すべて計画通りうまくいく日もあれば、ボタンをかけ違えたままズルズル過ぎる日もある。私にとっての2019年2月23日は滑り出し好調ながら、徐々に調子がおかしくなっていく土曜日だった。ジムで泳ぎ、天ぷらのランチをつくって食べるまでは順調、午後から神奈川フィルハーモニー管弦楽団を聴きに横浜へ車を走らせるときも、首都高速道路は空いていた。横浜みなとみらいで一般道に出て、クイーンズスクエアの地下駐車場に入ったとたん、最初の違和感を覚えて招待状を確かめると、「県民ホール名曲シリーズ」だった。そのまま地上に戻り、県民ホールへ。いつも混んでいる駐車場にもすぐ停められ、遅刻をせずに済んだ。
常任指揮者、川瀬賢太郎が指揮したのはヴェルディの「レクイエム」。同じく神奈川県内にあるミューザ川崎シンフォニーホールで、28歳のロレンツォ・ヴィオッティが東京交響楽団・東響コーラスを指揮した素晴らしい演奏を聴いた5週間後、横浜の神奈川県民ホールで同じ曲を聴くことになった。川瀬は2年前に「アイーダ」全曲の舞台上演を指揮した前後から、ヴェルディに傾倒している。「レクイエム」に関して「《オテロ》《ファルスタッフ》以後のオペラのような作品」といった発言をしていたのも、ネット上で知った。若い指揮者への先入観で「ディエス・イレ(怒りの日)」などの激しさを期待した人も多かったはずだし、実際、かなりの瞬発力・爆発力をみせたが、むしろ静寂な部分のじっくりした掘り下げに「なぜ彼が今、この作品を指揮したかったのか」の真価が発揮されていたように思う。
神奈川フィル合唱団は女声2に対し男声1と見た目の人数の落差に一瞬危惧を覚えたが、演奏が始まった後の音量バランスはきれいに整えられていて、合唱団音楽監督を務める大久保光哉(二期会のバリトン歌手)の丹念な指導と工夫の跡がしのばれた。濱田理恵(ソプラノ)、山下牧子(メゾソプラノ)、宮里直樹(テノール)、妻屋秀和(バス)と独唱にも実力者がそろった。1人だけ極端に年少の宮里の歌唱が宗教音楽の様式をはみ出し、オペラに接近してしまったのは若さ、テノールのメンタリティを考えたら、仕方ないかもしれない。
全員の献身にもかかわらず、演奏全体が「成功」とはいえなかった理由を考えてみる。先ずはホールの音響。世界のマエストロたちが絶賛するコンサート専用のミューザ川崎と比較すれば、神奈川県民ホールは昭和50年代に設計された多目的ホールの平均にとどまり、巨大な容積の割に残響が乏しい。乾いた音の羅列が「レクイエム」の巨大な音響世界の構築を妨げていたことは明らかだ。みなとみらいホールなら、もう少し異なる結果が得られたのではないか?(そこへ吸い寄せられた私の車は正直だ)次にオーケストラや合唱団の力量差を指摘するのも可能だが、実は、あまり気にならなかった。全員の真摯な演奏態度には「来てよかった」と思わせるだけの何かが、きちんと備わっていた。指揮者が全曲を完全に掌中へ収めた段階に到達していないのも明らかだったが、これも将来への期待で埋め合わせがつく。
最も考えたくない要因は、カトリックの宗教音楽に対する(聴衆も含めた)日本人一般の適性ではなかったか。シカゴ交響楽団と「究極の名演奏を達成した」という巨匠リッカルド・ムーティの円熟を引き合いに出すまでもなく、まだ28歳のロレンツォ・ヴィオッティでも自然に感じ、すっきりと再現できる精神面や様式面の感覚は、日本人が多少の勉強をしても得られないものだろう。もちろん欧米にもオペラ、宗教音楽、歌曲の様式を適切に把握し、歌い分けのできる歌手、できない歌手はいる。演奏会が終わって1日近くが経つ今もすっきりしないのは、そうした様式感や技巧を超えたところに存在する「壁」を簡単には認めたくないという自分自身の気持ちなのかもしれない。もやもやを抱えたまま夕食会場に着いたとき、午後6時の開始時間を7時と錯覚して、きっちり1時間、遅刻したことを知った。
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