• 池田卓夫 Takuo Ikeda

豊穣の秋の徒然なる音楽散歩〜琵琶からヴァイオリン、オーケストラ、ピアノへ


それぞれ、熱心な聴衆がつめかけた

世の中が少し落ち着き、演奏会の数も客入りも急速に上向いてきた。コロナ禍中を通じて立証された日本人演奏家の充実もまた、「豊穣」といえる演奏会の成果に現れている。色とりどりの作品に耳を傾けつつ、徒然なるままホールをはしごする楽しみもまた、格別である。


11月4日午後2時には東京オペラシティ、今年末に一旦閉鎖の決まったコージーな演奏空間「近江楽堂」で「中村かほる 楽琵琶コンサート 音とあそぶ 心をひらく」を聴いた。共演はユニット「kishun」を組む笙の名手、石川高。「更衣」「越天楽」などの雅楽古典曲に芝祐靖「王昭君」、山本和智「雨の海」(初演)、北爪道夫「佇む花」(同)の同時代作品を交えた休憩なし1時間のプログラム。全く馴染みのない楽器、音楽ながら、目を閉じて耳を集中させると、音符すくなく響きも切り詰められた中から悠久夢幻というか、自由なファンタジーが徐々に広がっていく。ただただ聴き入り、心身のリフレッシュを達成した。


11月5日は平日金曜日ながら、無謀?なトリプルゲームを楽しんだ。午前11時30分東京芸術劇場コンサートホール「前橋汀子 ヴァイオリン 秋のデイライト・コンサートvol.8」。8つのヴァイオリン小品の名曲にシンセサイザーの丸山貴幸が編曲した「パリの空の下」「愛の讃歌」など懐かしい旋律のメドレー、アンコールのエルガー「愛の挨拶」までで丁度1時間、こちらも休憩なしの一本勝負だった。前橋が長年のファン層でもある退職世代向けに「明るい時間帯、ゆっくりと楽しんでほしい」との思いで始めた「デイライト」は毎回完売の盛況、昨年はコロナ禍で休んだが、「秋」だけでも8回目の開催となる。客席は前橋と同世代の女性連れ、ごくたまに夫婦連れでいっぱい。さらに脱力が行き届き、ロンドンで調整を終えたばかりのストラディヴァリウスを隅々まで美しく鳴らし、数分の楽曲にありったけの思いをこめ、激しい感情のドラマを描き分ける。もはや「レジェンドの至芸」としか言いようがなく「絶対きっちり1時間で終わる」という執念からテンポも緩急自在、それにピタリと合わせ、なおかつ自分の音楽も主張する松本和将のピアノも見事だった。中学生で始まった私の汀子様「追いかけ」歴もそろそろ半世紀に達するが、まだ何年もの間、あの濃厚な「ツィゴイネルワイゼン」(サラサーテ)を聴けることができると確信した。


午後3時30分日本フィルハーモニー交響楽団に無理をお願いし、本番出席がかなわない第735回東京定期演奏会のゲネラルプローべ(会場総練習)をサントリーホールで聴かせていただいた。このところ急速に共演の機会を増やし、今回が定期デビューに当たる角田鋼亮の指揮でJ・シュトラウスⅡ「ワルツ《ウィーンの森の物語》」(ツィター独奏=河野直人)、コルンゴルト「ヴァイオリン協奏曲」(ヴァイオリン独奏=郷古廉)、フランツ=シュミット「交響曲第4番」という近代寄りウィーン・プログラム。


