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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

インキネンと日本フィル、ベートーヴェン生誕250年を1年前倒しで順調に開始


日本フィルハーモニー交響楽団と首席指揮者ピエタリ・インキネンが創立指揮者の渡邉曉雄と過去に1度行っただけだったという交響曲全曲演奏を柱に、ベートーヴェンの生誕250年シリーズをスタートさせた。本当の250周年は2020年なので1年前倒しのスタート。それぞれ個性的なソリストとの協奏曲や、インキネンがプラハ交響楽団で実践を積み、ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団で録音を続けるドヴォルザークの珍しい管弦楽曲を組み合わせた独自のプログラミングで臨む。第1回となる第714回東京定期演奏会(2019年10月18&19日、サントリーホール)の2日目を聴いた。


最初にドヴォルザーク最後の歌劇「アルミダ」(1904)の序曲。「国民楽派」の一言で括られがちなボヘミアの作曲家も20世紀の空気を吸い、ワーグナーからマーラー、R・シュトラウスの同時代人としての音楽にしっかり、王手をかけていたと思わせる佳作だった。次はインキネンより3歳年長、1977年レニングラード(現サンクトペテルブルク)生まれのアレクセイ・ヴォロディンを独奏に迎えたベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第4番」。ちょうど1ヶ月前、ウィーン生まれのルドルフ・ブッフビンダーとベルリン生まれのセバスティアン・ヴァイグレが指揮する読売日本交響楽団の演奏会でも同じ曲を聴き、昨夜(10月18日)はミュンヘン生まれのヴァイオリニスト(インゴルフ・トゥルバン)と話し込み、ドイツ語がしみついた状態でヴォロディン&インキネンの演奏に接すると、全く異なる「語感」の音楽が聴こえてきて、面白かった。ヴォロディンのレアリザツィオン(再現法)はアンコールのシューマン〜リスト編曲の「献呈」でも顕著だったが、ドイツ語のアクセントや抑揚に過度にこだわる不自然さを敢えて避け、自身のピアニズムにすべてを語らせる。ロシアン・ピアニズムと言ってしまうのは簡単ながら、透明で硬質なタッチが生むクリスタルな音色が最強音でも全く濁らないこと一つを挙げても、かなり上質のヴィルトゥオーゾ(名手)である。14型のヴァイオリンで対向配置を採用したインキネンの指揮も重厚さよりトランスパレンシー(明瞭度)を優先し、ソリストの美意識と見事に一致していた。


後半はベートーヴェンの「交響曲第3番《英雄》」。対向配置でベーレンライター新版の楽譜を採用しつつも、トランペットの音域を上に移したり、ホルンを3本に補強したり…と独自の手を入れ、「現代の大ホールにおけるモダン(現代仕様の)楽器のシンフォニーオーケストラによる再現として、最も妥当な表現」(終演後の楽屋でのインキネンのコメント)を徹底的に究めた。第1楽章の反復などは行っても、ノン・ヴィブラートといった極端にピリオド(作曲当時の仕様)的な鳴らし方は避け、古典の均衡をロマンの燃焼が破る瞬間の作品にふさわしいダイナミズムを絶えず意識する。自身が今も優れたヴァイオリニストで、新任コンサートマスターの田野倉雅秋とはコンクール仲間だったというインキネンのトレーニングが徐々に浸透、美観と透明度を増した日本フィルの弦の響きを得て、最近とみにスケールを増しつつある指揮者の「今」を適確に伝える秀演に仕上がった。

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