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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

ラトル、LSOに満願のホームカミング


サイモン・ラトルは1998年に英バーミンガム市交響楽団の音楽監督を去る2年前、優れた音楽番組「故郷を離れて」(Leaving Home)を制作した。2002年から16シーズン務めたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督を辞任後、再び母国のトップオーケストラ、ロンドン交響楽団(LSO)の音楽監督に就いた。絶えず緊張をはらんだフィルハーモニカーとの共同作業が幸せだったのか否かについては、ベルリン在住の城所孝吉さんが招聘元のkajimotoが編集したプログラム冊子に書かれた巻頭エッセーを是非、お読みいただければと思う。9月23日から29日にかけて全国3都市で6回行われた公演のうち、筆者は23日大阪フェスティバルホールの初日、29日東京・サントリーホールの最終日を聴いた。


プログラムは大阪がクリスチャン・ツィメルマンをピアノに迎えたバーンスタインの「交響曲第2番《不安の時代》」とマーラーの「同第9番」、東京がラヴェルのバレエ「マ・メール・ロワ」、ジャニーヌ・ヤンセンが独奏したシマノフスキの「ヴァイオリン協奏曲第1番」(同じホールで前夜、諏訪内晶子とカンブルラン指揮読売日響が演奏したのと全く同じ曲!)、シベリウスの「交響曲第5番」。2時間40分の長大なイベントだった大阪は当然アンコールなしだが、東京はヤンセンがオーケストラ内のピアノを弾いたラトルとともにラヴェルの「ハバネラ形式の小品」、オーケストラがドヴォルザークの「スラヴ舞曲作品72の7」と、素晴らしいサービスを伴った。


大阪では何より、ツィメルマンの「神対応」のソロに引き込まれた。晩年のバーンスタインに高く評価され、ベートーヴェンやブラームスのピアノ協奏曲をウィーン・フィルと録音したほか、「不安の時代」の共演映像も存在するだけに、生誕100年を迎えた作曲者への限りない愛情の限りを尽くし、ともすれば機械的に弾かれがちな交響曲のピアノパートの隅々に血を通わせ、肉声のように音楽を語りかける。対するラトルもデビュー当時からバーンスタイン作品の解釈を評価され、作曲家としての復権に大きく貢献してきた。2人の意思疎通の完璧な一致、クラリネットをはじめとするLSO楽員のソロの巧さも手伝って、ほぼ理想的な再現。今年6月、ベルリンでの退任公演の一環で2人が収めたライヴ盤も完璧といえば完璧だが、管弦楽の「体温」の微妙な落差を指摘せざるを得ない。後半のマーラーは第1、第4楽章の透徹した響きに比べ、中間の2つの楽章で停滞や踏み込みの不足を感じさせた。新コンビの息がまだ完全には合致していないのか、ツアー初日でいきなり長大なプログラムに挑んだリスクなのか、判然としなかったが、東京と横浜ではもっと自然に流れていたという。


東京最終日の1曲目、「マ・メール・ロワ」の弦の羽毛を思わせるサウンドに全身を包まれた瞬間、強烈な睡魔に襲われた。否定ではなく肯定。ここまで心地いい音を聴かされてしまったら、意識は形而上の世界に舞い上がっていくしかないのだ。「ああ、これがベルリンでは叶わず、ロンドンで究めたかった世界なのだ」と直感、満を持しての帰郷(ホームカミング)の決断なのだと理解した。シマノフスキはつい、前夜の演奏と比べてしまうが、甲乙はつけがたい。諏訪内とヤンセンを続けて聴けたことで、無調音楽が広まった時期の無機的な感触、そこに潜む民族主義のエネルギーの二面性を把握できた。ラトルはオペラから交響曲、協奏曲まで意外に多くのシマノフスキ作品を録音してきた面目躍如、LSOのパワーを存分に引き出した。シベリウスの5番もデビュー直後の1981年(26歳!)、すでにフィルハーモニア管弦楽団と録音していた「勝負曲」。オーケストラ全体の鳴らし方、主題の際立たせ方、ソロの光らせ方、クライマックスまでの手綱さばきなどなど、すべての面で全く隙のない演奏で、客席を興奮の極みへと誘った。この日は、全曲が1910年代の作品。第1次世界大戦が現代に生きるヨーロッパ人にとって今なお、深い傷の原点として記憶されている様を前夜のカンブルランのプログラムともども、はっきりと示していた。日本人は忘れやすい。


公演に先立ち、小ホール(ブルーローズ)ではLSOとブリティッシュ・カウンシルが組み、日本の子供たちや高齢者、障がい者らのために実施した音楽教育プログラム「Discoverly for 2020」のワークショップ成果発表会があった。「マ・メール・ロワ」を素材に思い思いの楽曲をつくり、奏でるうち、子どもたちはいつしか、人類が長く築いてきた音楽の深遠な世界の入り口に立っている。本番直前にもかかわらず、1ヶ月前のトレーニングにも来日した2人の管楽器奏者が合奏の要を担い、〝弟子〟たちを鼓舞していた姿は素晴らしかった。日本ではウィーンとベルリン、2つのフィルハーモニカーの人気が格段に高く、ラトルの帰郷を「都落ち」とみる人すらいるが、いくつものオーケストラがひしめくロンドンで自身の団体のみならず、クラシック音楽全体の生き残りをかけて奮闘するLSOの存在、力量はもっと注目されていい。ラトルもアウトリーチには豊富な実績があり、演奏と教育の両面で目の離せないコンビとなりそうだ。

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