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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

「内田光子ピアノ・リサイタル2021」迷宮に吸い込まれていくような陶酔感


余韻に浸る

2021年10月25日、「内田光子ピアノ・リサイタル2021」東京・サントリーホール公演の2日目を聴いた。後半のベートーヴェン「ディアベッリのワルツによる33の変奏曲」は共通で、前半が19日はモーツァルト「ピアノ・ソナタ第15番K.533/494」、25日はシューベルト「即興曲D.935」からの2曲だった。


「ディアベッリ」とシューベルトの組み合わせは2015年のリサイタルと同じ。だが、演奏が放つ感触も聴き手が受ける印象も、全く異なった。コロナ禍にもかかわらず、内田の健康状態は非常に良さそうで、ステージマナーは一段とキビキビしている。以前のように上半身を身悶えするほど大きく動かすこともなくなって脱力が行き届き、ごく自然に、柔らかく味わい深い音を楽器(スタインウェイ)から引き出す。金属感は皆無で少しくぐもった音の色あいが内田の肉声のようにも、作曲家の肉声のようにも、あるいは両者一体のヒューマンなメッセージのようにも響く。あまりの心地良さに何度も、目を閉じて聴いた(寝落ちではありません)。聴覚だけで接すると極限まで吟味され非常に限られた音のパレットから無限のニュアンスと空気が放たれ、イマジネーションが膨らむ状態を一段と楽しめる。国外旅行を自粛して久しいけど、内田のシューベルトには間違いなくウィーンの空気が充満していた。


格別の陶酔とともに向き合った「ディアベッリ」は自由自在、1つ1つの変奏が「出来立てホヤホヤ」のごとく再現されていく。内田の5年前も含め、今までに聴いた記憶がない新鮮な音色、解釈の彫琢でありながら、奏者の視座が揺るぎないので聴き手も置いてきぼりにされることなく「ディアベッリ」の変奏の迷宮に吸い込まれ、ベートーヴェンのアイデアの数々を追体験できる。内田が最後の和音をきっちりと結び、美しい余韻が消えるまでの間、誰も拍手をしなかった。レビューを書くために、メモを取りながら聴くことも多いが、今夜はただただ内田が繰り出す響きの海の中に身を置き、大きな音楽に浸っていたかった。

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