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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

2022年9月17日は僕の「プロコフィエフ記念日」!イッサーリスと東響に感謝


ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906ー1975)とセルゲイ・プロコフィエフ(1891ー1953)。15歳差ながら、ともに帝政ロシアに生まれ、ロシア革命に翻弄され、先端芸術を毛嫌いした旧ソ連の独裁者スターリンとの厳しいせめぎ合いを強いられた世代に属する。子どもの頃プロコフィエフの「ピーターと狼」を聴いた記憶はあっても、小学校の音楽室に貼られた年表の終わり近く、牛乳瓶底メガネの怖そうな顔のショスタコーヴィチがどのような曲をつくったのかは知らなかった。幼少期の刷り込みは厄介なもので、以後、ショスタコーヴィチ→孤高、プロコフィエフ→大衆といった雑なイメージを漠然と抱いたままでいた。


2022年9月17日。先ずは午後3時から横浜の神奈川県立音楽堂で、チェロのスティーヴン・イッサーリス、ピアノのコニー・シーのリサイタルでショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ラフマニノフの「チェロ・ソナタ」と祖父でロシア帝国領キシナウ(現在のモルドヴァ共和国)に生まれたユリウス・イッセルウス(1888ー1968)の「チェロとピアノのためのバラード」を聴いた。アンコールもそこそこに東京のサントリーホールへ移り、中央アジアに立地しながら旧ソ連の一角だったウズベキスタン共和国出身の若手、アジス・ショハキモフが指揮する東京交響楽団第703回定期演奏会を午後6時過ぎから聴いた。メインはプロコフィエフの「交響曲第5番」。


イッサーリスは往年の名手ザラ・ネルソヴァの愛器だったストラディヴァリウス「マルキ・ド・コルブロン」にガット弦を張った温かく柔らかな音色でロシア音楽の威圧感を取り除き、内側に隠された歌心や微かな息遣いを余すところなく引き出す。ショスタコーヴィチの刺々しさ、ラフマニノフの過度のロマンティシズムを注意深く避け、チェロ音楽の「兄弟たち」の根幹に流れるロシアの太い水脈を浮かび上がらせる。とりわけモダニズムよりモーツァルトを思わせる軽やかさ、無邪気さで際立つプロコフィエフの豊かな才に目をみはった。


現在33歳のショハキモフは2021年9月1日、フランスのストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就いた。オケともども「エラート」レーベルと契約したのを受け、ワーナーミュージックジャパンの依頼でリハーサルを見学後、インタヴューも行った。2010年、ドイツのバンベルク交響楽団(当時の首席指揮者は現在の東響音楽監督、ジョナサン・ノット)が主催するグスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで第2位を得て以降、「西のヨーロッパ」の活動を本格化。「タシケントの音楽学校には旧ソ連系の厳格な独裁者タイプの先生しかいなかったので、西の〝民主的〟な指揮者と楽員の関係に最初は驚いた」と笑う。リハーサルの段取りも含めて発展途上の印象は否めないが、オーケストラでヴァイオリンを弾いた経験もあり、明るい音色で切れ味良く、スケールの大きな音楽を造型する。


若い指揮者が「プロ5」を指揮すると、両端楽章の爆音と疾走感で勝負しがちのところ、ショハキモフは全体を弦主体の柔らかく暖色系の色に整え、第3楽章の抒情的なアダージョで音楽面の頂点を築いた。経験不足を補い、より充実した響きで応えた東響の献身ともども、プロコフィエフの抒情美を満喫できた45分間だった。あり余る楽想のアイデアをショスタコーヴィチのように切り詰めず惜しげなく振り撒きながら、基本陽性の音楽を朗々と歌わせる天才性に超遅ればせで思い至ったこの日は、「僕のプロコフィエフ記念日」となった。

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