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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

河村尚子→花房晴美→鷲宮美幸→福間洸太朗。晩秋「邦人ピアニスト強化週間」


ウィーン・フィル、ベルリン・フィルの来日が重なり、日本のオーケストラも大曲を競うなか、日本人ピアニストの演奏会を5日間で4公演聴き続け、勝手に「晩秋の邦人ピアニスト強化週間」と名付けた。全公演とも満席なのは立派。日程順で、日記風に振り返ってみる。


1)河村尚子「ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ・プロジェクト Vol.4 (最終回)」(2019年11月13日、紀尾井ホール。使用ピアノ=ベーゼンドルファー)

本編=ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第30、31、32番」

アンコール=「同第30番第3楽章の第6変奏」


「まだ32曲のソナタ全曲を弾くなんて、おこがましい」といい、厳選した13曲を4回に分け2年がかりで挑んだシリーズの最終回。フワーッと自然体でステージに現れ、鼻歌でも歌うかのように弾き始め、密やかな肉声から感興の絶頂まで、大きな振幅で描き尽くす。ベーゼンドルファーの性能を極限まで引き出し、ベートーヴェンの闘争と安息の「大河ドラマ最終回」風の3部作のストーリーを丁寧に提示する。表情は時間の移ろいとともに刻々と変化、第30番も本編とアンコールでは全く異なる表情をみせた。日本人の感性、ドイツの理論、ロシアの奏法などが河村の内部で一体に溶け合い、強い説得力を放つ域に到達した。


「ほぼ1年後、同じホールでのリサイタルはモーツァルト、ショパンなど。ベートーヴェン生誕250周年の名演はどうか、他のピアニストの演奏でお楽しみください。本来はアンコールのあり得ない曲目ですが、皆さまとの再会を楽しみにする気持ちをこめて、最後に長大な歌が回帰する30番3楽章の第6変奏を弾かせていただきます」。ツイッターにも書いたが、河村はせっかくアコースティック(生)の音に引き込まれた聴衆の余韻が電気的に増幅された音で台無しになるのを良しとせず、座席数800の紀尾井ホールでも大きく息を吸い込み、しっかりした腹式呼吸で来場のお礼、アンコールの趣旨を告げる。最近は本編中からマイクを舐め回すように握り締め、楽曲解説ならともかく、私的な身辺雑記を延々と喋るピアニストまでいて苦々しく思ってきたので、河村の凛々しさは、とりわけ印象に残る。完走、おめでとう!


2)花房晴美「室内楽シリーズ パリ・音楽のアトリエ〈第17集 20歳の秋〉」

(2019年11月15日、東京文化会館小ホール。使用ピアノ=ハンブルク・スタインウェイ)

本編=ショパン「夜想曲第1、2番」「子守歌」「ピアノ協奏曲第1番(小林仁による弦楽六重奏版編曲)」、サン=サーンス「ピアノ五重奏曲」

アンコール=ショパン「夜想曲嬰ハ短調(遺作)」「練習曲作品10の5《黒鍵》」

共演=木野雅之(ヴァイオリン)、佐分利恭子(同)、百武由紀(ヴィオラ)、児仁井かおり(同)、三宅進(チェロ)、矢内陽子(コントラバス)


2010年、それまで「室内楽は嫌いだった」という花房が心を改め?、長期戦の構えで滑り出すタイミングでインタビューを行って以来、時にはプログラム解説も執筆しながら、長く通ってきたシリーズ。管楽器の輸入会社がスポンサーに付いた回などもあり、かなりマニアックな作品に手を焼く場面もなかったわけではないが、とにかく、多彩な作品群を高水準の演奏で年2回、聴かせていただける楽しみは大きい。今回は久々の王道プロ。長く弾き込んできたショパンをメインに、作曲家自身がピアノの名手だったサン=サーンスの五重奏曲(コントラバス補強の六重奏版。演奏はショパン「夜想曲」2曲の後)を挿入した。


