2021年6月9日。首都圏は本当に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大防止の緊急事態宣言の実施期間中なのだろうか? 平日水曜だというのに朝、昼、夜とフルサイズ2時間のコンサートを3つも聴くことができた。いずれも若い力にあふれ、パワーを授かった。
1)葵トリオ(2021年6月9日11時、彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール)
秋元孝介(ピアノ)、小川響子(ヴァイオリン)、伊東裕(チェロ)、林田直樹(お話)
エルガー「愛の挨拶」(ピアノ三重奏編曲)
モーツァルト「ピアノ三重奏曲変ロ長調K.502
メンデルスゾーン「同第2番ハ短調作品を見て66」
アンコール:ベートーヴェン「同第1番変ホ長調作品1-1」から4楽章プレスト
平日午前11時開演、埼玉県出身&在住の林田さんがナビゲーターを務める「イレブン・クラシックス」の第3回。2018年の第67回ドイツ放送協会連合(ARD)国際音楽コンクール(日本での通称はミュンヘン国際音楽コンクール)ピアノ三重奏部門に優勝した葵トリオが出演した。プログラムに「日本人団体として初」とあるのは間違い。1970年、全員が日本人だった時期の東京クヮルテットが優勝しているので「日本人団体として48年ぶり」が正しい。拙宅最寄りの品川シーサイド駅(りんかい線)から与野本町(埼京線)までは直通電車の快速で55分、徒歩を加えて80分くらいで着く。客席は地元在住のシニア層が中心だ。
トークでは「音の風景画家」と呼ばれたメンデルスゾーンがまさにターナー、コンスタブルら風景画家たちと時代を共有、ロマン派音楽の絵画性を指摘したパートが興味深かった。
葵トリオのライヴを聴くのは2年ぶり。この間のコンサート、レコーディング両面での評価や人気の急上昇に伴う演奏機会の拡大がアンサンブルの緊密と洗練の度を高めたのは明白で、朝っぱらから極上の室内楽を聴けた。モーツァルトの引き締まったスタイル、メンデルスゾーンのパッションの放射の対照も見事。小川のヴァイオリンには独特の妖気が漂い、伊東のチェロが自在な低音で肉声のように響くなか、秋元のピアノが確かな形を与えていく。今後レパートリーを広げていく際、コルンゴルトや矢代秋雄らのトリオも手がけてほしい。
2)第511回日経ミューズサロン「ヴィタリ・ユシュマノフ バリトン・リサイタル」(6月9日14時、日経ホール)
ヴィタリ・ユシュマノフ(バリトン)、山田剛史(ピアノ)
私の元勤務先は堅い会社らしく前後左右に空席を置く〝市松模様〟の発券を厳守、ヴィタリ人気に対応して昼夜2公演を設けたので、昼の部を選んだ。プログラムは別掲の通りでイタリアオペラのアリアとロシア、日本、イタリアの歌曲が演奏された。アンコールはアメリカ映画「慕情」(1955)の主題歌で意表を突いたが、作曲者サミー・フェインはプッチーニのオペラ「蝶々夫人」のアリア「あれ晴れた日に」を「参考にした」と語っているので、本編との関係性がないわけではない。
ヴィタリはサンクトペテルブルク生まれのロシア人で、ライプツィヒのメンデルスゾーン音楽演劇大学に留学。2013年に初めて東京で会った時はドイツ語で会話したが、2015年、日本を本拠と定めてからはメキメキ語学力を発揮して、今や漢字の読み書きまでマスターするに至った。コンサートでも日本語で客席に語りかけ、日本の歌のCDまで出している。この1年はコロナ禍で来日できなくなった外国人歌手の代わりにオペラの主役・準主役を務める機会も急増し、どんどん歌の押し出し、存在感を増してきた。
ロシア人歌手への先入観を覆す明るく、高く伸びる美声の持ち主。今は持ち声の良さで勝負している段階のためか、やや力で押す傾向がある。せっかく長身に恵まれているのだから、全身を無理なく共鳴させる発声テクニックを体得すれば、もっと柔軟な表現力を獲得できるはずだと確信する。現時点の発声だと日常会話が可能な言語、ロシア語と日本語の響きは自然な半面、イタリア語はこもりがち(インゴラート)で歌詞を聴き取るのが難しくなる。それでも共感度の高い低いで、結果は大きく変わる。最後に置かれ、内容を延々と日本語で説明してから歌うほど入れ込んだトスティ「アマランタの4つの歌」は見違えるように精妙な出来栄え、イタリア語レパートリーにおける今後の展開を期待させるに十分な熱唱だった。
