節分と立春、春一番が一気に訪れ、本来なら春の予感に胸おどるはずの2021年2月6日土曜午後。相変わらずマスクをかけ、行く先々で手指の消毒と検温の関所を通過しながらオーケストラの実質定期演奏会を2つ、ハシゴした。そろって日本人指揮者とソリストなのに、受けた印象は大きく異なる。にもかかわらず、私たち東京都民に長く染み込んだ音楽生活のデフォルト(初期設定)のようなものを感じた部分だけは共通であり、妙にありがたかった。
1)新日本フィルハーモニー交響楽団第630回定期演奏会トパーズ〈トリフォニーシリーズ〉(すみだトリフォニーホール))
指揮=阪哲朗、クラリネット=重松希巳江、ファゴット=河村幹子
モーツァルト「交響曲第13番」
J・シュトラウスⅡ「ワルツ《芸術家の生涯》」
R・シュトラウス「クラリネットとファゴットのための二重小協奏曲」
J・シュトラウスⅡ「ワルツ《南国のバラ》」
モーツァルト「交響曲第38番《プラハ》」
アンコール:J・シュトラウスⅡ「ピツィカート・ポルカ」
もともと音楽監督の上岡敏之が振る予定だったプログラム。女性の木管首席奏者2人のソリスト起用も上岡の発案だった。健康上の理由に伴う医師の指示でドイツから日本への帰国を止められ、新日本フィルに戻れない上岡だが、2人のソリストへの思いやりに満ちたメッセージを寄せている(写真)。代役の人選として、今回の阪は最適だった。思い起こせば1993年夏の「札幌芸術の森」野外ステージのPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル)オーケストラ演奏会での〝前座〟をヴァイオリニストの前橋汀子と並んで聴き、グリンカの「歌劇《ルスランとリュドミラ》序曲」だけを指揮した25歳の新人指揮者の才能に驚愕した。終わるなり2人で楽屋を訪ね「あなた、絶対に成功しますよ。頑張って!」と祝福したのが、阪との唐突な出会いだった。京都市出身。当時はウィーン国立音楽大学指揮科で学び、1995年の仏ブザンソン国際指揮者コンクールに優勝して以降はスイスのビール市立歌劇場やドイツのブランデンブルク州立歌劇場、コーミッシェ・オーパーなどのカペルマイスター(楽長)を歴任した。さらにアイゼナハやレーゲンスブルクで音楽総監督(GMD)を務め、ウィーンのフォルクスオーパーやシュトゥットガルト州立歌劇場にも客演するなど、ドイツ語圏の歌劇場でキャリアを積み上げた。2000年には私が審査員の1人を担った第2回「ホテルオークラ音楽賞」をウィーン国立歌劇場専属歌手だった佐々木典子(ソプラノ)とともに授かった。受賞記念コンサートで2人が共演したJ・シュトラウスⅡ「喜歌劇《こうもり》の《チャールダッシュ》」では、カルロス・クライバーを思わせる流麗な棒さばきをみせ、新しい世代の国際派オペラ指揮者の誕生を強く印象づけた。2019年からは日本へ本拠を移し、両親のルーツにあたる山形県で、山形交響楽団の常任指揮者に就いた。
25歳のときから変わらない美点はオーケストラに無理強いをせず、流麗かつ自然なリードで自発性を最大限に引き出すアプローチだ。両端のモーツァルトではタクトを持たず「巨きな室内楽」として極めて美しくエレガント、生気に満ちた音楽を再現した。シュトラウスのワルツ2曲は、偶然にもフランツ・ヴェルザー=メストの十八番(おはこ)で遥か昔にインタビューした際、「みんなが考えているよりずうっと偉大で、深い作品なんだよ」と強調していたのを思い出した。阪の基本アプローチはヴェルザー=メストと同じくシンフォニックだが、タクトを持っての指揮、とりわけ「3つを2つ」に振る感じには、カルロス・クライバーの影響がはっきりと残っていて微笑ましかった。もう1人のシュトラウス、リヒャルトの二重協奏曲でソロを担った首席2人の経歴を読めば、それぞれに輝かしい実績の持ち主であり、演奏も極めて充実。楽団の隠れた「宝」に正しい光を当てる上岡の慧眼を実感した。それぞれの作品の魅力を聴く側も気張らず、普通のテンションで楽しめた点で、もはや30年も前になってしまった自分のドイツ時代の音楽体験にも通じるデフォルトを想起させた。