「夜想曲第1番」の冒頭を聴いただけで、音の美しさに耳を奪われ、「今日のコンディションは最高に違いない」と確信した。いつもはロングヘアーのイメージの強い花房が髪を後ろで結いまとめ黒のシックなドレスで現れ、貴婦人に見えた瞬間、長くヨーロッパで活躍した往年の名ピアニスト、原智恵子(1914−2001)のことを思い出した。原はパリ音楽院でラザール・レヴィ(安川加寿子の恩師でもある)に師事して1932年、日本人初の最優秀賞を得て卒業。1937年の第3回ショパン国際ピアノ・コンクールには、これまた日本人初の参加を果たし「聴衆特別賞」を得た。花房は原の約40年後にパリ音楽院で学び、ピエール・サンカンに師事、ショパン「第2の故国」であるフランスに脈々と受け継がれてきた演奏解釈法を若い日々に吸収した。「私、ベトベトしたショパンは好きではないの」と本人が語る通り、左手のしっかりした土台の上に右手を輝かせる音色に磨きをかけ、淡々と歌を紡ぐ。


弦楽六重奏との共演では、サン=サーンスの健闘もさることながら、やはり長く弾いてきたショパンの協奏曲が素晴らしかった。「小ホールの音響、弦の編成を考えて叩き過ぎず、ショパンが楽譜に記した様々なニュアンスの丁寧な再現を心がけた」という。それでもクライマックスに向かってのパッションの放射は鮮やかであり、自分が最初に花房を聴いた当時のグリーグ、リストなどの協奏曲の名演の記憶にも一直線でつながる出来栄えだった。弦のメンバー、特に経験豊富な木野、百武のリードおよびソロの貢献度も高い。


3)鷲宮美幸「ピアノ・リサイタル」

(2019年11月16日、サントリーホール・ブルーローズ。使用ピアノ=ハンブルク・スタインウェイ)

本編=モーツァルト「ピアノ・ソナタ第2番K.280」/ショパン「ワルツ第1番《華麗なる大円舞曲、第7番」「夜想曲第3番」「ポロネーズ第6番《英雄》」/ラヴェル「組曲《夜のガスパール》」/モンポウ「《歌と踊り》第6番」/ファリャ「4つのスペインの小品第4番《アンダルーサ》」「火祭りの踊り」

アンコール=セヴラック「ロマンティックなワルツ」/ショパン「夜想曲嬰ハ短調(遺作)」


普段はチェロの長谷川陽子、ヴィオラのマッシモ・パリスらとの室内楽デュオで聴く機会の多い鷲宮だが、ほぼ1年に1度のペースで自主リサイタルを企画、意欲的な曲目でソロの腕前を公に問う姿勢は「あっぱれ」だ。今年も名曲といえば名曲だが、なかなかこのような並びで聴くことは稀なメニューを用意してくれた。すでに最初のモーツァルトで明らかとなった鷲宮の美点(余談。「美質」という表現を好む評論家もいるが、新聞社からは何故か好まれず、編集段階でいつも「美点」と直していた)は、絶えず「生」を謳歌する溌剌さだ。それは、最後の「火祭りの踊り」まで一貫し、際立ったリズム感の冴えで聴衆を惹きつけた。


秋晴れに咲いた大輪の花のような世界の真ん中にあって、異彩を放ったのは「夜のガスパール」だった。何と表現したら良いのだろうか? 暗く深い地の底から謎の響きたちが浮かび出てきて、さんざん私たちを惑わした果て、何事もなかったかのごとくに消えていく感触。寝不足だったので「寝落ち」したかと錯覚したもの、しっかり起きていて音は聴いている。だが存在しているのは現実界のブルーローズではなく、彼岸と此岸の境あたりの異次元で、どこかしら幽体分離に近い幻覚に支配されていた。明るくハキハキした女の子が突如、霊界の巫女に憑依するような場面。そんな怖い感覚を、一瞬垣間見せたピアニストの奥は深い。


