• 池田卓夫 Takuo Ikeda

1992年生まれの日本語オペラ「森は生きている」と「キジムナー時を翔ける」

更新日:2月25日


オペラシアターこんにゃく座創立50周年記念公演第1弾の林光(1931ー2012)「森は生きている」と、日本オペラ協会の日本オペラシリーズNo.81の中村透(1946ー2019)「キジムナー時を翔ける」。1992年に初演された2つの日本語オペラの再演が同じ週末の東京都内で重なったことに、「偶然」という以上の「必然」を感じた。ともに、もともと自然現象の一部分に過ぎない人間が知性や欲望の過多によって天地創造以来の〝摂理〟を踏みにじったとき、自然から受ける反撃や粛清を描き、教訓を得て再生する人間たちに希望を託す。


1992年3月にドイツから日本へ帰任、東京株式市場の取材に復帰した当日、日経平均株価がバブル崩壊後初めて2万円を割った。2021年2月に3万円台へと戻すまで、30年あまりを費やした。世の中全体、浮かれ過ぎた季節からの覚醒と反省モードが漂うなかで2つのオペラは生まれた。初演はともに成功、以後も演出や楽器編成を変えながら、再演を繰り返してきた。今回はそろって新演出。長期化したコロナ禍もまた、自然界が人類にすえた〝お灸〟だと考えれば、奇妙なほどにタイムリーな上演だ。日本人は29年前に比べ、賢くなったのだろうか? 地球温暖化への対応ひとつ見ても、2つの作品が問いかけるメッセージは今なお有効と言わざるを得ず、優れた上演の感動とともに一抹の苦さも覚えつつ帰途についた。


1)こんにゃく座「森は生きている」(2021年2月19日、世田谷パブリックシアター)


A組出演の初日を観た。台本はサムイル・マルシャークの原作(湯浅芳子訳)に基づき、林自身が書き下ろした。初演時はピアノ1台の伴奏だったが、2000年に滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールの依頼でオーケストラ版(11人編成の室内サイズ)が林の監修、吉川和夫のオーケストレーションで生まれた。今回は台本にも手を入れ、こんにゃく座としてのオーケストラ版再演に当たり、1975年生まれの気鋭、眞鍋卓嗣が新しい演出を施した。


「全然知らない土地の物語を、どうやらオペラに書くことができたっていうことのもとになったのは、ぼく自身の、特に10代から20代にかけてのたくさんの経験、たとえばプーシキンをはじめとするロシアの様々な文学と民話と、それからたとえばリムスキー=コルサコフとかチャイコフスキーをはじめとするロシア・オペラの作者たちの書き方っていうか、オペラに対する態度っていうか、そういったものがどれだけ基礎になっているかということを、あらためて感じるわけですね」ーープログラムに再掲された初演2か月後の林の講演にある通り、今なお日本人が独特の愛着、ノスタルジーを抱くロシアの文学や音楽の感触を演じ手と観客の双方に対する導入剤として巧みに生かしつつ、稀代のメロディーメーカー林ならではの歌芝居へ見事に昇華させている。眞鍋は「これまで以上に私たちが自然の摂理に抗えないことを痛感させられる時代に突入している」の問題意識で、「私たちはどう生きるのか。何が幸せなのか…」を考えながらも、ミュージカル風の楽しさを前面に打ち出した。表現の芯が一本きちんと通っている点で、昨年の東京二期会のオペレッタ「メリー・ウィドウ」(レハール)新演出よりも遥かに優れた仕事ぶりといえ、真価を見損なわないで済んだ。


寺嶋陸也の指揮、11人の器楽奏者は〝座つき〟に等しい常連ぞろいで、林の音楽の色あせない魅力を最大限の精度と生気で再現した。歌手の日本語は変わらず明晰だ。貧しいが真実に生きる娘、最初は高慢だが次第に浄化される幼い女王といったキャラクターの描き分けにも隙はない。兵士役のベテラン、大石哲史が相変わらず枯れた良い味を出していた。