帰宅後、テレビ東京の「出没!アド街ック天国」を視たら、錦糸町の特集。すみだトリフォニーホールと新日本フィルが錦糸町名物の第2位に食い込んでいたのは、うれしかった。
2)NHK交響楽団「2月の演奏会・NHKホール」(NHKホール)
指揮=尾高忠明、チェロ=横坂源
武満徹「3つの映画音楽《ホゼー・トーレス》〜《訓練と休息の音楽》、《黒い雨》〜《葬送の音楽》、《他人の顔》〜《ワルツ》」
ショスタコーヴィチ「チェロ協奏曲第1番」
ソリスト・アンコール:J・S・バッハ「無伴奏チェロ組曲 第2番 〜《 サラバンド》」
シベリウス「交響曲第1番」
こちらは平成でもましてや令和でもなく、なぜか全面的に「昭和」を感じる演奏会だった。1月27日に1981年生まれの鈴木優人の指揮で聴いた時のN響は昭和と平成、令和のハイブリッドで、伝統のサウンドを基盤にしつつも全く未来志向の響きを現出させた。1947年生まれの尾高はウィーン国立音楽大学で阪の先輩にも当たるが、指揮法の基本は桐朋学園時代の恩師である斎藤秀雄仕込み、機能的にオーケストラを鳴らし、〝最適解〟の響きを連ねていく。シベリウスはとりわけ、尾高が身につけた指揮メソードの展覧会の様相を呈していた。それは、日本にシベリウスを広めた日本フィルハーモニー交響楽団創立指揮者でフィンランド人を母に持つ渡邉曉雄の流儀とも異なり、尾高が英BBCウェールズ交響楽団や札幌交響楽団の音楽監督を務めながら身につけた「寒い国の響き」を基本に置く。華麗なようでいて、実態はほろ苦く、塩っぱい。最初は違和感を覚えたが、解釈が首尾一貫していたので、次第に尾高ワールドの術中にハマって行った気がする。偉大なる昭和の「大いなる幻影」は冒頭、武満(今年没後25年)が自身の映画音楽を編んだ組曲で最大限の説得力を発揮した。
ショスタコーヴィチの協奏曲は20世紀後半のチェロの巨人、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチが1959年に初演した作品だけに、超絶技巧を前面に押し出したヴィルトゥオーゾ (名人)作品として処理される機会が多い。横坂は早熟の才として世に出て、難関のドイツ放送協会連合(ARD)国際音楽コンクール(日本での通称は「ミュンヘン国際音楽コンクール」)チェロ部門で第2位にも輝いた。だが、本来の持ち味は内面にひたすら潜る室内楽的音楽性にあると思われ、帰国後は、sein(実態)とsollen(期待値)のギャップに自ら苦吟しつつ、かなり地味な位置に後退しているようにも思えた。客席から見る限り、かなりの「あがり症」で、在京オーケストラのソリストに起用されてもなかなか真価を発揮できない風情を気の毒にも感じていた。今日のショスタコーヴィチにスラーヴァ(ロストロポーヴィチの愛称)的な世界を期待した人は当惑したかもしれないが、私には横坂がしばらくの間のトンネルを遂に抜け、表現者として新たな領域に進んだ証の音楽として、とても素晴らしく響いた。こけおどしの要素まるでなくして巨大なNHKホールの隅々まで伝わる音を介し、作曲者の肉声を〝つぶやき〟のように絞り出していくアプローチには、強い説得力がある。同い年の宮田大ともども、このところ充実著しい日本人男性チェロ奏者たちの「お兄さん」格として、今後のさらなる活躍に期待したい。
尾高はベテランらしく、横坂の不安を巧みに取り除いて弾きやすい環境を整える以上の積極的な音楽で支えた。ホルンの福川伸陽が「もう1人のソリスト」といえる大活躍で耳を惹きつけたが、全曲を通じ、ゲスト・コンサートマスターの白井、首席クラリネットの伊藤の「ダブル圭」のソロも非常に見事だった。私たちが長く慣れ親しんだ「あのN響」のサウンドアイデンティティー、日本人音楽家のデフォルトをまじまじと体感する。「日常」がことごとく否定されるコロナ禍の日々にあって、これはこれで、味わい深い音楽の時間だった。
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