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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

「3大バレエ」抜きストラヴィンスキーで気を吐いた高関健と東京シティフィル


指揮者チーム3人、濃い顔ぶれだ

2021年10月14日、東京オペラシティコンサートホールの東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第345回定期演奏会は常任指揮者の高関健による「ストラヴィンスキー没後50周年記念プログラム」。「春の祭典」をはじめとする有名曲を避けて「《小管弦楽のための組曲》第2番」(1921)「バレエ音楽《ミューズの神を率いるアポロ》」(1928)「バレエ音楽《カルタ遊び》」(1936)「3楽章の交響曲」(1945)と新古典主義時代、とりわけ振付家ジョージ・バランシンと縁の深い作品を並べ、一貫した美意識を主張した。


冒頭の組曲を聴くうち、ストラヴィンスキーがバーンスタインに与えた影響の大きさに思いをはせていた。中学1年生になったばかりの1971年4月、私はTBSラジオの夜のニュースでストラヴィンスキーの訃報に接した記憶がある。当時はバーンスタインやセルに夢中だった。高関はプレトークで「それぞれの曲を得意にした指揮者が必ずいて、《ミューズ》はカラヤン。ベルリン・フィルのアシスタント時代、10回は聴きました。《カルタ遊び》はアバド。ロンドン響との実演が素晴らしかった。《3楽章》はニューヨーク・フィルが初演した作品で、バーンスタインの演奏にリハーサルから本番まで立ち会ったことがあります。何度もジャンプする情熱的な指揮で、ニューヨーク・フィルもべらぼうに上手でした」と、それぞれの楽曲に関係した自身の思い出を語った。それは同時に、まだ歴史が浅く、メンバーの入れ替わりも激しい東京シティ・フィルと自身がベルリン、ロンドン、ニューヨークのレジェンドに「どこまで迫り得るか」の決意表明のようにも響いた。普段のレパートリーではなく、演奏も簡単ではない作品を4曲一気に演奏するのは、かなり大胆な試みでもあった。


流石に全曲とも高水準というわけには行かず、《ミューズ》では弦(対向配置)の厚みある温かな音色にカラヤンへのオマージュを漂わせた半面、アンサンブルの乱れや響きの混濁も散見され、今後に課題を残した。後半2曲の方が完成度、演奏の味わいの両面で、はるかに聴きごたえがあった。《カルタ遊び》では、実のところ非常にユーモラスな高関の素の人間性まで垣間みせて、高級冗談音楽の趣あり。最後の交響曲は全員一丸のアンサンブルが熱を帯びながら次第に引き締まり、ストラヴィンスキーの多面的で多彩、ダイナミズムやリズムの複雑の妙に富む曲想の面白さを適確以上の個性で再現することに成功した。つねにリスクを恐れず、次の段階に進むオーケストラ、常任指揮者の関係は素晴らしいと思う。




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