2011年の東日本大震災直後、新聞社の文化部員だった私は林にエッセー執筆を依頼した。「核戦争で崩れた劇場の舞台で来る日も来る日も芝居を続ける若者たち」を描いたオペラ「ロミオとジュリエット・瓦礫のなかの」の作曲者なら、被災地に向け何らかの発信が可能ではないかと思ったからだ。林は同年9月に転倒したまま意識を回復せず翌年1月に亡くなったため、これが私が受け取った最後の原稿だ。「とりあえず、チャリティー・コンサートのようなものを開くことは可能だが、私たちは今回、それを超えた何かを真剣に考え、実行しなければならない」と、自戒も兼ねた言葉が何を意味していたのか? 突然の死により幻に終わった新作を漠然と想像するのではなく、後に続く私たちが形をつくらない限り、コラムは完結しない。「森は生きている」の優れた再演を観て、林が課した宿題の重みや、東日本大震災にとどまらない自然の猛威に対し、いよいよ真剣に立ち向かわなければならない。


2)日本オペラ振興会「キジムナー時を翔ける」(2月21日、新宿文化センター大ホール)


ダブルキャストの2日目を観た。沖縄に伝わる森の精で題名役のキジムナーを初日はソプラノの砂川涼子、2日目はテノールの中鉢聡が演じ分けたのも面白い。日本オペラ協会としては1994年の鵜山仁演出、2001年の岩田達宗演出に続く20年ぶり3度目の上演。沖縄県出身の演出家の粟國安彦を父に持ちながら、自身はローマ育ちの粟國淳が「内なる沖縄」の世界と向き合った。1992年の初演以来一貫して指揮をとってきた1941年生まれのベテラン、星出豊が今回もピットに入り、東京フィルハーモニー交響楽団と共演した。作曲者の中村透は北海道生まれながら29歳で沖縄に移住、琉球大学教育学部で教授、学部長を歴任しながら作曲を続け、全国各地の公共音楽ホールの企画運営にも携わる実践型のアーティストだった。実際にお目にかかる機会は1、2度しかなかったが、温かなお人柄が作風にもにじみ出ていて、多くの音楽家たちから愛された。今回の上演は「中村透 追悼」と銘打たれている。


「オペラもまたひとつの神聖な演劇」を座右の銘とする中村は、「キジムナー」にも「オペラらしからぬ」試みを多く仕掛けた。「《歌てぃんでぃ、舞うてぃんでぃ(歌ってごらん、踊ってごらん)》と言うのは、思いが高まったとき、人の心と体を誘うウチナーンチュのキーワードである。言葉で多くを語ろうとはしない沖縄の精神文化の土壌にあって、歌と舞はもっとも効力のある、それだけに嘘をゆるさない表現のメディアでもあるのだ。そんな文化風土のなかで私は音楽舞台劇の仕事に乗り出したのである」と、中村は1994年に記した。作曲の先輩としては、バルトークと林光を尊敬していた。


今回は沖縄県出身の歌手を大勢起用しているが、上演のモーター役を担った強烈キャラクターの芸達者3人ーー秋田県出身の中鉢も群馬県出身の松原広美(オバア=メゾソプラノ)も高知県出身の所谷直生(マサキ=テノール)も皆、沖縄方言のセリフを深い共感とともにこなしている。いずれも長く聴き続けてきた歌手で、健在が嬉しい。他も適材適所の配役で合唱ともども、アンサンブルの密度は高い。郡愛子総監督の前任で日本オペラ協会の創立者、大賀寛(1929ー2017)時代から積み重ねてきた日本語歌唱のノウハウは、こんにゃく座とはまた別の方法論に基づくものだが、とても聴き取りやすい。琉球語から標準日本語への対訳字幕もわかりやすく助かった。時空を超えて沖縄の現在過去未来を飛び交い、時代時代の人々に寄り添うキジムナーのキャラクター自体、作品の寿命を不滅にしているのが面白い。


過去にはSF指向で、スペクタクルを交えた演出もあったが、粟國は美ら海(ちゅらうみ=沖縄方言で「清らかな海」)の青と神秘の樹々の緑を基調に、沖縄の永遠の美(22世紀の間奏曲の場面のみ崩壊)を静かに描き、時代ごとのキッチュな視覚をアクセントとして挿入する。初演29年を経て、古典の価値を持ち始めた作品にふさわしい視覚だった。星出の指揮は作品を熟知しているのはもちろん、随所に深い愛情も感じさせ、長く日本の創作オペラ界に貢献してきたマエストロならではの仕事ぶり。とりわけ随所に引用される沖縄音楽の深い味わいに浸りきることができたのは、幸せだった。初演世代が試行錯誤を経て到達した完成度を次の世代がどう受け継ぎ、不朽のメッセージに磨き上げるかもまた「宿題」である。

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