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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

桝貴志&佐藤正浩→東條茂子&岡本知也→鐵百合菜・原田慶太楼&東響との週末


桝リサイタルのプログラム、楽曲解説を書いた

2020年9月第2週の土日にも、充実の3公演が聴けた。


1)東急財団「五島記念文化賞オペラ新人賞研修成果発表」、桝貴志(第22回・平成23年度)バリトンリサイタル(9月12日、浜離宮朝日ホール)

佐藤正浩(ピアノ)、三宅理恵(ソプラノ=賛助出演)

中田喜直(寺山修司作詞)「二人のモノローグによる歌曲集《木の匙》」

クィルター「シェイクスピアの詩による3つの歌作品6」

モーツァルト「《フィガロの結婚》からアルマヴィーヴァ伯爵のアリア《私は見ることになるのか召使いの幸せを!》

ロッシーニ「《セビリアの理髪師》からフィガロのアリア《私は街の何でも屋》/フォガロとロジーナの二重唱《それじゃ私なのね》」

ネッスラー「《ゼッキンゲンのトランペット吹き》からヴェルナーのアリア《神よ、護り給え》」

グノー「《ロミオとジュリエット》からジュリエットのアリア《私は夢に生きたい》」(ソプラノ独唱)

チャイコフスキー「《スペードの女王》からエレツキー公爵のアリア《私はあなたを愛しています》」

マスネ「《エロディアード》からエロド王の《幻想のアリア》」

アンコール=バーンスタイン「《ウェストサイド物語》からトニーとマリアの二重唱《トゥナイト》」/リー「《ラマンチャの男》からドン・キホーテの《見果てぬ夢》」

1980年に奈良県で生まれ、大阪音楽大学で学んだ枡は新国立劇場オペラ研修所で中村恵里(ソプラノ)、藤木大地(テノール→カウンターテナー)らと同じく「花の第5期」の一員。2003年の研修所公演《フィガロの結婚》の伯爵、翌年の《こうもり》のアイゼンシュタインを颯爽とこなし、「美声のバリトン登場」を強く印象付けた。五島記念の留学先にはニューヨークを選び、数多くの言語とオペラ、オペレッタ、ミュージカルと広い範囲に対応できる音楽表現を究めた。上に挙げたプログラムを見れば、その成果のカタログといえる。


バリトンとはいえテノールの音域まで自然に伸びる天性の美声。久しぶりにじっくり聴き、持ち前の声にしっかりとした芯が通り、より一層の輝きを放つようになった実態を知って、本当に嬉しくなった。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大に伴い半年以上ものブランクを経ての本番、喜びのあまりの全力投球が100%を超え、150%くらいに振り切れるために小ぶりのホールが飽和する。少しずつ平時に戻れば、弱音から中くらいの音量ゾーンにかけての表現力が増し、より一層の色彩感が出るものと思われる。とにかく美しく、良く響く立派な声である。


森鴎外がドイツ留学中に〝はまった〟オペラ《ゼッキンゲンのトランペット吹き》」は明治の文豪と西洋音楽の出会いを研究する音楽学者、瀧井敬子先生の依頼で山形県長井市(独バート・ゼッキンゲン市の姉妹都市)の日本初演(2006年10月)、埼玉県和光市のNPO法人「オペラ彩」による首都圏初演(2011年1月)の2度、私も制作に協力した。キャスティングにも関わった後者で、主役ヴェルナーを初演者の羽山晃生とともにダブルで歌ったのが枡だった。今回、浜離宮朝日ホールに鳴り響いたヴェルナーの《別離の歌》は過去10年間の精進を立証する絶唱で、見違えるように深い味わいがあった。今は亡き音楽プロデューサー&評論家の日下部吉彦先輩が朝日放送時代に寺山&中田に委嘱した連作歌曲集「木の匙」の全曲を通して聴ける機会は今日、ごく稀となった。枡と三宅の誠実な歌唱で、隠れた名作の全貌を検証できたのは幸いだ。最近はオペラ指揮者の仕事(《ゼッキンゲン…》の初演・再演も彼の指揮だった)が多い佐藤のピアノは、相変わらず立体的で素晴らしかった。


2)東條茂子フルート・ピッコロリサイタル(9月12日、JTアートホール アフィニス)

東條茂子(ピッコロ&フルート)、岡本知也(ピアノ)、横山聡子、東貴美子、白井かんな、塩谷信洋(以上、バスフルート四重奏)