4)福間洸太朗「ピアノ・リサイタル《Leidenschaft》(ライデンシャフト=ドイツ語で《情熱》の意味)」

(2019年11月17日、三鷹市芸術文化センター・風のホール。使用ピアノ=ニューヨーク・スタインウェイ)

本編=山田耕筰「青い焔」(ベルリン特別市&東京都の友好都市提携25周年を記念した追加曲目)/ベートーヴェン「歌曲集《遥かなる恋人に》(全6曲〜リスト編曲)」「ピアノ・ソナタ第23番《熱情》」/シューマン「献呈(リスト編曲)」「幻想曲」

アンコール=シューマン「アラベスク」/ショパン「前奏曲第24番」/クララ・シューマン「ノットゥルノ」(生誕200年記念)


何と「頭の冴えた」プログラムかと思う。ベートーヴェンとシューマン、しかも「熱情」と「幻想曲」の超有名大作を並べ、他と全く異なる印象を与えるピアニストが何人いるだろうか? 「邦人ピアニスト強化週間」とはいえ、邦人作曲家の作品を交えたのも、福間だけ。山田作品は1世紀以上も前の1916年、ベルリン留学直後に「音の流れ」と題して作曲した舞踏詩組曲の第6曲のピアノ・ソロ編曲で「スクリャービンやリスト、ドビュッシーの影響が見られる」という。「からたちの花」や「赤とんぼ」などの歌曲とは一線を画す前衛的な側面をベルリン&東京の友好都市提携25周年、さらに自身が2都を拠点に活動する今に重ね合わせ、リサイタルの幕開けとしたアイデアは秀逸だ。ベートーヴェンもいきなり「熱情」に進まず、「不滅の恋人」との破局から立ち直った時期に書かれた「遥かなる恋人に」のピアノ・トランスクリプション。しかも6曲すべてを聴けたのは収穫だった。


「熱情」は、ここ3年ほどの音のソノリティ(厚みというか量感というか)と音量の充実、左手の堅固な骨格の上で右手が超絶技巧を難なくこなす技の冴えなどが一体になり、稀にみる熱演を繰り広げた。音感が良過ぎて先へ先へと進もうとするあまり、息の浅いフレーズになりがちな傾向は完全に克服され、十分な「溜め」や抑制を利かせながら息長く、聴く者を確実にクライマックスへと導く手腕が備わった。感心するのは「次はこう」「ここは、こうやって欲しい」などと大多数が名曲に抱く期待をつねに満たしつつ、音色や和音の処理の端々に福間独自の個性を刻印する「したたかさ」も大したものだ。個人的には第2楽章の繊細で入念な歌わせ方から形而上的(メタフィジカル)な響きが立ち上り、目に見えないはずの世界が見えてきた錯覚を通じ、ヴィジョナリー=先見の明のような福間の視点を感じた。


第3楽章の激しい追い込みに満足して、休憩後もシューマン〜リスト「献呈」の明確なバスの支え、「幻想曲」の構造的解読など、数々の聴きどころ堪能しながら、私はアルフレッド・ブレンデル(1931ー)全盛期の演奏を思い出していた。「幻想曲」第3楽章では全く余計なことにベートーヴェンでもシューマンでもなく、自分自身の失恋体験を思い出してしまい、「どえらい演奏に出くわしたもんだ」と観念した。


《余談》

日本人ピアニストの水準は「世界的に見ても相当に高く、粒揃いだ」と確認して新しい1週間が始まったとたん、素晴らしいニュースがパリから届いた。

ロン・ティボー・クレスパン国際音楽コンクールのピアノ部門最終選考が16日、パリで行われ、神戸市出身の三浦謙司(26)が優勝、愛知県東海市出身の務川慧悟(26)が第2位に入賞した。藤田真央(21)のチャイコフスキー国際音楽コンクール・ピアノ部門第2位に続く快挙だ。一時は中国、韓国、ロシア勢に押しまくられていた感があったが、ここ何年か日本人、特に男性のピアニストやチェリストに面白い才能が再び増え始め、なかなか楽しみな展開となってきた。

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