• 池田卓夫 Takuo Ikeda

藤倉大「アルマゲドンの夢」〜コロナ禍の時代に新国立劇場が放った傑作オペラ


2020年11月18日。2回目の上演を観てから約90分、いまだ色々な思いがこみ上げてきて「冷静な批評なんて、書けるのか?」と自問自答が続く。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で世界のオペラハウスが瀕死の状態にあるなか、日本の新国立劇場オペラが音楽史に残るであろう傑作を、今時ありえない国際チーム総力戦により世に送り出した快挙を目の当たりにして心臓がバクバクした。しかも、目下の時代精神を見事に反映している。


ハリー・ロスの台本、藤倉大の作曲による「アルマゲドンの夢」。アルマゲドンまたはハルマゲドンとはキリスト教の思想で、「世界の終末における最終決戦の地」を意味する。新国立劇場オペラ芸術監督の指揮者、大野和士が藤倉に「現代に関連した物語」の作曲を打診したのは3年以上も前。まだCOVID-19など、影も形もない時だった。藤倉は英国人H.G.ウェルズが1901年に発表したSF短編小説「世界最終戦争の夢」を原作に選び、学生時代から20年来の盟友で元は声楽専攻だった詩人&オペラ台本作家の英国人ロス、同じく声楽から演出に転じ、ザルツブルク音楽祭の「魔笛」(モーツァルト)で一線に躍り出た米国女性リディア・シュタイヤーとチームを組んだ。完成品は9つのシーンからなる休憩なし90分。


10月の劇場再開第1作「夏の夜の夢」(ブリテン)でも思ったが、新国立劇場は日本語と英語2種類の字幕を表示するので英語オペラの場合、オリジナルの台本をそのまま読めるメリットがある。ロスの台本は日本の中学〜高校程度の英語力でも理解できる平易な語彙を丹念に選りすぐりつつ饒舌を戒め、最少限の語数で深く、シンボリックな世界を描く。音楽に語らせた方が説得力があると思しき場面では潔く言葉を慎む点でも、オペラを良く知る台本作家だ。藤倉の管弦楽も迫り来る恐怖を過度に生々しく描かず繊細さと情感に富み、オペラ界の膨大な文化遺産も巧みに援用しながら耳を惹きつけ、「ここぞ」というドラマの肝(きも)の瞬間だけ、爆発に至る。何が言いたいかといえば、ダラダラ説明的な台本と、ただ情緒的な劇伴か歌を無視した咆哮かの両極端に堕しがちな管弦楽の不幸な結合の某国創作オペラを長年「聴かされて」きた観客の1人として、久々に胸のつかえが下りたということだ。


シュタイヤーと照明のオラフ・フレーゼ、映像のクリストファー・コンデクのチームは新国立劇場の舞台機構をフルに生かし、「夢か現(うつつ)か」の世界を大胆に視覚化した。キャラクターのクローズアップに過去の戦争、独裁者の映像をオーバーラップさせながら、音楽という表現〝言語〟最大の優位性である「時間の往来」を前面に出し、「かつてあった惨劇は今も起きうる。幸せな時間の背後にも崩壊、終末の危機は常に存在する」との(残念な)真理を克明に説き続ける。集団の暴力はいつも残酷でしかない。悪役のジョンソン、若い英国人にとってはEU(欧州連合)離脱を断行したポピュリストの英首相ボリス・ジョンソンのパロディーだろうが、私たち昭和世代にはベトナム戦争泥沼化を招いた米国第36代大統領、リンドン・ジョンソンの記憶も想起させる。とにかく、膨大な感覚の刺激がある。


私がドイツに駐在した時期、キリスト教はカトリックとプロテスタントの別を問わず、身近なところに存在していた。帰国後、クラシック音楽と仕事で接するようになって以降は一定のキリスト教理解も必要だが、自分自身の根幹は依然、仏教にあると感じている。藤倉が何の宗教の信者なのか無宗教者なのか、まるで定かではないが、「アルマゲドンの夢」には、単なる信仰を超えたところでの「信じる」「信じない」の心理の相剋(そうこく)が明確に記されている。大詰めのボーイソプラノ独唱が神の残酷を時に賛美、時に告発しつつ、最後に「アーメン」と唱えた直後に照明が暗転し、幕を閉じる瞬間まで相剋は続く。これを「日本人作曲家ならではの宗教観かもしれない」と思ったのは、遠藤周作の同名小説を原作とする松村禎三のオペラ「沈黙」に共通する何かを嗅ぎとったからだ。安土桃山から江戸の時代にかけて日本の一部に広まったキリスト教が弾圧され、多くの殉教者を出した歴史にカトリック総本山バチカンは長く関心を示さず、正しい認識に転じたのは比較的最近のことだ。「アルマゲドンの夢」は、「沈黙」以来の「神への疑問」を日本から世界に突きつけた。


大野の指揮は古巣(現在は桂冠指揮者)の東京フィルハーモニー交響楽団のポテンシャルをフルに引き出し、間然とするところがない。新国立劇場合唱団(冨平恭平指揮)も透明な響き、明快な英語発音で信頼に値する。時代に翻弄される「普通の人」、クーパー・ヒードン役のピーター・タンジッツ(テノール)、ジョンソン・イーヴシャムとフォートナム・ロスコー役のセス・カリコ(バス・バリトン)の米国人男性2人、夢の中の世界のヒロインで非業の死を遂げるヒロインのベラ・ロッジア役を担うオーストラリア人ソプラノのジェシカ・アゾーディはそろって新国立劇場デビュー。それぞれのキャラクターを芯の入った美声、適確な演技力で生々しく造型した。ジョンソンの配下ながら最後は悲哀を味わうインスペクター役の加納悦子(メゾソプラノ)、怪しげな宴会場の歌手(ドラァグクイーン)と拷問死に至る冷笑者の2役を兼ねた望月哲也(テノール)の日本人2人も見事だった。兵士を演じるTOKYO FM 少年合唱団のメンバーも「夏の夜の夢」に続き、高度に洗練された音楽性と歌唱力を示した。新作の世界初演に関わった全員が何か、いまだ解決しない突然の理不尽=パンデミックに対する特別な感情を共有する稀有の上演。もっと多くの人に観てほしい。

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