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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

オリジナルと編曲の対照の妙〜ピアノの黒岩悠「バッハを弾く」@浜離宮朝日H


フライヤー裏面(右)に推薦文を書きました

2022年6月11日午後2時、東京・築地の浜離宮朝日ホール。前半はJ ・S・バッハの鍵盤曲をそのまま、後半は19世紀後半に生まれ、20世紀まで活躍したクロアチア、チェコ、イタリア=ドイツ、ロシアのヴィルトゥオーゾ(名手)4人によるバッハ名曲トランスクリプションを並べた。後半は切れ目なく弾き、アンコールなし、「G線上のアリア」で美しく締め括った。ピアノはホール備え付けのハンブルク・スタインウェイのフルコンサートグランド。イタリアのイモラ国際アカデミーでラーザリ・ベルマン、ボリス・ペトルシャンスキーらロシア系ヴィルトゥオーゾの教えを受けた経緯もあり、現代の楽器を輝かしく分厚く、濁りないクリスタルな音色で鳴らしきる力量は1級の水準に達している。半面、キリスト教と深く結び付いた家庭に育ったバックグラウンドからか、鍵盤楽器の名手だったバッハが自身の技をアピールするために書いた「イタリア協奏曲」をはじめとする前半の作品群でも華麗な音の運びの背後にさりげなく、宗教的な祈りの感情を忍ばせているのが好ましい。


前半ではオリジナルが現代のピアノではなくチェンバロ、クラヴィコードなど発音構造の異なる楽器だった事実を明確に意識、スタインウェイをダイナミックに駆使しつつもペダルはごく控えめ、粒の立ったクリスタルなタッチでノンレガート志向の音像を造型した。「イタリア協奏曲」では右手が少し滑り、レガート(音の切れ目ない連続)が突出する箇所があったが、バッハがヴィヴァルディらの影響を強く受けたイタリア趣味の熱狂のなせる技かもしれない。続く「フランス風序曲」は2度の延期をむしろ逆手に取り、じっくりと考え、弾き込んできた蓄積が見事に開花、長大な演奏時間を意識させることなく、素晴らしい集中力、推進力で一気に聴かせた。


後半は一転して作曲者、編曲者が担った時代意識、楽器構造の変化を適確にとらえ、ペダルをフルに使ったタッチの厚みと音色の変化、レガート、テンポの大胆な変更などでロマンティックな「20世紀前半のバッハ演奏」を回顧する趣があった。とりわけカンタータや受難曲のコラール(讃美歌)に基づく作品ではパイプオルガンの温かく、豊麗な響きを強く意識、前半では〝隠し味〟だった宗教的感情が大きく前面に出た。ただしドイツとイタリアのハーフ、自身も偉大な作曲家だったブゾーニ編曲の「シャコンヌ」での黒岩は原曲の「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番」の最終楽章にバッハがこめたラメント(哀悼歌)ーーおそらく最初の妻マリア・バルバラの死に因むーーの要素を敢えて切り捨て、「ブゾーニのバッハ」の華麗な世界にどこまで迫るかの挑戦を自らに課していたように思えた。恩師の1人、ベルマンが1977年9月27日、札幌厚生年金会館で行ったリサイタルはかつてFM東京が放送、日本ビクター(JVC)がライヴ盤LPを発売したが、冒頭に置かれた「シャコンヌ」の演奏は衝撃的で、私がブゾーニ編曲の壮大なバッハの世界に足を踏み入れるきっかけをつくった。黒岩の演奏は師の衣鉢を継ぐだけにとどまらず、21世紀の再現芸術へと進化させる気概に満ち、もちろん、後半の白眉といえた。




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