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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

すでに大芸術家の様相のチョ・ソンジン


コロナ禍で2度延期、2019年以来3年ぶりの日本公演

チョ・ソンジン(조성진、趙成珍)ピアノ・リサイタル(2022年8月25日、東京オペラシティコンサートホール)

ヘンデル「クラヴサン(チェンバロ)組曲第1集」から「第2番へ長調」「第8番へ短調」

ブラームス「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ作品24」

シューマン「3つの幻想小曲集作品111」「交響的練習曲作品13」

アンコール:ショパン「スケルツォ」全曲(第2、1、3、4番の順に演奏)


1994年ソウル生まれ。浜松国際ピアノコンクールに史上最年少(15歳)で優勝した。本選オブザーバーに呼ばれた私は、圧巻の才能出現を目撃した。審査委員長の中村紘子さん&庄司薫さん御夫妻、恩師のシン・スジョン(申秀貞)先生と後日、東京都内でディナーをご一緒した時はまだシャイな少年で英語もあまりできなかった。「東京タワーの光に想いをこめると恋が叶うよ」と話しかけたら、パッと顔を赤らめた。2年後のチャイコフスキー国際コンクール第3位を経てショパン国際コンクールに優勝するまで、6年しかかからなかった。


「栴檀は双葉より芳し」そのものの展開とはいえ、私の印象が「超優秀なピアニスト」から「真に偉大な芸術家」「近未来の巨匠」へと激変したのは2019年にベルリンで録音したドイッチェ・グラモフォン(DG)レーベル(ユニバーサル ミュージック)5作目のアルバムのメイン、シューベルトの「《さすらい人》幻想曲」を聴いた瞬間だった。

リストとベルク、それぞれ唯一の「ピアノ・ソナタ」で単一楽章の特色も共有する2作とのカップリングを通じ、チョはドイツ=オーストリア音楽への抜群の適性を示したばかりか、すでに鋭く、深く、それでいて温かな語りかけにも不足しない独自の世界を築いていた。



何が起きたのか?と考えていたところ、インタヴュー嫌いで知られる名ピアニストの日本側マネジャーを長く務めた板垣千佳子さんが、家族や親しい音楽家の語る人物像をまとめた「ラドゥ・ルプーは語らない。」(アルテスパブリッシング)の中に鍵が隠されていた。


アンドラーシュ・シフやダニエル・バレンボイムらの大家に混ざって、チョとルプー(1945ー2022)の出会いにも1章が割かれる。画像にあげたのはパリのレストランで2012年に撮ったという2人の写真(120頁)と、チョの話の一部(123頁)だ。とりわけシューベルトについて大きな啓示を受けたと語られ、「今こそチョ・ソンジンの弾くドイツ=オーストリア音楽を生で聴きたい」と、切に思った。幸いコロナ禍で2度の延期を余儀なくされた日本でのリサイタルが「3年ぶりに実現する」と聞き、是が非でもとオペラシティに駆けつけた。


ヘンデルの組曲は元の楽器(チェンバロ)を意識した軽く、歯切れのいいタッチでフーガやアルマンド、クーラントなどの性格を明確に描き分け、ほとんどパウゼを置かずに2曲9楽章一体の世界を表現した。ブラームスに入ると厚みある音が現れ、ヘンデルを踏まえた語法が次第にロマン派音楽の自我にすり替わり、時に(当時の)前衛といえる領域まで変容していく図式を克明に再現する。ものすごいテンションの高さを保ちながら、右手高音域のアルペジオにさりげなく、ウィーン風の柔らかな音色を忍ばせるなどの芸は細かく柔軟、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団にも気に入られるだけのことはあると納得した。


後半のシューマンも、ルプーが得意にした作曲家だった。チョが身につけたピアノ演奏技巧=メカニックは現代の若手の中で卓越した水準にあり、「交響的練習曲」でも随所に片鱗をみせるが、それを忘れさせてしまうほどに深く繊細で、大胆な音楽の運びに魅了される。人工的な匂いを感じさせず、絶えず生命力を漲らせ、品格を漂わせながら弾き続ける。すでに偉大な芸術家の域に迫りつつあり、深い感銘を受けた。一貫した流れを尊重した結果か、5つの遺作からは1曲だけ、第4番を6番目の練習曲の後に挿入した。


アンコールでショパンの「スケルツォ第2番」が始まった時点では「ショパン・コンクール優勝者のファン・サービス」くらいに思ったのだが、結局、4曲全部を弾いてしまった。しかも全く疲れをみせず、弱音を生かして力任せにも弾かず、またまた格調の高い音楽で聴衆の耳と目、心を釘付けにする。最後の「第4番」に入る前、ピアノ椅子に座ってから客席の方を向き、「本当に長くご無沙汰しましたが、とうとう3年ぶりで、日本の皆様と再会することができました」といった意味のスピーチを英語で行った。意外に低い声。もう28歳、すっかり大人になったのだ。これからも変貌を続け、真の巨匠への道を着実に歩むだろう。




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