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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

弦楽四重奏でも新境地を開いた前橋汀子確かな個性を刻んだベートーヴェン特集


「ベートーヴェンのカルテット、聴きにいらっしゃらない?」。ヴァイオリン界のレジェンドとなった前橋汀子に誘われて2020年11月30日、日経ホールの「第502回ミューズサロン」に出かけた。2014年に立ち上げた念願の弦楽四重奏ユニットは前橋が第1ヴァイオリン、久保田巧が第2ヴァイオリン、川本嘉子がヴィオラ、原田禎夫がチェロだった。今回は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響でドイツ在住の原田が帰国できず、北本秀樹に交替した。カルテットを始めたころの前橋の心境は、このホールを営む新聞社に勤めていた5年前、記事にしたことがある;


今回も「生誕250周年記念」と銘打ち、3曲すべてがベートーヴェン。「第4番ハ短調作品18ー4」「第11番ヘ短調《セリオーソ》作品95」「第14番嬰ハ短調作品131」と初期、中期、後期から1曲ずつ、それぞれが主題やリズムの傾向、調性で何らかの関連を思わせる3曲が1つの絵巻物をたどる趣で演奏された。すでに足掛け7年の活動歴があるとはいえ、メンバー全員がソロや室内楽、教育活動などで忙しく、常設の弦楽四重奏団とは全く異なる日常を基本とする。当然、4声のバランスをはじめとする演奏スタイルも独特だ。全身全霊で旋律を美しく歌い上げる前橋の音楽を川本がドンと受け止め、2人で大きな音楽のアーチを架けるなか、久保田と北本が優しく寄り添い、ハーモニーの〝行間〟を確実に満たしていく。カルテットでヴァイオリンを弾くアマチュア奏者の知人によれば「原田さんがチェロを弾いても、ほとんど同じバランス」だという。すべての音像が、前橋が長い歳月をかけ積み上げてきた作曲家&作品観、それを演奏現場の音に立ち上げる方法論を基本としている。


3曲一体の真剣勝負を通じ、私たちは人間存在の本質に迫り、激しい葛藤の渦中にも未来への希望と力を見逃さないベートーヴェンのたくましさ、優しさ、温かさなど様々な「音の効用」を克明に追体験できた。ちょっとユニークだけど、良いカルテットだった。アンコールでは演奏者、聴衆双方の緊張を癒やすかのように、チャイコフスキーの《アンダンテ・カンタービレ》(「弦楽四重奏曲第1番ニ長調作品11」第2楽章)が奏でられた。10代の前橋が初の旧ソ連政府給費留学生としてレニングラード(現サンクトペテルブルク)音楽院に留学してから約60年。チャイコフスキーの音楽はもはや、前橋の人格の一部となっている。

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