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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

ニ長調の王道、キョンファとミョンフンのブラームス@東京フィル


「私はアジア人演奏家のトップランナーだなんて、思ったことはありません。バッハやベートーヴェン、ブラームスなど傑作の高い高い山を一歩ずつ登って行こうと、アジアの聴衆の皆さんと手を携えて日々、作品と向き合っているだけです」。約20年前、ヴァイオリニストのチョン・キョンファ(鄭京和)にインタビューしたときの一言を、今も鮮明に覚えている。当時は一家のグレートマザー、イ・ウォンスク(李元淑)さんも健在。サントリーホールで隣に座り、キョンファが弾くJ・S・バッハの無伴奏パルティータを聴いていたら、お母様が思わず「すごいね、自分の産んだ娘とは思えない」と漏らしたのも聞き逃さなかった


ウォンスクさんが亡くなって久しい2018年。70歳になったキョンファは実弟のチョン・ミョンフン(鄭明勲)が名誉音楽監督を務める東京フィルハーモニー交響楽団に招かれ、ブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」で姉弟共演が実現した(2日間の公演のうち、私は10月4日、東京オペラシティコンサートホールでの定期を聴いた)。ミョンフンが東京フィルと関係を深めた2000年代初頭、「もっと音を深く掘り起こせ!」とリハーサルで何度も求めたため、楽員たちがスコップをプレゼントしたこともあった。あれから20年近くが過ぎ、東京フィルはミョンフンが指揮するとき、ねっとりと濃く、熱く、激しいサウンドをヴォリュームたっぷり、奏でる集団に変身した。ブラームス冒頭の厚みのある響きからして、「ドイツ音楽はこうでなくっちゃ」と思わせる説得力があった。


長い前奏の後、キョンファのヴァイオリンがすごい気迫とともに入ってきた。少し緊張していたのか、音が小さめに思えたのも束の間、ぐんぐん圧力を増していく。何年かのブランクの後遺症が消えたわけではなく、時に音程が怪しくなるけれども、音楽と向き合う真摯極まりない姿勢で一貫しているため、不思議なほど気にならない。アンコールのJ・S・バッハ「無伴奏ヴァイオリンソナタ」第1番のアダージョに至るまで、「世紀の大演奏」との思いに浸りながら聴いていた。ブラームスの主張はベートーヴェンやチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲と同じく、ニ長調。「ニ」すなわち「D」は神(デウス)に連なり、迫力満点で堂々としたキャラクターの調性だ。音楽を究めるどう猛な姿勢と威厳を兼ね備えたチョン姉弟の演奏は、ニ長調の王道を行くものだった。


後半はサン=サーンスの「交響曲第3番『オルガン付き』」(オルガンは石丸由佳)。ミョンフンは1989年に発足したバスティーユのパリ新オペラ座の初代音楽監督に抜擢され、91年、この曲をオペラ座管弦楽団とドイッチェ・グラモフォンに録音するなど、キャリアの早い時期から得意のレパートリーとしてきた。今夜も全く間然とするところなく全曲を手中に収め、前半のドイツ音楽とは趣を異にする華やかな音色を引き出し、東京フィルを鳴らしきった。あんまり興奮したので終演後、「ああ、ビールが飲みたい!」と思ったら、ホール出口でアサヒビールが発泡酒「プライムリッチ」の試供品をお客様全員に配っていた(笑)。

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