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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

1918年みつめる福間洸太朗の知の刃


福間洸太朗の存在を知ったのは16年前。クリーヴランド国際ピアノコンクールに20歳で優勝(日本人初)した際の副賞でナクソスが録音、発売したシューマン独奏曲集の音楽性に驚いたときだ。間もなく個人的面識もできて、同じ戌年でも2回り違いのはずが、かなりずけずけ意見を言い合う仲となり、成長の軌跡をトレースしてきた。知的で練り上げられたプログラミングの妙にはいつも、意表をつかれるのだが、以前は企画倒れというか意余って力足らずというか、たぶん素晴らしいであろうコンセプトの全容を伝えきるまでの技(テクニックではなく表現能力)が十分に備わっているとは言い難いケースが多々あった。それが過去2年くらいで急速に満たされ、独創的な楽曲の並びが全体として何を表しているかが明確に伝わるとともに、ヴィルトゥオーゾ(名手)の音の厚み、輝きも増してきている。


9月22日は東京文化会館小ホールで「2公演リサイタル」と題し、昼に「1918年の追憶」、夕刻に「絵画に魅せられて」という1曲の重複もない2つのリサイタルに挑んだ。残念ながら昼しか聴けなかったが、これだけでも十分に満たされた。1918年は第一次世界大戦の終結を受け、欧州社会に深い悲しみと微かな再生への希望が漂っていた時期に当たり、ドビュッシーの没年でもある。福間はドビュッシーの「夢」で始め、バルトークの「15のハンガリーの農民の歌」、ドビュッシーの「月の光」、ヴィエルヌの「孤独」までが前半。後半はシェーンベルクの「中庸の速さで、しかし表情豊かに」という最短の曲からメトネルの「ソナタ《回想》」をアタッカ(切れ目なし)でつなげ、ドビュッシーの「グラナダの夕べ」、デ・ファリャの「ドビュッシーの墓のために」、自身のアレンジを加えた激烈ヴァージョンによるラヴェルの「ラ・ヴァルス」で締めくくった。


ドビュッシー以外はほぼ1918年前後に書かれた作品でまとめ、初の近代兵器投入戦による大量殺戮で多くの命が失われ、ハプスブルク帝国をはじめとして4世紀近く続いたヨーロッパの旧体制(アンシャンレジーム)が崩れ、ドビュッシーが失意の底で病死するような社会状況の下、作曲家たちはどのような音を克明に記したのか、心の痕跡をたどる趣のプログラムは格調高く、感銘深い。中でもヴィエルヌの組曲は4曲それぞれに「幽霊屋敷」「白夜」「幻影」「お化けのロンド」と意味深な表題がついていて、むちゃくちゃ暗く、不気味。そこからシェーンベルクの一撃を経て、ノスタルジックなメトネルへと回帰するあたりの設計、演奏の良さは秀逸だった。




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