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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

マルタ・アルゲリッチと共有できた至福


クレーメルとの共演は5日に鑑賞

1)アルゲリッチ&フレンズ「イヴリー・ギトリスへのオマージュ」(2022年6月3日、すみだトリフォニーホール)

マルタ・アルゲリッチ、酒井茜(以上ピアノ)※、辻彩奈(ヴァイオリン)※※

フランク「ヴァイオリン・ソナタ」※※、トーク「マルタ、ギトリスを語る」(聞き手、酒井茜)、パガニーニ「奇想曲第24番」(※※ソロ)、ルトスワフスキ「パガニーニの主題による変奏曲」(※と2台ピアノ)、ショパン「変奏曲《パガニーニの想い出》」(マルタのソロ)、クライスラー「愛の悲しみ」(※※とマルタ)、クライスラー(ラフマニノフ編)「愛の悲しみ」、シュピルマン「マズルカ へ短調」、シマノフスキ「マズルカ作品5から第10番」(以上※ソロ)、アンコール:プロコフィエフ(ハイフェッツ編)《3つのオレンジへの恋》から《行進曲》」(※※と※)、モーツァルト「4手のためのピアノ・ソナタ ニ長調 K.381から 第3楽章」(マルタと※の4手連弾)


2)「マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)&ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)」第1夜(6月5日、サントリーホール)with ギードレ・ディルヴァナウスカイテ(チェロ)※

ロボダ「レクイエム(果てしない苦難にあるウクライナに捧げる)」、シルヴェストロフ「セレナード」(以上ギドンのソロ)、ヴァインベルク「ヴァイオリン・ソナタ第5番」、マルタのソロ:シューマン「《子供の情景》から第1曲《見知らぬ国より》」、J・S・バッハ「《イギリス組曲第3番ト短調 BWV808》から《ガヴォット》、D・スカルラッティ「ソナタ 二短調 K.141」、ショスタコーヴィチ「ピアノ三重奏曲第2番」、アンコール:クレーメルとディルヴァナウスカイティによる即興「ハッピー・バースデイ〜マルタ81歳の誕生日に寄せて」、シューベルト「君はわが憩い D776」、ロボダ「タンゴ《カルメン》」


マルタ・アルゲリッチを聴き続けて40年。80歳を超えても技に衰えがないのはもちろん、完全な脱力を身につけ、ごくごく自然で、生命の輝きにあふれた音楽を奏でる姿は美しい。疲れている時、落ち込んでいる時、別に問題なくてもただひたすらいい音楽を聴きたい時、マルタのピアノは「すべて」を与えてくれる。共演するヴァイオリニストが世界の巨匠だろうと日本の新進だろうと、最高の音楽を引き出すマジックはもはや神業の域に達していた。


辻彩奈の細部まで考え抜かれ、繊細を極めたフランクに対し、マルタはイヴリー・ギトリスやルッジェーロ・リッチらの大家と組んだ際の丁々発止、時に獰猛なアプローチのかけらもみせず、辻と同じかそれ以上にデリケートなタッチの妙で応じ、フランクのソナタから、ふだん聴き落としがちな部分の美を徹底的に描いた。第3楽章の深い深い祈りを聴きながら、意識がどこか遠くへと飛んでいく感触に浸った。第4楽章では一転「炎のピアニスト」の噴火が戻り、激しい高揚感で締め括ったのだから全然、一筋縄ではいかないニュアンスの洪水に改めて驚く。「どこへ向かって進み、何が飛び出すかわからない」感触は後半冒頭、酒井茜を聞き手とするトークにも持ち越され、98歳の天寿を全うした不世出のヴァイオリニスト、ギトリスの人間像を見事に浮かび上がらせた。私のTwitter、ご参照ください:


本来はピアノの弟子である酒井、このところの進境は目覚ましく、マルタとの2台ピアノでもソロでも、聴き手の耳を確かに惹きつける音楽を奏でた。サプライズで追加されたショパンのソロ(シゲル・カワイで弾いた)、辻との「愛の悲しみ」のマルタはゆっくり、慈しむような音楽で、またまた別の面を披露した。天国のイヴリーは、どんな思いで聴いていたのだろう。90代半ばを過ぎても日本を訪れ、震災被災地や離島の人々に音楽を贈り続けた。昨年12月には岩手県主催、陸前高田市「奇跡の一本松ホール」でもギトリス没後1年の追悼コンサートが開かれ、マエストロと交流の深かったアーティストたち、取材や通訳で何度かお世話になった私(司会)が出演した。一部がYouTubeにアップされたので貼り付ける:


クレーメルとの演奏会は2年前に企画されたがコロナ禍で流れ、2022年の「別府アルゲリッチ音楽祭」を終えたマルタ、「仙台国際音楽コンクール」のヴァイオリン部門審査で来日したギドンの日程をすり合わせ、東京で2日間の共演を実現させた。普通のガラに付き物の月並みな曲は1つもなく、わずか2年の間に一変した世界の実態を生々しく投影した旧ソ連絡みの音楽が並んだ。


ロボダ(1956ー)はジョージア(グルジア)生まれのヴァイオリニスト&作曲家で、「レクイエム」を2014年のウクライナ紛争犠牲者のために作曲した。シルヴェストロフ(1937ー)は現代ウクライナの最長老作曲家で今年3月にキーウを脱出、現在はベルリンに滞在している。ヴァインベルク(1919ー1996)は現在のモルドバに生まれたユダヤ人。萩谷由喜子さん執筆のプログラム・ノートによれば、1939年、ナチスによるポーランド侵犯に遭遇したヴァインベルクは「単身ベラルーシに逃れ、次いでウズベキスタンで難民生活を送り、ショスタコーヴィチの助力でモスクワに移る」が、「ここでも反ユダヤ主義の標的となり過酷な歳月を過ごし」「ある日突然、両親と妹が絶滅収容所で亡くなっていたことを知る」「1953年2月に(本人が)逮捕され、あわや処刑かという時にスターリンが逝去、九死に一生を得た」という。「ヴァイオリン・ソナタ第5番」は逮捕の年、1953年の作だが絶望の色より、ユダヤのルーツ、ショスタコーヴィチの影響を感じさせる完成度の高さで際立つ。むしろそこに、作曲家の矜持を感じることも可能だろう。ショスタコーヴィチの「ピアノ三重奏曲第2番」も1944年、第二次世界大戦中の作曲で、諧謔味を随所に発揮する。


ヴァインベルク、ショスタコーヴィチとも、マルタは全盛期以上の激しいフォルテで危機的状況に立ち向かう瞬間を垣間みせるのを忘れなかった半面、基本は「それでも生き続け、少しでも良い世界、明るい未来に微力(あるいは死力)を尽くす人間の素晴らしさ」を慈しむ柔らかなタッチ、明るい音色に置いていた。こうなるともはや、全世界を包み込む慈母観音の域に達した稀有のピアニストなのではないかと思えてくる。アンコールのピアノ三重奏に編曲されたシューベルト歌曲での右手トリルの戦慄の輝きとか、今のマルタにしか出せない音だろう。当日午後6時の時点でも「まだ何を弾くか、決めていないわ」といい、周囲をハラハラさせたソロ。「子どもの情景」が始まり「全曲を弾くか」と思ったが、一筋縄ではいかずバッハ、D・スカルラッティと長年の十八番に連なる見事なポプリ(接続曲)に仕上がった。スカルラッティは昔からアンコールの定番で、高い位置からの同音連打を凄い速度でキメる独自のスタイルには一層の磨きがかかっていた。


クレーメルもマルタとの再会に心震わせ、より若く緊張の面持ちのディルヴァバナウスカイテを一期一会の音楽の時間へと誘い、柔らかなニュアンスに富む絶妙の弦で応えた。非常にユニークな巨匠芸だ。厳しい世界の現実を直視する作品を並べながら、それを超えて絶対的に存在する音楽、あるいは芸術の強さと素晴らしさをどこまでも信頼して前面に出し、ホール全体を多幸感で包み込んだ素晴らしい時間だった。アンコール冒頭の「ハッピー・バースデー」はサプライズのようでありながら、稀有の喜びを共有するドキュメントでもあった:


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