山田は私が東京文化会館などの主催する東京音楽コンクール本選審査員だった時期の2007年、ピアノ部門で第1位に輝いた第一級のソリストながら無類の歌好き。ヴィタリの活動を早くから支えてきた。今回も楽器の蓋を全開にして豊かなソノリティを確保しつつ、決して声をマスクしないコントロールを効かせ、「デュオ」のクオリティを適確に保った。
3)「辻井伸行✖️三浦文彰 ARKシンフォニエッタ オール・ベートーヴェン・プログラム」(6月9日19時、サントリーホール)
三浦文彰(ヴァイオリン&指揮)、辻井伸行(ピアノ)、ARKシンフォニエッタ(コンサートマスター=三浦章宏)
ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」「ピアノ協奏曲第5番《皇帝》」
アンコール:「ピアノ・ソナタ第14番《月光》嬰ハ短調作品27ー2」〜第1楽章(辻井)
ARKクラシックスはサントリーホールがヴァン・クライバーンの辻井、ハノーファーの三浦と、ともに難関として知られる国際音楽コンクールで2009年の第1位を得た若手スターを前面(アーティスティック・リーダー)に立て、2018年に始めた10月の都心型音楽祭。2020年もコロナ禍の中で開催に漕ぎ着け、今回はアンコールの意味をこめた特別公演となる。オーケストラは主に在京楽団の首席クラスを集めた腕利き集団。当夜のコンサートマスターは三浦の実父、章宏(東京フィルハーモニー交響楽団)で奇しくも還暦の誕生日当日。赤いマスクを着けて舞台に現れた。8型(第1&第2ヴァイオリン各8人、ヴィオラ6人、チェロ4人、コントラバス3人)の小編成にもかかわらず、ものすごく輝かしい音を放つ。
ソリスト2人の力量は知り抜いている。それでも毎回「驚き」「発見」を与えてくれるのが、伸び盛りの演奏家の良さだ。今夜はとりわけ、文彰の指揮者としてのポテンシャル(潜在能力)に目をみはった。ヴァイオリン協奏曲は当然〝弾き振り〟だったが、楽器を片手に長い前奏を振りだして間もなく、生気と推進力に富み、求心力にも事欠かないアンサンブルの出来栄えにびっくりした。ストラディヴァリウスの名器から限りなく美音を引き出し、くっきりと形を与えていくソロはもちろん、管弦楽の熱気も含め、早くからウィーンで学んだ三浦にとってのベートーヴェンは時空を超えて「生身の作曲家」なのだという実態をまざまざと体現した。第1楽章のカデンツァも奇を衒わず、ウィーン生まれのヴァイオリニスト、クライスラーが作曲した定番だった。
辻井の《皇帝》は過去に聴いた記憶があるが、進境が並外れて著しかった。透き通る弱音、アロマのように広がる倍音は早い時点から魅力として存在したが、今回は音量とソノリティの豊かさで刮目すべき飛躍を示した。名人アンサンブルゆえ指揮者なし、と思い込んでいたら指揮台が置かれ、三浦がタクトを携えて暗譜で振り始めた。con brio(活気をもって)というイタリア語の音楽用語が脳内を満たす以外に選択肢がないほど活力にあふれ、ベートーヴェンが生涯持ち続けたエネルギーの「若さ」を徹底して引き出す演奏を、2人はやってのけた。アンコールの《月光》第1楽章の心に沁みること! 出入りのアシストも含め、辻井と三浦が不動のパートナーシップを確立したとしか思えないステージマナーも素敵だった。
三浦は余拍(アウフタクト)をたっぷりとって、ヴァイオリニストらしく弦5部それぞれに明確な表情の出も与え、管や打楽器とのコミュニケーションも疎かにしない。28歳でこれだけのリードが出来るのなら、指揮者としては相当に有望だ。2021年10月のARK本編ではモーツァルトの「交響曲第29番」(10日)、「同第41番《ジュピター》」(11日)が辻井独奏の協奏曲の前に予定され、「指揮者・三浦文彰」を〝査定〟する絶好の機会が訪れる。
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