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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

「黄昏の維納」は遠い彼方へ〜前橋汀子60周年→新国立劇場「ばらの騎士」へ


「60年の歩みを1,000文字で」の発注に応えた拙稿

2022年4月6日。帰宅直後にツイートした----100歳で亡くなったワルター・バリリのレッスンを中学生で受けた前橋汀子のデビュー60周年を昼に聴き、夜はバリリの遥か後にウィーン・フィルでヴァイオリンを弾いていたS・ゲッツェル指揮の「ばらの騎士」。派手に鳴らし傷も多いが、大詰めの三重唱は巧拙を超えて胸に迫る音楽。今の世界にも通用する。



浜離宮朝日ホールの「前橋汀子&弦楽アンサンブル」は演奏活動60周年と、同ホール開館30周年を記念した昼公演。会場は前橋と同世代、長く聴き続けてきたであろう高齢のお客様で埋まった。かくいう私も退職世代で、中学生のころに始まった「汀子さま追っかけ」歴は半世紀を超えた。大阪交響楽団首席ソロコンサートマスターの森下幸路が率いる前橋の弦楽アンサンブルは昨年以来、ヴィヴァルディの「合奏協奏曲《四季》」をメインに据えた曲目で全国を回り、今回が5公演目。チェロのトップは別掲プロフィールの門脇大樹(神奈川フィル首席)が体調不良を理由に降り、三宅進(仙台フィル首席)に替わったが、三宅もこのツアー参加した経験があり、難なくアンサンブルに溶け込んでいた。ヴァイオリンの4人全員がコンサートマスター経験者。他も首席級の腕利きを集め指揮者なし、森下の弓のリード一つで前橋の伸縮自在の「歌」にピタリと付けるにとどまらず、もの凄く鳴りのいい音楽を積極的に奏でていく。前半の小品の弦楽合奏アレンジャーには丸山貴幸。チェンバロをサン=サーンスに入れ、ハンガリーの民族楽器ツィンバロンからの連想で使うと思われたブラームスでは省くなど、慣習にとらわれない自由な発想で前橋を際立たせた。


楽曲解説は前橋自身が書き、それぞれの作品の芯をとらえた簡潔な文体に感心した。対照的に演奏は「濃い」の一語。どんな短い曲からも深いドラマを引き出し、たっぷりと歌い上げる。森下自身が前橋に感動しながら弾き振り、1曲ごとに弓で盛大に讃えるのだが、前橋は「ハンガリー舞曲」2曲を続けて演奏したかったらしく、一瞬、「ギロっ」とにらんだのがまた、クールでカッコ良かった(ファン心理の屈折か?)。後半の《四季》も30年前にミラノ・スカラ座合奏団と録音(ソニーミュージック)し、日本ツアーを行って以来の得意曲だけに自家薬籠中はもちろん、後輩世代との合奏を心ゆくまで楽しむ雰囲気が素晴らしかった。アンコールはトレードマークのサラサーテ「ツィゴイナーヴァイゼン」。これがまた凄まじい憑依の世界で、いつもより傷はあったが、それすら続く赤い血の迸りを予感させる鬼気が迫り、60年の重みを感じた。これで終演か、と思った瞬間に前橋が森下に耳打ち、ドヴォルザークの「わが母の教え給いし歌」をもう一度演奏した。数年前に100歳前後で亡くなったお母さんへの追憶かと早とちりして楽屋に回り、前橋に確かめると「ウクライナ!」の一言で訂正された。旧ソ連時代の留学に始まり、世界を渡り歩いてきた芸術家の胸に去来する様々な光景に思いをはせ、一段と確かな感動とともにホールを去ることができた。



午後4時20分に朝日新聞社近くの中央区営駐車場(銀座・築地地区なのに30分あたり200円と格安で、おすすめ)を出て、一般道路で30〜40分の初台・新国立劇場へ。R・シュトラウス《ばらの騎士》のジョナサン・ミラー演出の5年ぶり5度目の上演を観た。午後6時開演なので、全く無駄のないスケジューリングだった。終演は午後10時20分。11時前に帰宅した。コロナ禍の影響でキャストが大幅に変わったが、指揮のサッシャ・ゲッツェル、元帥夫人(マルシャリン)マリー・テレーズを初めて歌う(ヨーロッパで歌う前に日本で試運転という良くあるケース)アンネッテ・ダッシュ(ソプラノ)は当初発表のままだった。感染症対策で合唱や助演の人の配置が初演時とは、かなり異なっている。


