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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

分断世界に斬り込み「光」を取り出す、マキシム・パスカル指揮読響の凄絶演奏


池袋ウエストゲートパークの東京芸術劇場が開館30周年記念演奏会に1985年生まれのフランス人指揮者マキシム・パスカル、1994年生まれのピアニスト反田恭平と、若い世代のアーティストを起用したのはある意味象徴的だ。さらに冒頭で再演された管弦楽曲《むすび》(2010年、東京フィルハーモニー交響楽団創立100周年記念委嘱作)の作曲者、望月京(1969ー)が世に出たのは、1998ー2007年に読売日本交響楽団第7代常任指揮者を務めたゲルト・アルブレヒトが「日本の若い作曲家を広く紹介したい」といい、最初の委嘱先に選んだことがきっかけ。読響委嘱の《メテオリット》(2002)は望月の出世作となった。


公演プログラムに音楽評論家の渡辺和氏が記したように、かつての池袋にとって、クラシック音楽は必ずしも「お似合い」のエンターテインメントではなかった。ほとんど市場規模ゼロから出発し、座席数1,999のコンサートホールを満席にするまで、東京芸術劇場の名を知らしめ、新しい動線を開拓してきたのは、若いアーティストたちだった。開場記念公演でロンドンのフィルハーモニア管弦楽団を率い、マーラーの交響曲全曲と「嘆きの歌」を一気に演奏して気を吐いたイタリア人指揮者ジュゼッペ・シノーポリ(1946ー2001)も当時は44歳と、新進から中堅に差しかかる年代にいた。東京芸術劇場と事業提携を結んだ読響と望月の前に仏日の新進を対峙させたこと自体、劇場の歴史を適確に踏まえた企画といえる。


ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」「舞踊詩《ラ・ヴァルス》」の間にドビュッシーの「交響詩《海》」を置く選曲は1年以上前、まだ新型コロナウイルス感染症(COVID-19)も息を潜めていた時点で決まっていたという。ラヴェルの2曲は第一次世界大戦で「古き良きヨーロッパ」が完全に消滅、多くの命が失われ、生き残った人々の心にも大きな傷が残った時代に書かれた。《ラ・ヴァルス》(1919)はヨハン・シュトラウスⅡ世のあまり有名ではないワルツ《美しい5月(Oh schöner Mai)》に想を得つつ、舞踏会の煌めきと崩壊の危機が隣り合わせの「のっぴきならない状況」を描く。〝左手〟(1929)の方はよりストレート、大戦で右手を負傷して使えなくなったピアニストのパウル・ヴィットゲンシュタインのために作曲した。単一楽章20分弱のなか、新大陸アメリカから入ってきたジャズ、ブルースも現れ、社会や政治、文化の各面での世界地図の変化も敏感に映す。


その予兆は1905年に完成したドビュッシーの《海》にも、確実に存在する。パリの万国博覧会で葛飾北斎の浮世絵「神奈川沖浪裏」と出会ったドビュッシーは、大胆な構図の裏に隠れた緻密な設計を見抜いたのではないか? 最近の研究では、北斎は「構図に分廻し(コンパス)を使っていた」という。海にまつわる多彩で強烈な自然現象をベタに描写するのではなく、厳格なコンポジションとして再構築した北斎の手法を範として、ドビュッシーは《海》を作曲した。時空を超えた東西アーティストの交感の、最も早い例の一つだろう。


読響は2010ー2019年に第9代常任指揮者を務めたフランス人シルヴァン・カンブルランの下、フランス音楽の再現語法を徹底的に学んだ。香り豊かな響き、千変万化する色彩の改善には目覚ましいものがあった。37歳年少のパスカルは、カンブルランを職人肌とすれば、明らかに天才肌という違いがある。パスカルが全身を大きく使い、タクト(指揮棒)なしで引き出す音楽が端正な美しさをかなぐり捨て、時に軋み、喘ぎ、歓喜する。望月作品では日本的な旋律、リズムの引用も照れずにきっちり再現し、終始一貫した緊張感で引っ張る力量にも目をみはった。ドビュッシーもラヴェルも、肉体の生理的律動のなかに分断への恐怖だけでなく、その先にある再生への微かな希望の光のようなものまで予感させ、見事だった。


反田のソロは指揮も始めたキャリアを反映、〝暇〟な右手に「めくる」余裕もあるためか楽譜を置き、ラヴェルが仕掛けた色々なフレーバーを可能な限り濃く、くっきりと浮かび上がらせる。なかなか興味深いアプローチだ。パスカルが大胆に鳴らすオーケストラと渡り合える音量を備えていた点でも、良い人選だったといえる。アンコールは一転、ノルウェーのグリーグが作曲した「《抒情小曲集》第8集作品65」から「第8曲《トロールハウゲンの婚礼の日》」。まだ、のんびりした時代の音が一瞬、池袋に迷い込んだような趣があった。

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