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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

堂々たる音の伽藍に圧倒されたものの、なぜかしっくりこないインバル&都響


桂冠指揮者エリアフ・インバルと東京都交響楽団による「都響スペシャル2021」の1月公演2日目を2021年1月13日、サントリーホールで聴いた。1936年生まれだからズービン・メータと同い年、今年85歳になるにしてはたいそう元気で、ほとんど跳ねるように現れる。来日後2週間の待機期間を夫人と過ごし、英気も十分養ったに違いない。都響楽員や日本の聴衆に注ぐ愛情も、昔よりずっと率直に表すようになった。適確なバトンテクニックでオーケストラをガンガン鳴らすので、客席も沸きに沸いた。最後は「お立ち台」の大団円だ。


前半は20分間の休憩時間と大差ない長さのワーグナー、「楽劇《トリスタンとイゾルデ》から《前奏曲》と《愛の死》」。後半はブルックナーの名曲「交響曲第3番《ワーグナー》」ながら、インバル好みのレアもの「初稿版」で演奏した。2人の作曲家の深い結びつきをシンプルに象徴する、美しいカップリングだ。コロナ禍でオーケストラの楽員配置にもソーシャルディスタンシング(社会的距離の設定)が求められ、ブルックナーやマーラーの大編成作品の演奏頻度が激減して久しいなか、都響が昨年夏の演奏再開後では最大の16型(第1ヴァイオリン16人)でブルックナー、しかもインバルの指揮で演奏するとあって、実に大勢の「ぶるおた」(ブルックナーおたく)が詰めかけた。世代交代も着実に進んでいるらしく、今の若い男の子が続々、ブルックナーに吸引されつつある様子も興味深かった。


私も「若い男の子」の端くれ大学生の1979年11月、定期会員だった日本フィルとの共演でマーラーの「交響曲第9番」を聴いたのがインバル初体験。1988年に旧西ドイツ時代のフランクフルト・アム・マイン市に転勤した当時、マエストロは同地のラジオ・シンフォニー(hr交響楽団=フランクフルト放送交響楽団)の首席指揮者で、日本コロムビアとの録音セッションに立ち合ったり、郊外のご自宅に取材で伺ったりする幸運にも恵まれた。当時50代のインバルの張り詰めた音楽は人工美の極致で、ある種の透徹に、しばしば圧倒された。一つ気がかりだったのは、時を経るごとにフォルテマニア的側面が前面に出て、繊細な弱音で魅了する場面が少なくなっていったことだった。同じ時期に始まった都響との共演を振り返っても年々歳々、音響がブリリアントに輝くようになればなるほど「内なる声」が遠のいていく気がして、つらかった。今回も最後までイゾルデが浄化されず、地上の〝市中引き回し〟で処刑されるような《トリスタン》の感触に、激しい違和感を覚えたことを告白する。


ブルックナーには、それほどの居心地の悪さを感じなかった。49歳の作曲家が11歳年長の先輩に抱いた畏怖の念を引用も交えてあられも無く吐露しながら、自身の才気も随所に織り込み、次第に収拾がつかなくなっていく「とっ散らかり」そのものの初稿をこれほどまでに手中へと収め、面白く鳴らせる指揮者は世界に数えるほどしかいないだろう。都響も全身でインバルの指揮を受け止め、輝かしい音響を現出させた。だが注意深く耳を傾けると、本当に集中した最弱音の場面があまりにも少ない。チェロとコントラバスも大熱演なのに、低音のクラスターは形成されず、ブラスバンドのように派手な金管の強奏にかき消されている。オーケストラ総体としてのバランスを聴き分け、整える部分の物理的能力の衰えを意識せざるを得なかったのは、自分自身の青春時代とも深く関わったマエストロだけに、非常に複雑な気分だった。積年の宿敵、都響でも微妙な関係にあったガリー・ベルティーニが最晩年、天国への階段を一段ずつ上るかのように示した浄化の過程に代わり、ひたすらマテリアライズされた音響への執着が極大化していくインバルの80代はかなり特殊だ、と私は思う。

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