ゲッツェルはヴァイオリンから指揮に転じて間もないころ、パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)札幌に何度か現れ、景気がいいだけで深みのない指揮に唖然とした記憶がある。ウィーンで長く録音してきたカメラータ・トウキョウの総帥、井阪紘さんが「怖くて見ていられない」と呟いたのを覚えている。果たして今回、東京フィル(コンサートマスターは近藤薫)を豪快に鳴らし、それなりにウィーン風の響きを作ろうと努める姿勢にはかなりの進歩を認めるが、歌劇場でピアノ弾きからステップを積み上げたわけではないリードは、随所に破綻を生んだ。6日の上演では第2幕で振り間違え、止まりかけた。第1幕でマルシャリンの部屋に物乞いやイタリアの歌手が現れ、オックス男爵がひと騒ぎ起こす場面でもアンサンブルをまとめきれずにコミカルな感触が消え、ただの退屈な「アンコ」の時間に退化したのが惜しまれる。また、宮里の声が重く、疲れ気味だったのは気がかりだ。


私たちは、カルロス・クライバーがウィーン・フィルを指揮した1994年ウィーン国立歌劇場日本ツアーの《ばらの騎士》を実際に観た世代だ。ウィーンでも観たが、半年後の東京文化会館第ホールはもっと素晴らしく、出来栄えに満足したカルロスはこれで、オペラの指揮から引退した。彼にとっては偉大過ぎた父、エーリヒ・クライバーの《ばらの騎士》に追いつくことが生涯の目標であり、ウィーンの批評で「ようやくエーリヒの域に到達した」と書かれたことでももはや、思い残すことがなくなったのだろう。第1次世界大戦でハプスブルク帝国が崩壊、「古き良き時代のヨーロッパ」が消えてなくなる寸前の1911年に世界初演された《ばらの騎士》は、アンシャンレジーム(旧体制)の文化や風俗へのオマージュとして、ホーフマンスタールの精緻の限りを尽くした台本、繊細な転調に彩られたシュトラウスの擬古典的な音楽が奇跡の次元で融合した傑作だ。


消えゆくものへの切ない思い、新しい時代への微かな希望と不安が交錯する中で描かれるセピア色の世界----。ミラーの演出は時代設定を初演と同時代に移し、来たるべきオクタヴィアンの戦死すら匂わせる儚さを見事に視覚化して無駄がない。ゲッツェルの指揮から儚さを感じる瞬間は皆無に等しかったが、第3幕大詰めのマルシャリン、オクタヴィアン、ゾフィーの三重唱では棒の巧拙、歌手個人の能力を超えた領域で圧巻の音楽が現われ、深い感銘を覚えた。やはり、すべてが幻の世界の音楽なのだ。


日本人キャストは当初予定通り、代役の混成。ドイツ語さばきに優れていたのはゾフィーの安井、オックスの妻屋、アンニーナの加納、マルシャリンの執事の升島。オクタヴィアンの小林は最初不明瞭だったが次第に調子を上げ、第2幕以降は急激に改善した。半面、総じて「歌う」行為に懸命のあまり、アルテシェニカ(身体表現)が発声の都合で適当に処理される傾向は、演劇性の高い作品だけに残念だ。腕と手の動き、首の角度などのすべてを「演じる」発想で隙なく組み立てたダッシュとの落差は、いかんとも埋めがたかった。ダッシュも第1幕では大味に思えたものの、第3幕で示した気品と節度で、今後の成功を確信した。


「オペラは歌」と割り切る主張もわからないではない。ただ、この作品に限ってはホーフマンスタールが細部まで練り上げた台本を深く理解し、「歌う」と同時かそれ以上に「語りかける」「会話する」次元のパフォーマンスに磨きをかける機会の乏しさが、日本の課題と言わざるを得ないのではないか? 例えば、ファーニナルは産業革命後のブルジョワジー(富裕市民層)台頭を受けて商売で財をなし「金で貴族の称号を買った」俗物だ。半面、体は弱く、娘の幸せを願う気弱な父親の心の揺れも垣間みせる(ヴェルディ《椿姫》の父ジェルモンに似ている)。今回の与那城は実年齢も声も若く、アルテシェニカではダンサー風のキレをみせるので、とてもゾフィーの父には見えない。最初は娘を厳しく戒め、最後はオックスを激しく拒絶する意思の力に歌と演技のポイントを置いたのか、絶えずがなり気味で本来の美声が犠牲となり、サディスティックなアイゼンシュタイン(J・シュトラウスⅡのオペレッタ《こうもり》の登場人物。ジェルモン、ファーニナルと同じく新興成金)みたいに映ったのは残念だった。妻屋オックスは大健闘ながら、第2幕に求められる肉食系の色気と滑稽が足りず、日本人の草食系が意外なところで顔を出した。第3幕で追い詰められ、ようやく退散するまでの場面で名誉を挽回し、カーテンコールでは、かなりの喝采を浴びていた。




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