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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

「心と音楽で通じ合える人々」の邂逅、熊倉優指揮N響とイザベル・ファウスト


1972年生まれのドイツ人ヴァイオリニスト、イザベル・ファウストが初めて日本を訪れたのは22歳。1994年の北九州国際音楽祭だった。フィンランド人のセッポ・キマネン(チェロ)&新井淑子(ヴァイオリン)夫妻が音楽監督を務め、フィンランドのクフモ国際室内楽音楽祭に参加した若手を次々と日本へ送り込んだ時期だ。翌年も北九州で、18歳で初来日したラデク・バボラク(ホルン)らとともにシューベルトの「八重奏曲」などを演奏している。そもそも5歳でヴァイオリンを習い始めた最初の先生が鈴木メソード(鈴木慎一が創設した才能教育研究会)の系列だったといい、かなり先天的に日本との縁はあった気がする。


2017年、音楽ジャーナリストの寺西肇氏によるインタビューで「演奏家としての最終目標」を問われた際のファウストの答え:「音楽家たらんとすることです。実際に世界へ飛び出して行って、本当に愛するレパートリーを奏で、新たに発掘する努力を怠らず、心と音楽で通じ合える共演者、真に演奏したいと思うステージを選び…私のささやかな居場所があるという光栄を感じることです」ーーそれは2021年2月12日、東京芸術劇場コンサートホールで熊倉優指揮のNHK交響楽団とシマノフスキの「ヴァイオリン協奏曲第1番」を共演した瞬間にも、はっきりと発揮されていた。オーケストラと指揮者に注ぐ温かな眼差し、協調性の高さは目に見ても明らかで、全員が一体の燃焼に客席も深く巻き込まれていった。アンコールの無伴奏曲にはCOVID-19と共存を余儀なくされる人々へのエールと祈りがこめられ、いつしかファウストの国、ドイツのアンゲラ・メルケル連邦首相の演説を思い出していた。


本来は首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィが振り、リサ・バティアシヴィリが独奏するはずだった東欧音楽のメニューはそのまま。2016ー2019年にパーヴォのアシスタントを務めた熊倉(1992年生まれ)と、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)再拡大に伴う入国規制強化の前にリサイタルツアーのため来日、滞在期間を延長したファウストが代役を務めた。


熊倉は2018年8月4日、N響のフェスタサマーミューザ参加公演の指揮者に抜擢され、ショスタコーヴィチの「交響曲第10番」で鮮烈な印象を残した2か月後、東京国際音楽コンクール「指揮」で第3位を得た。とりわけCOVID-19でN響が昨年2月から5か月間活動を休止、7月に無観客の放送演奏を再開した際に指揮して以降、全国のオーケストラで来日不能となった外国人指揮者の代役を積極的に引き受けてきた。昨年11月のN響演奏会では藤田真央とのシューマン「ピアノ協奏曲」、メンデルスゾーンの「交響曲第4番《イタリア》」などを指揮して、急速な現場体験の積み重ねで大きく伸びつつある実態を強く印象付けた。


今回は「育ての親」の1人である篠崎史紀(マロ)がコンサートマスターを務め、N響全員が〝PTA〟の風情で熊倉を徹底的にかり立て、終始全身弾きのハイテンションでコンサート全体を盛り上げた。先週は「昭和」だった音が今夜は全面的に「令和」へ進み、世代交代に成功したN響の良さが最高度に発揮された。熊倉も克明な指揮でスメタナの生気、シマノフスキーの濃厚なロマン、ドヴォルザークの野趣と洗練の混交を適確に描き分け、さらなる進歩を見せた。ファウストのソロには極上の響きだけがあり、ストイックに現出した音楽の空間が、今や遠くなってしまったヨーロッパのコンサートホールでの記憶も呼び覚ました。


熊倉の課題はフォルテとピアノの中間領域でのニュアンスの拡大、ピアニシモに通す芯の強さなどにあると思われるが、このペースで現場感覚を磨けば、どんどん改善されるだろう。久々に「N響一家が育てた指揮者」であり、コロナ禍明けにはドイツでの研鑽が始まる。

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