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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

奇跡のウィーン・フィル@ミューザ川崎


「いくら何でもウィーン・フィルだけ特例の来日はオーストリア、日本の両政府ともやり過ぎではないか?」「客席をフル稼働に戻し、本当に大丈夫なのか?」……。ワレリー・ゲルギエフ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の2020年日本ツアーの可否が寸前まで決まらず、政府間合意の特例措置(特別機、隔離されたホテル特別階とホールのみの利用で外出禁止、定期的な検査などで前後2週間の待機を免除)で実現した瞬間、様々な疑問、批判が噴出した。だが2020年11月8日、ミューザ川崎シンフォニーホールでフィルハーモニカー(楽員)とマエストロ、ピアノ独奏のデニス・マツーエフの全身全霊をこめた真摯な演奏姿勢、稀にみる名演奏を目の当たりにした後には、感動と感謝の気持ちしか残らなかった。


ここに至るまでの全ての関係者、当事者の気の遠くなるような努力は想像に難くない。福岡空港に到着した直後、記者会見に臨んだダニエル・フロシャウアー楽団長(第1ヴァイオリン奏者)は「我々はウィーン・フィルの演奏クオリティーに対する皆さんの期待にこたえ、通常の編成&演奏配置をとって満場のお客様の前に現れるためのリスクを敢えてとり、ありとあらゆる予防措置と検査を繰り返し、日本行きに踏み切った」と強調した。実際、専用バスでの移動と面会謝絶、弁当と缶ビールの食事で外食禁止など、フィルハーモニーカーは普通のヨーロッパ人には耐えられないほどの制約を受け入れ、日本列島を北上してきた。中国と台湾、韓国をキャンセルしても日本ツアーにこだわった背景には、1956年の初来日以来(今回で36回目)日本の聴衆と築いてきた友情と信頼関係があったことも確かだろう。


ゲルギエフも来日経験豊富なマエストロ、札幌では国際教育音楽祭PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)の芸術監督を務めている。川崎での後半、チャイコフスキーの「交響曲第6番《悲愴》」は昨年12月5日にも、サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団との凄絶な演奏をサントリーホールで披露したばかりだ。箸のように短い指揮棒を小まめに動かして早めのテンポ、楽章間アタッカ(切れ目なし)に徹しながら、楽想ごとの間(ルフトパウぜ)をたっぷりととる解釈の基本にも変わりはない。だがペテルブルクとウィーンの文化の歴史的背景、2つのオーケストラのサウンドアイデンティティーや表現手法などの違いをしっかり踏まえ、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に翻弄される「2020年の世界の《悲愴》」の一期一会を鋭く掘り込んだ力量は、やはり只者ではない。1年前は死の匂い、彼岸の情景に打ちのめされたが、今回はそこに微かな、しかし明確な再生の意思を記した(特に第3楽章)。川崎では録音録画がないこともあり、フィルハーモニカーも前のめりで果敢に踏み込み、小さなキズをものともせず、エモーションを全開にした。


前半は「バレエ組曲《ロメオとジュリエット》」からの4曲に続き、同じプロコフィエフの「ピアノ協奏曲第2番」をマツーエフが弾いた。1998年のチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門優勝者。昨年は同コンクール同部門審査委員長も務め、45歳となった今、ロシアを代表するヴィルトゥオーゾ(名手)の地位を不動にしている。ロシア革命直前の1913年、ロシアン・アヴァンギャルド(ロシア前衛主義)の寵児だったコンポーザー&ピアニストが才能の限りを注ぎ、保守的聴衆の度肝を抜いた作品の衝撃度を彷彿とさせるマツーエフの超絶技巧!まるでモーツァルトの協奏曲でも弾くかのように飄々と進むなかに抑制を効かせ、楽曲のプロポーションをくっきり浮かび上がらせ、時に意外なほどの哀しみも漂わせ、過酷な日々に疲れ果てた人々を「束の間の幻影」の世界に引き込む呼吸の見事さに、円熟をはっきりと印象づけた。デビュー当時の無邪気なガチャ弾きとは、別次元の境地だ。ゲルギエフとフィルハーモニカーの協調も「伴奏」の域を完全に脱し、プロコフィエフのスコアに散りばめられた才気の1つ1つを白日の下にさらけ出し、前衛精神を爆発させた。


かなり濃厚な音と感情の洪水のあとのアンコールにはソリスト、マエストロとも、極上のトランキライザー(安定剤)を用意していた。ピアノソロはチャイコフスキーの「ピアノのための12の性格的描写《四季》」から「第10曲《秋の歌》」、オーケストラは同じ作曲家の「バレエ音楽《眠りの森の美女》」から「第2幕第1場の第17曲《パノラマ》」。「強者どもの夢の後」のような余韻を残し、2020年晩秋の特別な一夜の記憶の永遠に託した。

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