• 池田卓夫 Takuo Ikeda

音楽の奇跡を現出させたメータ&BPO


ズービン・メータ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の日本ツアーが終わった。2019年11月13日から22日までの10日間に6都市8公演、83歳で杖をつきながらステージに現れ、楽屋以降は車椅子で移動するマエストロだが「いたって元気」(ご本人の弁)であり連日連夜、至高で至福の音楽の奇跡が日本列島を駆け巡った。ベルリン・フィルの来日は1957年以来29回目、韓国や中国を含まない日本単独のツアーは5年ぶりだった。メータは1961年以来共演を重ね、今年2月には名誉楽員となった。自身も1969年に音楽監督を務めていた米ロサンゼルス・フィルハーモニックと初来日して以来、日本デビュー50周年の節目に当たる。会場で販売した公演プログラムには来日に先立つ電話インタビュー、盤歴を交えたこれまでの歩みの拙稿2本が載り、巻末に舞台監督&演出家の広渡勲さんが書き下ろしたメータとの交友記の中にも1箇所、私の名前が出てくる。


曲目は2種類。AプログラムはR・シュトラウスの「交響詩《ドン・キホーテ》」(独奏は第1チェロ奏者ルートヴィヒ・クヴァントと第1ソロ・ヴィオラ奏者アミハイ・グロス)とベートーヴェンの「交響曲第3番《英雄》」で、コンサートマスターはダニエル・スタブラーヴァが表で樫本大進が裏。前者はかつてベルリン・フィルと「歌劇《サロメ》」全曲盤を含む主要作品をソニーミュージックに録音した作曲家、後者は1969年に音楽監督を務めていたロサンゼルス・フィルハーモニックと初来日を果たした際の「思い出の曲」だ。Bプログラムはブルックナーの「交響曲第8番」一本勝負で、コンマスはAと左右が逆の配置。オーケストラはヴィオラ独奏を際立たせるために第2ヴァイオリンとヴィオラを入れ替えた「ドン・キホーテ」も含めて対向配置、メータやコンマスは上手(客席から見て舞台向かって右)から現れた。



日本ツアーに合わせて先行発売した「ベルリン・フィル・レコーディングス」の最新盤「8人の指揮者(小澤征爾、パーヴォ・ヤルヴィ、ヘルベルト・ブロムシュテット、ベルナルト・ハイティンク、マリス・ヤンソンス、クリスティアン・ティーレマン、ズービン・メータ、サイモン・ラトル)によるブルックナー《交響曲全集》(第1−9番)」でもメータは「第8」を担当、2012年のライヴ録音が収められている。逆に言えば「サイン会は購入者限定」とあおり、「この1曲」しか入っていない2万円のボックスを会場でバンバン売る商魂のたくましさは、東西冷戦時代に旧西ベルリン特別市(州と同格)の直営だったベルリン・フィルが東西ドイツ統一後に独立採算の財団に組織変更、メディア子会社(GmbH=有限会社組織)を設立して以降、顕著になった。記者会見もメータ編、メディア編の二本立てで延々と続いた。顔をしかめる人がいても当然だが、楽団の生き残りをかけたビジネスモデルとして、日本のオーケストラにも見習うべき点が多々あるように思われる。


肝心の演奏について、多く書く必要はない。あまりにも夢のような時間、音の洪水に身を委ね、至高の芸術体験をしたのだから。それでは「音楽ジャーナリスト失格」なので、少しずつ記す。「ドン・キホーテ」は枯れきった味わいで、巨大な室内楽を思わせる。スタブラーヴァも加えた楽員のソロも深いクヴァント、活力あふれるグロス、味のあるコンマスと三者三様で、同僚たちの献身的支えが素晴らしい。メータは要所だけを締め、楽員たちとの「対話」をじっくり楽しんでいた。「英雄」はメータがウィーン音楽院在学中、ハンス・スワロフスキー教授から叩き込まれたオーストリア様式(スワロフスキーは第2楽章「葬送行進曲」で実際に作曲当時のオーストリア軍の行進を歩いてみせ、学生にも覚えさせた)の悠然とした指揮にベルリン・フィルが全身弾きで応え、多少の瑕(きず)よりも激しい気迫を優先した大演奏となった。御臨席された上皇陛下ご夫妻も長く客席にとどまられ、指揮者とオーケストラの健闘を祝福していらした(11月20日、サントリーホール)。


ブルックナーの8番に関してはますます、書くことが少ない。第1楽章のクライマックス辺りから「英雄」を上回る熱量が放たれ、「英雄」では勇足が目立った首席ホルン奏者シュテファン・ドールも「神の子」のニックネームに違わない神業を披露。ヴィルトゥオージティ(名技性)の限りを尽くしたスケルツォ、限りなく深い音の森が広がっていくアダージョ、全員一丸で音楽の神の下へと疾走したフィナーレ…と、時間の経過とともにどんどん音楽が巨大に広がって、ザンクトフローリアン修道院大聖堂の「ブルックナー・オルガン」が編み出す音の大伽藍の世界へと回帰していく。オーストリアとプロイセンの幸せな邂逅。それは18歳でインドのムンバイ(当時はボンベイ)からウィーンに留学、以後65年の人生をドイツ=オーストリア音楽に捧げ、ウィーン・フィルとベルリン・フィルそれぞれから名誉楽員に推され、日本の聴衆にも50年間奉仕してきたマエストロ、ズービン・メータが最終的に芸術の神々に祝福され、輝かしい円熟の殿堂に迎え入れられた瞬間でもあった。うち25年間を微力ながらも仕事でご一緒できた1音楽ジャーナリストにとっても、最高の夜だった(11月22日、サントリーホール)。



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