コレッリ「ラ・フォリャ」

バルトーク「ルーマニア民族舞曲」

ダマレ「薔薇の花束」

ドップラー「森の小鳥」

ドビュッシー「《牧神の午後》への前奏曲」

カルク=エラート「シンフォニッシェ・カンツォーネ」

ベリオ「セクエンツァ」

ジュナン「《椿姫》による幻想曲」

アンコール=フォーレ「コンクール用小品」、ルノム「メロディー」

上記の枡のピアニスト、佐藤は会津若松市出身。フルートの東條は福島市の生まれだが、ルーツは会津。佐藤の指揮、私のプロデュースで初演したオペラ《白虎》(宮本益光台本・加藤昌則作曲)の初演(2012年)、再演(2018年)にも駆けつけてくれた。彼女の桐朋学園時代の同級生、中野振一郎(チェンバロ)を通じて知り合い、ジュネーヴ音楽院で師事したフランスの長老マクサンス・ラリューと中野、東條のアンサンブルも過去、何度か聴いた。だが、正面きってのリサイタルに接するのは本当に久しぶり。COVID-19を受けて一時は開催を逡巡したが「間もなく閉館するJT(日本たばこ産業)ホールでもあり、今できる精一杯をお聴きいただくことになりました」という。前半がピッコロ、後半のドビュッシー以降がフルートと楽器を吹き分け、ドップラーでは珍しいバスフルート四重奏と共演するなど、聴衆が単調との印象を受けないように周到な工夫を凝らしたのが、先ずいい。ピアノの岡本は東京フィルハーモニー交響楽団などで「オケ中ピアニスト」(管弦楽の一部のピアノパートを弾く)の実績も積むというだけあって、非常に優れたアンサンブル能力を発揮した。


演奏活動と並行して教育活動にも熱心な奏者なので、基本は一点一画を揺るがせにしない、楷書体の演奏である。だが聴き進めていくうち、このキリッとした造型への志向は教育への配慮だけではなく、もっと根本的な美意識から生まれていることに気づく。東條も私もお酒が好きで会津若松、東京…と杯を重ねてきたけど、ちょうど冷やおろしが出回る季節でもあり、東條の音のイメージは、東北地方の銘酒の数々に共通するキリッと引き締まった辛口の透明感に限りなく近いと、今さらながら思い至った。ようやく漂ってきた秋の気配を彩る、涼やかな音の佇まいに触れて、夏の疲れが少し癒されたような気がした。


3)「ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集第159回」(9月13日、ミューザ川崎シンフォニーホール)

原田慶太楼(指揮)、鐵百合奈(ピアノ)、東京交響楽団(コンサートマスター=水谷晃)

スッペ「喜歌劇《詩人と農夫》序曲」

ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第0番」

ソリストアンコール=ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第19番」第2楽章

プロコフィエフ「交響曲第5番」

昨年末までは1、2度しか聴いたことのなかった原田の指揮をCOVID-19のパンデミック(世界的拡大)以降、かなり頻繁に聴いている。9月には米サヴァンナ・フィルの音楽監督最初のシーズンを迎えたので「来週には一度、米国に戻る」というが、3月からの半年間、日本各地のオーケストラで無観客公演配信に始まり、ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離の設定)満点の小編成による有観客公演の再開、ほぼフル編成への復帰に至るまで、本当によく働いてくれた。とりわけミューザ川崎をフランチャイズ(本拠)とする東京交響楽団(東響)との共演頻度は高く来年(2021年)4月、「正指揮者」への就任が決まった。


4ー17歳まで都内のインターナショナルスクールに通った後に渡米したので「アメリカン」なイメージで語られがちだが、指揮を本格的に勉強したのはロシアのモスクワ。ポーランドをはじめとする東欧音楽に傾倒して相当に通じ、度重なる代役指揮の過程でも旧大陸(ヨーロッパ)の作品の比重が高まりつつある。今回もクロアチアのスプリットに生まれウィーンに出たスッペ、ボンからウィーンに出たベートーヴェンと中欧の2作品、実は〝勝負〟レパートリーであるロシア=旧ソ連のプロコフィエフを並べた。指揮台に上がるなりスッペの金管が鳴るという意表を突く幕開け。「初期ウィーン・オペレッタの優雅な序曲」の先入観を木っ端微塵に打ち砕き、派手な幕開けとした演出には当然、賛否両論が飛び交ったが、昼下がりの睡魔一掃には効果的だった。途中、チェロの長大なソロが現れ、首席奏者の伊藤文嗣が鮮やかな技と輝かしい音色で魅了した。前任者から首席を引き継いだ直後と比べ格段に音楽の恰幅がよくなり、1回ごとに腕を上げる実態に接するのは喜ばしいことだ。


1784年の「ピアノ協奏曲第0番」WoO(作品番号なし)4の調性は変ホ長調。奇しくも同ジャンルの最終モデル「第5番《皇帝》」と同じである。息子を「モーツァルトの再来」として売り出すため、父親が14歳目前のベートーヴェンに書かせた最初の管弦楽作品。肝心の管弦楽パートの自筆譜が失われ、音楽学者ヴィリー・ヘスが1943年に復元した。さすがに「面白い作品」とは言いかねるが、ピアノ協奏曲の領域におけるベートーