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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

天衣無縫あるいは天変地異だ!藤田真央


2021年2月26日。今から85年前に陸軍青年将校らが起こしたクーデター未遂「二・二六事件」と同じ日付の晩、22歳の藤田真央が彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールの「ピアノ・エトワール・シリーズVol.39」で行ったピアノ・リサイタルもまた、〝事件〟に違いない。


継続して取り組むモーツァルトの前半はともかく、R・シュトラウスのレアな「ピアノ・ソナタ」をメインとする後半は、まず第一に演奏がぶっ飛んでいた。さらに、アンコール。1775年にセットで作曲、ミュンヘンの音楽愛好家デュルニッツ男爵に献呈した6曲のソナタのうち、「第6番」を本編冒頭に弾いたのと対にする趣向で「第5番」の3楽章すべてを弾き終えると、藤田はいったん舞台袖にはけた。マイクを真横に持って再び現れると、歯ブラシのように口元に当て「アンコールに10分はかけたので、もう弾きません。ここからは、お話だけします。本当はソナタの背景を説明したかったのですが、プログラムに書かれてしまいました」と切り出し、地元さいたま市の話題から入った。「毎朝、清水勇人市長の緊急事態宣言のアナウンスを私も皆さんと一緒に聞いています。このホールで埼玉県のジュニアコンクールを受けた時の私は奨励賞、同級生が3位に入って格差に泣きました。翌年、全日本学生音楽コンクール小学生の部で優勝して形成が逆転、スッキリしたんです。『ピアノ・エトワール・シリーズ』はもちろん『ピアニスト100』シリーズもよく聴きにきました。マレイ・ペライアと聞き手、通訳の3人がソファーを並べたトーク・セッションで聞いたペライアの声が予想を超えて甲高くて、思わず吹いちゃったんです。帰り道、母親には叱られたなあ」などなど、柔らかそうな体と大きな手をクネクネさせながら一方的に喋った。


普通なら「くだたんことで時間を引き伸ばすな!」とクレームも出そうなところ、会場全体に「この子なら許せる」「宇宙人トークも個性の一部」といった感じの受諾、あるいは諦めの空気が広がる。前半でモーツァルトを弾き出した瞬間、もうアマデウスと真央が一体化、どっちがどっちに憑依しているのかすら判然としないままリズムもアーティキュレーションもフレージングも、すべてが自然に決まり、藤田よりも作品自体を味わえるのが不思議。半面、ブラームスの「狂詩曲」はウジウジした性格の作曲家と折り合いが悪いのか、素材に使われた民族音楽の熱狂だけが前面に出た「ケダモノ演奏」だった。素材をしんねりむっつり再構築するブラームスの作曲技法とは対極の再現手法に、賛否は真っ二つに分かれそうだ。最後のR・シュトラウスは2年前ほどから「弾きたくて仕方なかった」というだけに、決して定番の名曲でも作曲家を代表するジャンルでもない作品に潜む様々のアイデア、音色美、豊かな歌心などを抜かりなく掬い上げてみせ、間然とするところのない名演奏に仕上げた。


もう少し音のソノリティが厚くなり、音量も上がればと思う場面もないわけではないが、大オーケストラと渡り合うコンチェルトと違い、ソロではあまり気にならない。目下は天衣無縫といった生やさしい段階を通り越して、事件とか天変地異、超常現象を想起させる瞬間の頻発を楽しむのが、藤田真央の正しい?聴き方なのだと思う。

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