1988年に私が「西ドイツ」時代のフランクフルト・アム・マインに転勤した直後、街中の路上でオペラアリアを半端ない美声で歌いながら歩く長身の日本人と出くわした。NHK交響楽団定期演奏会のテレビ中継で、ハンス・ツェンダーが指揮した自作「無字の経」を独唱していた初演者の吉江忠男だと、すぐに分かった。前年まで12シーズン、フランクフルト・オペラ(市立劇場オペラ部門)の第1バリトンを務め、日本へ帰国、残務処理のために戻ったタイミングで知遇を得た。今年11月の80歳記念リサイタルを「私とのジョイント、東京都内で」と申し出たのは今は亡きソプラノ歌手、佐藤しのぶだった。佐藤は2009年に世を去った二期会創立者の1人、中山悌一(バリトン)を偲ぶ会で弟子の吉江が歌うシューベルトの「即興曲作品90ー3」(2019年没のウィーンのピアニスト、イェルク・デームスが吉江のために自作詩を付け、譜面を送ってきたという)を聴いて惚れ込み、体調を崩すまでの4年間、故郷の長野県岡谷市で精力的に活動する吉江のもと、レッスンに通っていた。
吉江は佐藤の代役を立てず7歳年長のピアニスト、小林道夫と2人、シューベルト作品のみによるリート(ドイツ語歌曲)デュオを2020年11月21日、サントリーホール・ブルーローズ(小ホール)で開いた。前半がバラード、後半が名歌曲集。前半はさらにシラーの詩による「ギリシャの神々」「憧れ」「人質(走れメロス)」、ゲーテの詩による「歌びと」「漁師」「野ばら」「魔王」の2部に分かれていた。後半も歌曲集「白鳥の歌」からの数曲を交えた前半、「月に寄せて」「湖上にて」「羊飼いの嘆きの歌」「ガニュメート」とゲーテ詩の4曲の後半という構成。アンコールは「冬の旅」から「菩提樹」、「美しい水車小屋の娘」から「何処へ?」と、お得意の「3大連作歌曲集」の残り2つに関連を持たせた後、佐藤の思い出を語りながら「即興曲」で締めた。最後のフレーズ、「いつも君のそばにいるよ」(immer bei Dir)を胸締め付けられる思いで聴きながら、私は艶然と微笑む同い年のプリマドンナの姿をはっきり、ブルーローズの舞台下手に見た気がする。
私見では中山と吉江、栗林義信の3人が二期会の枠を超え、終戦後の日本が生んだ3大美声バリトンといえる。吉江はドイツ留学からフランクフルト専属が余りの長期に及び、帰国後は東京での教授・理事ポストに恵まれなかった。半面、八ヶ岳の麓でじっくりと音楽と向き合い、薮内俊弥(バリトン)をはじめとする多くの才能も地元で発掘して育て、80歳の今も声の美しさと音量、深いニュアンスまでとらえ明晰なドイツ語の発音、堂々とした舞台姿をキープしているのは、神が吉江に授けた天啓なのだろう。「まだ何とか、歌っています」の老人力ではなく現役ばりばりの声で、休憩20分を除いた正味2時間!、シューベルトの世界を語り尽くした。ドイツ時代に比べ、ドイツ語を「お話おじさん」的に噛んで含め、じっくりと語りかける傾向が強まっている点には賛否両論あるだろうが、ドイツで磨きをかけ、日本で熟成させたハイブリッド型のリート解釈として、私は全面的に支持したい。
とにかく、歌が巧い。以前よりも伸びと安定を増した高音ファルセットを交え「野ばら」を軽妙に歌った直後、「魔王」で男の子、父親、魔王の3役の声色を迫力豊かに描き分け、名オペラ歌手の圧倒的演技力を示した部分では、「健在」以上の凄みを感じた。素顔の吉江はユーモアのセンスが抜群、絶えず周囲を楽しませるサービス精神に事欠かない。それは、悲劇的な内容のリートを歌っても、どこかに人生肯定的な「救い」を残す解釈とも一致する。
ピアノが達者な某指揮者にシューベルトのリート演奏会への出演を打診したとき、「《魔王》以外なら、何でも弾きます。最近は指揮が忙しくて、ピアノをあまりさらっていないから、《魔王》は難し過ぎるのです」と言われたことがあった。小林はディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、ヘルマン・プライとドイツでの人気を2分した往年の偉大なバリトン歌手たちの伴奏者を何度も務め、いくつかの録音も残している。だが来年1月で88歳、「《魔王》は大丈夫か?」と危惧もしたのだが、全く余計で失礼な心配だった。先ず、まだ「魔王」を弾くだけのメカニックを保っている。さらに、歌に対して出過ぎず引っ込み過ぎず、絶妙の呼吸で音楽的対話を繰り広げるテクニックが神業の域に達している。
吉江と小林のリートデュオを通じ、日本人が西洋音楽に魅せられ、傾倒し、ここまでの演奏解釈を可能にするまでの長い日々にも思いをはせた。素晴らしいシューベルトの午後。
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