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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

和太鼓初の「ソリスト」、林英哲がサントリーホールで個展「音楽会Ⅱ」を開催

更新日:2019年6月27日


和太鼓初の「ソリスト」©️S.Oguma

林英哲には「和太鼓の世界で初めて(西洋楽器の)オーケストラの〝ソリスト〟になった」との自負がある。小澤征爾、レナード・バーンスタイン、ケント・ナガノ、石井眞木、松下功、山下洋輔、佐治敬三……とジャンルを超えた歴代の文化人が英哲の音楽に魅せられ、不朽の名曲や伝説のコンサートを生み出してきた。2019年7月5日、東京のサントリーホールで開く「英哲音楽会(おんがくえ)Ⅱ」は過去から現在、未来を見わたす大きな音のパノラマとなるはずだ。初夏の気持ちいい昼下がり、高輪のカフェで英哲さんの話をきいた。


ーー世田谷パブリックシアターでの4日連続公演以来2回目となる「音楽会」ですが、今回は「盟友、松下功追悼!」と銘打ち、1993年の松下作品「飛天遊」を現在のオーケストラ版ではなく、オリジナルの八重奏共演版で演奏します。

「松下さんとは同い年。アマチュアを嬉々として指導したり、コシノジュンコさんのファッション・ショウの伴奏にベルリン・フィルのメンバーを連れてきたり、かなりキッチュなものまで厭わずに付き合い、相当な無理もしていたのでしょう。昨年9月に、忽然と亡くなってしまいました。打楽器とオーケストラのための協奏曲自体がほとんどないなか、1人の和太鼓奏者に惚れ込み、和太鼓ソロの協奏曲を書き、ベルリン・フィルとの共演まで実現した作曲家は松下さんだけです。松下さんが民族的特徴のある楽器のことを熱心に学び、カデンツァ(管弦楽が休止、ソロ楽器が無伴奏で演奏する箇所)は私の自由に委ね、非常にわかりやすい名曲が完成しました。ベルリン・フィルで演奏したときの指揮者は日系アメリカ人のケント・ナガノさん。その後、音楽監督を務めるモントリオール交響楽団に2度も招かれ、ケントさんは和太鼓が目立つよう、セッティングにまで気を配ってくださいました。今回は初演時の編成を再現、松下さんゆかりのアンサンブル東風からスペシャル八重奏団を組み、故人をしのびたいと思います」


ーーソロではなく和太鼓集団とオーケストラの共演では1976年、当時の英哲さんが所属していた「佐渡国鬼太鼓座(さどのくにおんでこざ)」と小澤征爾さん指揮ボストン交響楽団が世界初演して話題を呼んだ石井眞木さんの傑作「モノプリズム」があります。

「鬼太鼓座でボストンマラソンに参加、同時にボストン市内で公演したとき、ボストン響の音楽監督に就いたばかりの小澤さんが来てくださり『面白い、日本のものを何か、オーケストラとの共演でやりたい』と言いだしました。私には想像もつきませんでしたが、小澤さんはすぐ石井さんに国際電話をかけ、『太鼓とオーケストラで1曲かけ』。1年後にスコアが完成、76年のタングルウッド音楽祭で小澤さん指揮ボストン響との世界初演が決まりました。鬼太鼓座にとって譜面を読みながら稽古、指揮に合わせながら演奏するのは初めての体験です。リハーサルが始まると、楽員さんたちは口々に『うるさい』といい、これ見よがしに耳栓をつけたりしています。そこに巨匠中の巨匠、バーンスタインさんが現れ、楽曲と和太鼓の両方を絶賛したものだから、ボストン響も真剣にならざるをえません。初演を終えると、広いタングルウッドの芝生の客席が総立ちになり、成功を実感しました。美術のクリエイターを目指していた16歳のころから憧れてきたバーンスタインさんに直接評価され、世界に進出した喜びは大きかったです。小澤さんは同じ年のうちに新日本フィルハーモニー交響楽団と日本初演を行い、『モノプリズム』は1976年の『尾高賞』を受賞、翌年に(尾高賞を主催する)NHK交響楽団が岩城宏之さんの指揮で再演しました。戦争の時代から洋の東西を渡り歩き、国際人として、日本人のプライドを身をもって高めてきた小澤征爾という人の凄みを目の当たりにした出来事です」



永遠のトップランナー©️M.Tominaga

ーー7月5日のスペシャルゲストでもあるジャズピアノの巨人、山下洋輔さんも長年のコラボレーターです。


「1994年以来、ベルリン・フィルの『シャルーン・アンサンブル』と毎年のように日本で共演してきてレパートリーが少しマンネリ化、双方が『新曲がほしい』と思い、最初はドイツ人の作曲家に委嘱しました。松下さんや石井さんのように和太鼓を研究するでもなく、ただ面倒で面白くない曲が締切を過ぎて届き、全員一致で没に(笑)。当時、オーケストラと頻繁に共演していた山下さんに白羽の矢を立てたのです。山下さんが作曲した『プレイゾーン組曲』も『飛天遊』と同じく、シャルーンの八重奏との2002年版、兵庫県立芸術文化センター管弦楽団のために狭間美帆さんが編曲した2011年年のオーケストラ版との2つがあり、今回はアンサンブル東風と、八重奏版で再演します。山下さんのピアノと私の和太鼓の一騎打ち、ラヴェルの『ボレロ』なども楽しみです」


ーーサントリーホールもまた、思い出の深い場所だそうですね。

「1986/87年のオープニングシリーズの87年1月10日、オーボエの宮本文昭さんのリサイタルで共演者に指名されたのが最初でした。三枝成彰さんに委嘱した新作協奏曲「闇に吠えるオーボエは!!」という作品の初演に加わったのですが、宮本さんが『自分はクラシック奏者だからアドリブはできない。譜面に書かれてさえいれば、何でもできる』とでも言ったのでしょう、とにかくオーボエも和太鼓も、めちゃくちゃ難しいソロがあり、苦吟しました。それに先立つ鬼太鼓座時代、ホール生みの親でもある佐治敬三さん(サントリー元社長)が非常に感激され、1000万円相当の太鼓の寄付を申し出られたことがあります。オーナーの意向に逆らうわけにもいかず、会社は宣伝費の名目で太鼓を購入、胴体にサントリーのロゴを入れて演奏旅行に出かけました。『モノプリズム』初演も、ロゴ入りの太鼓が担いました」


ーー現在67歳。ストイックに肉体を鍛え、まだまだ現役トップランナーで走れそうですが、あえて過去を振り返り、何か思うところがあれば、最後に聞いてみたいです。

「クリエイター志望だったと言いましたが、とにかく、和太鼓を郷土芸能からアート作品の領域へと引っ張ってきた自負はあります。西洋の打楽器ではなかなか難しい一晩のコンサートへの展開も、『和太鼓だから可能』という方向で取り組んできました。若い人を指導する場面でも、ただ『やりたい』『叩きたい』ではなく、クリエイティブな展開が可能か否か、技を超えた人間性の部分に目を向けます。もちろん一定の技術は必要で、どこか、突き抜けた人だけが残れる厳しい世界です」


ーーありがとうございました。

(聞き手は池田卓夫=2019年6月4日、オーバカナル高輪で)

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