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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

4年ぶりのキーシン、強い共感を示したラフマニノフの前奏曲集


「キーシンの鼠算(ねずみざん)」。かつてロシアのピアニスト、エフゲニー・キーシンのファンが日本で増え続ける理由を分析する際、拙稿の見出しに考えたキーワードである。


15歳の1986年に日本でデビュー。「日本から世界に羽ばたいて行った外国アーティストのはしり」(中村紘子)だった。色白長身のロシア少年は、とりわけピアノ学習者の少女たちに絶大な人気を博し、花束と手紙を携え、カーテンコールに殺到した。まだ20代のキーシンに東京でインタビューしたとき「全員に返事を書きたいけど不可能なので、くれぐれも、よろしくお伝えください」と、普通の取材ではありえない「伝言」をことづかったのを覚えている。それだけ、若い女性のファンが多かったのだ。「鼠算」と書いたのは、彼女たちが「卒業」の気配を一切みせず、ボーイフレンドができると一緒に来る、結婚して子どもが生まれ、演奏会に行ける年齢に達すると家族で来る、ご両親がリタイアすると親子3世代で来る…と、動員数を増やし続ける現象についてだった。4年ぶりの来日となった今回も、かなり渋い曲目にかかわらず、首都圏の3公演が大入り。最後の熱狂的拍手→贈り物→スタンディングオベーションの「お約束」も前回までと同じく、きっちり執り行われた。


プログラムは前半がショパンの「夜想曲第15&18番」とシューマンの「ピアノ・ソナタ第3番」、後半がラフマニノフの「10の前奏曲・作品23の第1〜7番」「13の前奏曲・作品32の第10、12、13番」。私が聴いた2018年11月6日、サントリーホールのリサイタルのアンコールはシューマン「子どもの情景」の「トロイメライ」、キーシン自作の「ドデカフォニック・タンゴ」、ショパン「英雄ポロネーズ」の3曲。以前のように10数曲を1時間近くかけ、延々とアンコールする姿は見られなくなった。


前半の19世紀前半ロマン派の作品は技巧的にも演奏解釈的にも非の打ち所のないものながら、どこか1枚、核心に触れる手前でヴェールが下ろされているとの感を拭えない。かなりアブストラクトな印象を抱き、音楽に酔えない自分にハッパをかける。後半のラフマニノフは一転、没入と燃焼の度合いが極限まで高まり、客席を熱狂に巻き込んでいく。長年キーシンを聴き続けてきてもなお、「ロシア音楽へのアフィニティ(親和度)がドイツ音楽、ロシア以外のロマン派音楽へのそれを遥かに上回る」との印象を覆せない。だが「ドイッチェ・グラモフォン(DG)」レーベルに復帰した第1作のベートーヴェン「ピアノ・ソナタ集」はキーシン自身が2006〜16年に世界各地で収めたライヴ録音を厳選し、2枚組にまとめたもので、期待を大きく超えた名演だった。桁外れの才能、資質を絶えず正しく伸ばしてきた名手なので、ロシア音楽とその他を隔てる壁も近い将来、消えてなくなるとの予感は前半のシューマンの第3楽章「変奏曲風に」の深い味わいに富む再現を経て、確信に変わった。

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