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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

ドイツの音楽とチェロ、ホルン…水谷川優子&黒田亜樹と上野通明&ヴァイグレ


チェロの表現領域は多彩だ

金融記者として4年間のフランクフルト・アム・マイン駐在を終えて帰国してから、今年3月で30年になる。ドイツ時代からイタリアが大好きで休暇のたびに出かけていたが、音楽を取材したり考察したりする基本動作は、リアルな生活を体験したドイツでたたき込まれた。2022年2月19日に紀尾井ホールで水谷川優子(チェロ)と黒田亜樹(ピアノ)のデュオが奏でるR・シュトラウス作品の数々、20日の東京芸術劇場コンサートホールで上野通明が独奏するドヴォルザークの「チェロ協奏曲」をはさみ、常任指揮者セバスティアン・ヴァイグレと読売日本交響楽団の魅力が全開したロルツィング「歌劇《密猟者》序曲」とシューマン「交響曲第3番《ライン》」の〝どっぷりドイツ音楽〟に浸り、ある種の懐かしを覚えた。


水谷川の祖父で「グラーフ・コノエ」と呼ばれた指揮者、近衛秀麿は1923年に初めてドイツを訪れ、R・シュトラウスの音楽に衝撃を受けた。ナチス党のアドルフ・ヒトラー総統がドイツの政権を掌握した1933年、ベルリン・フィルハーモニーに招かれた近衛は「交響詩《ドン・ファン》」を指揮、客席には69歳の作曲者の姿もあったという。コンサートは冒頭に映像・音楽プロデューサーで「戦火のマエストロ近衛秀麿」の著者の菅野冬樹、俳優で演出家の渡辺克己によるトーク「近衛秀麿とR・シュトラウス」を置き、前半は歌曲と交響詩の名旋律を水谷川、黒田の編曲で紹介した。後半は18歳のリヒャルト少年が父フランツの職場であるバイエルン王国ミュンヘン宮廷管弦楽団の同僚のチェコ人首席チェロ奏者ハヌシュ・ヴィハーンに献呈、ヴィハーンが初演した「チェロ・ソナタ へ長調作品6」。父シュトラウスはホルン奏者ながら、チェロの腕前も確かだったそうだ。


読響のヴァイグレはバイエルンの宿敵プロイセンの都、ベルリンの国立歌劇場(シュターツオーパー・ウンター・デン・リンデン)管弦楽団(シュターツカペレ・ベルリン)のオトマール・スウィトナー音楽総監督(GMD)時代に首席ホルン奏者を務めた。東西ドイツ統一後のGMD、ダニエル・バレンボイムの勧めで指揮を始め、1990年代半ばに活動を本格化させた。1998年のシュターツオーパー来日公演のモーツァルト「歌劇《魔笛》」が日本での指揮者デビュー、共同主催者勤務のサラリーマン編集委員だった私は「期待の新星」を持ち上げる記事を書き、ヴァイグレと接点ができた。現在のフランクフルト・マイン歌劇場GMDに至るまでオペラ、バレエの指揮が主力で、2019年に読響常任を引き受けた背景には還暦(1961年生まれ)以後のキャリアを視野に入れ、シンフォニーコンサートの比重を高めたいとの思いがあった。結果としてオーケストラの定番の多くを「初めて振る」といい、しばしば驚かされる。昨年のショスタコーヴィチ「交響曲第5番」も今回のドヴォルザーク「チェロ協奏曲」も読響とが「セバスティアン初演」だった。ちなみにドヴォルザークの協奏曲を献呈されたのもまた、ミュンヘンのチェコ人ヴィハーン。チェロとホルン、ミュンヘンとベルリン…と、私の想像力を刺激する伏線が随所に張り巡らされた2日間といえた。


「チェロ・ソナタ」は「ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調作品18」と並ぶシュトラウスの若書き。ともに初々しくロマンティックな音たちが惜しげなく〝浪費〟される中、息の長い旋律は後の大オペラ作曲家への展開をはっきりと予感させる。水谷川は美しいメロディーの連続を慈しむかのように全身全霊で追いかけ、リズムの明快な黒田のピアノが形を締める。


ヴァイグレが読響を指揮する時、とりわけドイツ音楽ではバレンボイムよりもスウィトナーの影響を強く感じる。いくぶん早めのテンポでキビキビと進めながら緩急を自在にとり、即興的なルバートやスフォルツァンドのスリルにも事欠かない。音色もスウィトナー時代のシュターツカペレ・ベルリンをどこか、彷彿とさせる。アンサンブルはベルリンやバイエルンはともかく、フランクフルトのHR(ヘッセン放送協会)交響楽団やケルンのWDR(西部ドイツ放送協会)交響楽団程度か、それ以上の水準に到達した。ドイツ人の「心のふるさと」である森(Wald)を舞台にしたブッファ(喜歌劇)の《密猟者》でホルンを際立たせ、シューマン《ライン》の第2、第4楽章のホルンとシンメトリーを描くプログラミング。


ドヴォルザーク第1楽章の長い序奏でもホルン、トロンボーンの金管群が従来の演奏よりも前面に出て面白かった。コンサートマスターの林悠介もドイツの歌劇場での活躍が長く、ヴァイグレの意図に沿った味わいあるソロを聴かせた。とりわけドヴォルザークの第3楽章、上野のチェロとの掛け合いで音程とリズム、音色の志向が一致して完璧なユニゾンを奏でた瞬間は素晴らしかった。上野のソロは慌てず騒がず、柔らかく優しく、絶えず人肌の温もりを保ち、ドヴォルザークの歌心を最後の1滴まで掬い上げた。最後のソロ・クレッシェンドの甘美な陶酔感に惹きつけられた時、私はヴィハーンに「もう少し手を入れた方がいい」と助言されたドヴォルザークが参考にしたアイルランド人作曲家でチェロ奏者、米国に渡って以降はミュージカルの始祖となったヴィクター・ハーバードの「チェロ協奏曲第2番」のエコーを実感していた。アンコールのJ・S・バッハの情熱的で奔放なアプローチも面白く、日本の優秀な若手チェロ奏者のリストにまた1人、すこぶる個性的な逸材が加わった。


20日の開演前には読響楽員が東京芸術劇場で子どもたちの指導に当たる「芸劇&読響ジュニア・アンサンブル・アカデミー」によるプレ・コンサートがあり、モーツァルトとチャイコフスキーの名曲を立奏で披露した。以前に聴いた時より一段と腕を上げ、きっちり帳尻を合わせるのではなく、1人1人が思いっきり音楽を表現することで立ち上る生気が素晴らしい。変なプレッシャーがない分、音色も伸び伸びと美しく、予想以上の収穫だった。

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