20代初めで「歌劇《死の都》」のヒットを放った神童ながら、ユダヤ人ゆえナチス支配から米国へ逃れ、ハリウッドで成功を収めたコルンゴルトはヨーロッパ復帰の夢を捨てきれず、映画音楽の主題を後に純音楽へ転用する許可を得ていた。イスラエル・フィル創立に関わった大ヴァイオリニスト、ブロニスラフ・フーベルマンの勧めで終戦の年(1945年)に作曲を始め、1947年にヤッシャ・ハイフェッツが世界初演、アルマ・マーラー=ヴェルフェルに献呈された「ヴァイオリン協奏曲」にも「砂漠の朝」「革命児フアレス」「風雲児アドヴァース」「放浪の王子」などの旋律を転用している。シュトラウス・ファミリー後継世代のオペレッタ作曲家の多くも新天地米国を目指し、ミュージカルの礎を築いた。創立指揮者の渡邉曉雄が日本の指揮者の米国留学第1号で近現代の作品紹介に力を注いだ経緯もあり、実は、日本フィルにはモダン・ミュージックをパリッと演奏するDNAも受け継がれている。郷古のキリッと引き締まり、スタイリッシュなソロと角田の尖った指揮が噛み合い、悲劇の天才作曲家(ウィーン帰還後は米国での成功を妬まれ、クラシック界への復帰の夢半ば、失意の中で亡くなった)の復権を十分に後押しできる水準の演奏が繰り広げられた。


フランツ=シュミットの「4番」は出産のショックで亡くなった実娘へのレクイエムとして作曲、絶望と夢が交錯する実質4楽章構成だが切れ目なく演奏され、冒頭と最後の長大なトランペットソロ(首席のオッタヴィアーノ・クリストフォリが肉厚の音色決める)が「輪」を結ぶ。今年6月29日に同じホールで読売日本交響楽団が常任指揮者セバスティアン・ヴァイグレと演奏したばかり。オペラ指揮者のドラマトゥルギー(作劇術)を基盤に徹底して熱い音楽を繰り広げたヴァイグレ&読響に対し、角田&日本フィルはコンサートマスター田野倉雅秋、アシスタント・コンサートマスター千葉清加の組み合わせで得られる透明度の高い弦の音色をはじめ、作曲構造を鮮明に浮かび上がらせるクールな感触で存在感を主張した。


午後7時からは浜離宮朝日ホールでタカヒロ・ホシノ(干野宜大)「デビュー20周年記念連続リサイタルVol.3 ヴラディーミル・ホロヴィッツ メモリアルコンサート」を聴いた。11月5日はホロヴィッツ(1903ー1989)の命日に当たり、ホシノは毎年、メモリアルコンサートを開いてきた。使用ピアノは1983年、吉田秀和氏が「ひび割れた骨董」と評した1983年のホロヴィッツ初来日時に太平洋を渡り、NHKホールに持ち込まれた1912年製ニューヨーク・スタインウェイ「CD 75」(製造番号156975)。現在はタカギクラヴィアが修復・所有し、朝日ホールに運んだ。強靭なタッチにもびくともせず、輝かしいだけでなく、少しくぐもったような音色で多彩かつ微細なニュアンスの表現にも長けた楽器だ。


前半のショパン「幻想ポロネーズ」、シューマン「クライスレリアーナ」は豪速球型の演奏スタイルと楽器の相乗効果により、非常に入念な演奏解釈の痕跡を感じつつも、個人的には些かの過剰感を拭えなかった。後半は「ホロヴィッツ愛奏曲集」というべき小品、シューベルト「《即興曲D.899(作品90)》第3番」、シューベルト=リスト「《ワルツカプリス》第6番《ウィーンの夜会からの招待》」、シューベルト=リスト「セレナーデ」、ワーグナー=リスト「楽劇《トリスタンとイゾルデ》より《イゾルデ愛の死》」、ドビュッシー「喜びの島」をほぼ一気に弾き切った。本編最後はリストの「《ハンガリー狂詩曲》第13番」をホシノが編曲した「マジャールの歌」の超絶技巧とハンガリー&ロマ風の情趣をバッチリと決め、ブダペストのリスト音楽院留学を終える直前に開いたというデビュー・リサイタル以来の「思い」のたけを感動的に吐露した。楽器の性能と個性を知り尽くし、自身の音楽性&奏法との最良の一致点を押さえ、ピアノ芸術の肥沃な広野を一心に歩むホシノ。その本領は後半において、より端的に現れていた。



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