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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

さらにチャンとしてきたサラ・チャン。もうやめよう、池辺先生意識の駄洒落は


先週、某サイトのインタビューで作曲家の池辺晋一郎と対峙して以来、ダジャレを粗製乱造する誘惑を断ち切れない。10月25日の紀尾井ホール、往年の天才少女で1980年生まれの韓国系アメリカ人女性ヴァイオリニスト、サラ・チャン久々の来日。18世紀ヴェネツィアの作曲家ヴィヴァルディの最高傑作、合奏協奏曲集「四季」と20世紀アルゼンチンの作曲家でタンゴ奏者ピアソラの「ブエノスアイレスの四季」を組み合わせたリサイタルを聴き、すっかり成熟した大人の音楽家に変貌、指揮者を思わせるアイデアや統率力も印象付けた名演奏に触れた瞬間、「さらにチャンとしてきた」と、余りにベタな見出しが浮かんだ。


編成はチェンバロを省いた弦楽五重奏プラス彼女のソロ。弦は第1ヴィオリン森田昌弘、第2ヴァイオリン三又治彦、ヴィオラ横溝耕一、チェロ宮坂拡志、コントラバス市川雅典と、全員が桐朋学園出身でNHK交響楽団に在籍する若手奏者だった。こうした「現地調達」の場合、ソリストだけが前面に出て他は文字通りかそれ以下の「伴奏」に終始することが多いのだが、昨夜はまるで違った。聞くところによれば、サラは綿密かつ十分なリハーサル日程を招聘元に求めた上、23日の東京文化会館(都民劇場)、25日の紀尾井ホール、28日の京都コンサートホール(コントラバスのみ同じN響の佐川裕昭に替わる)と日程に余裕を持たせ、さらなるワーク・イン・プログレスを目指したという。結果、5人のN響メンバーそれぞれが最大限の自発性を発揮しつつ、ソロとの濃密な音楽の会話を繰り広げる展開となった。サラは「ガンガン弾くのではないか」との予想を完璧に覆し、心底からアンサンブルを楽しみながら、しっとりとした情感で全体を大きく包み込む。「秋の夜長」にふさわしい味わいのヴィヴァルディだけでも、十分な聴きごたえ。ブエノスアイレス編では「夏」「秋」「冬」「春」と独自の順番に奏でてヴィヴァルディの「四季」からの引用を際立たせ、聴衆がピアソラの世界に無理なく飛翔できるような配慮にも抜かりがなかった。ここでのサラは身体を心地良さそうにスイングさせ、時に弓の先で指揮者を思わせる積極的なリードもみせた。N響メンバー、特にチェロの宮坂、コントラバスの市川はピアソラ楽団での演奏経験があるのではないかと錯覚させるほどのグルーヴ感、即興精神で積極的にコミットしていた。


アンコールはJ・S・バッハの「アリア」。これがまた「ヴィヴァルディ原作のバッハ編曲」の感触を見事にたたえたアレンジで、ひと晩通しての美意識の一致に感心した。


実はこの日、別の演奏会に行く予定だったのだが、2週間前に急遽プログラム原稿(「北緯45度と南緯34度。サラ・チャン2つの《四季》に挑む」)の執筆を依頼され、目的地を変更した。私が生息するギョーカイには「今さら、サラ・チャン?」と神童の末路に先入観を持つか、都民劇場ですでに聴いたかの同業者が多かったらしく、紀尾井の客席に「その筋」の方々が皆無に近かったのは、どうしたことか? まあ自分も最初はその1人だったのだから、大きなことは言えない。有名な演奏家であればあるほど先入観に包まれ、正当な評価を受けにくいという現実の厳しさにも思いをはせた。

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