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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

福島章恭の静謐な祈り、「独逸鎮魂曲」


福島章恭の姿を初めて目撃したのは1994年、アリオン音楽財団(すでに解散)の音楽賞評論部門(現在のアリオン桐朋音楽賞の柴田南雄音楽評論賞部門)で奨励賞を得たときの記者会見。当時は福島唱貴だった。故・宇野功芳や中野雄らの知遇も得て、しばらくは新書や音楽雑誌などで活発な評論活動を行なったが、元々は桐朋学園大学音楽学部声楽科の卒業。20〜21世紀の変わり目前後から合唱指揮に基軸を移し、福島章恭を名乗るようになった。合唱指揮者・指導者としての福島の有能ぶりを私が認識したのは2015年7月、大阪フィルハーモニー合唱団の指揮者に就任して以降の仕事を通じて。2017年に日本での演奏活動を終えたチェコの大指揮者、ラドミル・エリシュカとのドヴォルザーク「スターバト・マーテル」「テ・デウム」、井上道義指揮のバーンスタイン「ミサ」など、難易度の高い作品でもアマチュア母体の合唱団を見事に鍛え、名演奏の成就に大きく貢献してきた。


2019年2月27日、サントリーホールでの「ヨハネス・ブラームス ドイツ・レクイエム特別演奏会」は大フィル合唱団をはじめ、福島が全国5カ所で指導する合唱団の有志300人近くが初めて東京に集まった記念碑的な演奏会。作品の世界初演150周年の記念でもあり、ブラームスの〝宿敵〟、ワーグナーの「ジークフリート牧歌」との組み合わせで意表をついた。オーケストラは福島が「盟友」と呼ぶ新日本フィルハーモニー交響楽団ソロ・コンサートマスター、崔文洙が率いるヴェリタス交響楽団でオルガンは勝山雅世。独唱にも平井香織(ソプラノ)、与那城敬(バリトン)と実力者が駆けつけた。福島にとっても、サントリーホール指揮者デビュー(合唱指揮を除く)の意義深いステージだ。


「ジークフリート牧歌」はワーグナーが息子(ジークフリート)の誕生にちなんで作曲、「ドイツ・レクイエム」はブラームスが母の死を悼んで作曲という対照について、私の隣席に座った板倉重雄さんは「揺りかごから墓場まで」と形容、「なるほど」と笑ったのだが、すべての演奏を聴き終えた今、板倉さんも意識していなかったであろう深い意味を秘めた〝予言〟のように思えてきた。ワーグナーでも予兆があり、本領発揮のブラームスで一段と鮮明に現れたのは、福島の透徹した死生観と平和思想である。


オーケストラ単独の指揮経験が恐らく豊富とはいえず、楽員の立ち上がりも万全ではないなか、福島は「最も幸せな瞬間の作品」という成立背景を振り返ってもなお「過剰」かと感じる「なだらかさ」「平明さ」に徹する。これは1人の人間の「素(す)」の部分だ。オルガン下のP席いっぱいに合唱団「ヴェリタス・クワイヤ・ジャパン」が並び、ブラームスが始まってもドイツ語の角張った破裂音は控えめに処理され、レガート(滑らかさ)の音楽を貫く。効果狙いの指揮者なら、熱血の爆発を演出する巨大なフーガにおいても、じんわりと柔らかく、ゆっくり頂点を目指す足取りに揺るぎはない。全曲で約70分。ゆったりしたテンポ設定だが、飽きさせる瞬間は皆無、合唱と独唱、最後はオーケストラまでが福島の信じる静謐な世界の奉仕者として一つになり、ホールは巨大な祈りの空間と化した。


すべての響きが天上に消えたとき、1人の人間も素に還り、万感の思いを胸に消えていく。そんな死生観を聴き手の1人として感じ、福島が強い祈りの音楽を通じてワーグナーとブラームスの「和解」まで、やってのけたと思った。2人の作曲家が生きていた時代、さらにそれ以前から、世界から戦争が消えた日は1日もない。音楽を通じた平和への切実な希求も、彼らの演奏にはこめられていた。福島とヴェリタス・クワイヤ・ジャパンは今年6月18日、ブラームスが生まれた国ドイツの首都ベルリンのフィルハーモニーザールに赴き、その名もずばり「特別平和記念コンサート」の名称で「ドイツ・レクイエム」を再演する予定だ。


終演後すぐにも楽屋へ駆けつけ、福島らを祝福したかった。しかし300人の合唱の交通整理だけで大変なうえ、主催をかって出た一般社団法人・国際親善音楽交流協会の関係者でもごった返しているだろうし、何より悠然とした演奏時間で退館時刻が押し、超過料金の発生必至の状況を鑑み、自粛した。ヴェリタス交響楽団のメンバー表を見ると、素晴らしいティンパニを披露した楽員は村本寛太郎。今から18年前の別府アルゲリッチ音楽祭でシャルル・デュトワが東京藝術大学音楽学部のオーケストラを指揮したとき、将来有望な打楽器奏者として記憶にとどめた名前だ。当時の学生コンサートマスターは現在、読売日本交響楽団のコンサーマスターを務める長原幸太。アリオンの記者会見で福島と遭遇してからも四半世紀が過ぎ、音楽と向き合う、音楽の仕事に携わるという営為の息の長さを痛感する。



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