まだ一般の知名度がない段階、例えば音楽大学や研修所に在籍中か修了直後でコンクール受験に踏み出したくらいのときに知り合った演奏家を何年、何十年にわたって聴き続け、大成をリアルタイムで把握できるのは音楽ジャーナリストの仕事の中で、大きな喜びの一つだ。かつて「私、レコード会社やマネジメント、メディアがプロモーションの予算をつけていないレベルの新人の取材はしないの!」と豪語した同業者の女性がいて、自分はまだサラリーマンだったので「フリーになると生活がかかっているから、これはこれで立派なポリシーだ」程度の反応でスルーしたが、自分がいざ独立して、考えを改めた。今なら「その方針でいる限り、《ジャーナリスト》を名乗らないでほしい。《パブリシスト》なら話は別だ」と言いたい。ジャーナリストは価値の第1創出者ではないが、少なくとも付加価値くらいは生むべきだろう。「無」の状況から新たな才能を素手で見つけ、紹介するのは重要な職責だ。
ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団(KOB)第1コンサートマスターと読売日本交響楽団(読響)特別客演コンサートマスターを兼務しつつ、KOBのメンバーと結成したベルリン・コンツェルトハウス室内オーケストラ(KKB)を率いる日下紗矢子。初めて会ったのは2000年、まだ東京藝術大学音楽学部に在学中だった。同年にヘルシンキで開かれたシベリウス国際コンクールで3位に入った縁で当時の駐日フィンランド大使館のサミ・ヒルヴォ文化・広報参事官自宅ディナーに招かれ、同席した。再会は2009年のベルリン。夏の「ヤング・ユーロ・クラシック」という世界の青年オーケストラの祭典に東京藝大シンフォニーオーケストラ(高関健指揮)が招かれ、KOBのコンマスに前年就任した日下が後輩たちの応援に駆けつけた折だ。すでに結婚して母となり、かつて大人たちに囲まれたディナーの会話で萎縮していたのと同一人物には思えないほどたくましく、気品のある佇まいに目を瞠った。
日本コロムビアから2013年、J・S・バッハ作品集をリリースした際、改めてインタビューの機会を授かり、ドイツのフライブルク音楽大学留学後、故ライナー・クスマウル(クラウディオ・アバドから「期間限定でいいから」と請われ、ベルリン・フィルのコンサートマスターも務めた名教師)教授の下で「ドイツ音楽の解釈を一からやり直した」と聞いた。以後のKOB、読響などでの活躍ぶりは、もはや説明の必要がないほど知られている。
2019年12月9日、東京文化会館小ホールでKKBの日本公演を聴いた。6日の神奈川・フィリアホールから15日の群馬・昌賢学園まえばしホール(前橋市民文化会館)大ホールまで全国6か所を回るツアーが今どき組めるのは、度重なる来日で固めた定評の裏返しだろう。9日は前半がイタリアのバロック音楽でジェミニアーニの合奏協奏曲「ラ・フォリャ」、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲「ムガール大帝」、コレッリの「クリスマス協奏曲」、後半が北欧近代音楽でシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」と日下自身が弦楽四重奏曲を弦楽合奏に編曲したグリーグの弦楽四重奏曲ト短調。アンコールは再びイタリアだが、時代は後半と一致させたレスピーギ、さらにグリーグの別作品と、最後までしっかり考慮されたプログラミングにドイツのチームの生真面目な論理性を感じた。
だが演奏は、全く四角四面ではない。普段からオーケストラで弾く同僚たちの深い信頼関係を基盤に、極めて自発的で精細に富む響きが広がった。バロックはピリオド(作曲当時の)奏法も念頭に置いた手堅い様式感を備え、シベリウスやグリーグは普段フル編成のオーケストラでも弾き慣れた作曲家の強みが生きた。日下のリードも音楽の感興に沿った自然体ながら、ソロでは次第にヴィルトゥオーゾ(名手)の資質を明らかにして、聴き応え十分だった。グリーグの編曲のセンスも、なかなか優れたもの。客席の反応が熱かった。
翌10日は東京オペラシティ文化財団主催の息の長い若手&中堅紹介シリーズ「B→C バッハからコンテンポラリーへ」の第217回、バリトンの駒田敏章とピアノの居福健太郎の歌曲デュオリサイタルを東京オペラシティリサイタルホールで聴いた。駒田の美声と確かなドイツ語の発音、演技に初めて接したのは2014年夏、パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)札幌での沼尻竜典指揮「ナクソス島のアリアドネ」(R・シュトラウス)の音楽教師役だった。当時、「日経電子版」に書いた拙稿を再掲しておく。
ピアノの居福とは2007年、東京音楽コンクールのピアノ部門で第3位を獲得したとき、本選審査員の立場で知り合った。勉強熱心でお人好し、協奏曲のソロで勇み足が目立ったため3位にとどまったが、音楽性は抜群だった。以後も様々の場所で出くわし、同業の小菅優と結婚してからは夫婦そろっての遭遇も増えた。何年か前、ゲーテの「野ばら」の詩に作曲した100曲以上の歌曲(リート)を紹介するコンサートで居福がピアノを受け持ち、アンサンブル奏者としての極めて優れた資質も知った。果たして、かねて親友という駒田と2人して編んだ超レア&高難易度のプログラムに鋭い切り込みで立ち向かい、圧巻の成果を上げた。
冒頭写真のプログラム冊子に書かれた通り、アダムズ最初のオペラ「中国のニクソン」(1987)のアリア、ローレム、デル・トレディチの歌曲と3人の米国人作曲家を前半、シリーズ必須のJ・S・バッハからピアニストのブレンデルの詩に作曲したアデスとバートウィスル、コルンゴルト、ヴァイル、アイスラーと欧州の作曲家を後半に並べ、最後に再びアダムズのオペラ「ドクター・アトミック」(2005)のアリアで締める獰猛なラインナップだ。
駒田は相変わらず光沢のある美声で難題に正面から向き合う。半面、すべてが直球勝負で全身全霊を注ぐ結果、作曲家や時代ごとの音色の差異があまり出ないというリスクも負った。発声もオペラ寄りで、顔の前の方に響きを集めるのを基本としたため、せっかく舞台後方に日本語の対訳字幕を投影したにもかかわらず、テキストのディクションを聴き取りにくい箇所があったのも、今後の改善に期待したい点だ。近現代作品を自身の演奏解釈として消化&昇華するのに多くの時間を費やしたのは当然であり、バッハの詰めが甘くなったのは仕方がないかと。
アダムズ歌劇の2つのアリアの傑出した歌唱を披露したことを思えば、駒田の本籍地はやはり、オペラの舞台なのだろう。テノールの音域もこなせそうなハイ・バリトンの美しい声が逆に、お父さんや王様、重厚な敵役といったバリトンのセンターゾーンに位置しない故の苦労も多かろうと察するが、並外れて知的な解釈力を生かし、さらに大きな舞台に羽ばたいてほしいと願う。駒田が最後、客席に語りかけた。「このような曲目でしたので、本日のアンコールはありません」。はい、当然です。素晴らしいデュオに乾杯!
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