大津児童合唱団と入れ替わる。


5)「高校生…」のキャストは本公演のカヴァーがA組、「びわ湖ホール声楽アンサンブル・ソロ登録メンバー」の6人=ドン・ホセの清水徹太郎(テノール)、スニガの松森治(バス)、ダンカイロの迎肇聡(バリトン)、レメンダートの山本康寛(テノール)、フラスキータの佐藤路子(ソプラノ)、メルセデスの森季子(メゾソプラノ)を交えたのがB組だ。びわ湖ホールでは初日が後者、2日目が前者へと交代し、地元ファンの期待に応える。


6)新国立劇場が昨年10月の劇場再開以来、世界のオペラハウスや演奏会場、専門家などと情報を交換しながら工夫してきた新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策、それを反映したソーシャル・ディスタンシング(社会的距離の設定)重視の制作手法を「カルメン」のびわ湖ホール、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(ワーグナー)の東京文化会館など他のホール&劇場と共有し、全国各地の公演円滑化に向けた連携を強化する。


肝心の舞台はどうだったのか?


私は7月8日の本公演3回目、10日の「高校生…」2回目(B組初日)を観た。感触が予期した以上に違い、結果として「カルメン」の素晴らしい音楽を2度、異なる形で堪能できた。カタルーニャのパフォーマンス集団「ラ・フーラ・デルス・バウス」6人の芸術監督の1人、オリエと大野、新国立劇場が組むのは2019年に東京文化会館と共同制作した「トゥーランドット」(プッチーニ)以来2年ぶり2度目。舞台はスペインのタバコ工場や居酒屋、山中、闘牛場ではなく、鉄骨構造のロック・コンサートのステージとその周辺に移された。カルメンは英国のソウル、ジャズ、R&B系シンガーソングライターで、ドラッグやアルコールへの依存とともに崩壊したエイミー・ワインハウス(1983−2011)の分身として現れる。兵隊は日本の警官に置き換えられ、制服も本物そっくり。ホセやスニガ、モラレスはスーツ姿だから警部、警部補といった幹部の位置付けだろう。日本語字幕が「伍長」のままなのは、ちょっと違和感。密輸商人はドラッグの売人、カルメンの喧嘩相手はバックコーラスやスタッフの女性…と描かれるなか、エスカミーリョだけ闘牛士のままなのは、スペイン人の矜持か?


もう賛否両論飛び交っているが、自分は「カルメン」あるいはオペラ自体を初めて観る2021年時点の日本人にとって、アクセサビリティ(接近度)の高いヴィジュアルだと評価したい。とりわけ、劇団四季などのミュージカルから音楽劇の面白さに目覚めた時点の高校生には、とっつきやすい空間だったはずだ。ラ・フーラ・デルス・バウスが1992年バルセロナ・オリンピックの開会式演出で世界的にブレイクした過去を振り返れば、こうした大規模イベント型の舞台設定、細かな身体表現はキャストそれぞれの資質と創意工夫に〝おまかせ〟の行き方も「あり」だと思う。その分、芝居に関心のある歌手、声だけで勝負する歌手の演技に凸凹ができてしまうのは仕方ない。衣装や小道具はそれぞれの歌手に合わせ、丁寧な手直しが加えられていた。警官も闇社会の住人も群衆もこなしながら、一糸乱れないアンサンブルを聴かせた合唱団の力量は賞賛に値する。児童合唱は本公演が男子中心、「高校生…」が女子中心で、対照の妙を味わった。


本公演のステファニー・ドゥストラックはフランス語ネイティヴで声も姿も良く、題名役にふさわしい。ホセの村上敏明も初日の不調(演技だけして、歌はカヴァーの村上公太が担った)からの回復途上ながら、豊かな舞台経験を駆使して持ちこたえた。スニガ、モラレス、ダンカイロ、レメンダート、フラスキータ、メルセデスも適材適所、森谷真理がフラスキータというのも贅沢な話だ。半面、ミカエラの砂川涼子は以前に聴いた同役に比べ絶好調とはいえず、エスカミーリョのフランス人バリトン、アレクサンドル・ドゥハメルは冴えない。


アンサンブルでは、「高校生…」のびわ湖合体チームの求心力の方が遥かに優っていた。題名役の谷口睦美の円熟、エスカミーリョ青山貴の溢れる声の威力、吉田珠代のオーソドックスで一途なミカエラは、とりわけ聴きものだった。ホセの清水は軽めの美声で演技巧者ながら、弱音の発声が通らず、今後に改善の余地を残した。感心したのはレメンダートの山本。ロッシーニの生誕地ペーザロの音楽祭で研さんを積んだベルカント・テノールで、「チェネレントラ(シンデレラ)」の王子ドン・ラミロ、「紅天女」の仏師・一真などのイケメン役に多く接してきたが、レメンダートでは歌っていない場面にも絶えずクネクネ、挙動不審でチャラいチンピラ風の演技を続け、シリアスな歌からコントまでこなす「びわ湖ホール4大テノール」の一角に恥じない?存在感を発揮した。


大野と沼尻。東西の芸術監督2人の指揮は、まるで異なる。細かくテンポを動かし瞬間の即興性を重視する大野に対し沼尻は淡々、自然体で進め次第に盛り上げていく。求心力のある歌手アンサンブルを得た分、第3幕の一気呵成感では「高校生…」の方に軍配を上げたい。


コロナ禍は世界全体に降りかかったアクシデントだが、少なくとも日本の楽壇には災いだけでなく「考える時間」「構造改革」といったプラスの配当ももたらし、ポストCOVID-19(コロナ禍後)の展望が具現化しつつある。長く「絵に描いた餅」だった新国立劇場を軸とした全国の劇場&ホールの双方向型広域連携、人材交流に新たな一歩を踏み出した点でも、今回の「カルメン」は長く記憶されるプロダクションとなるだろう。

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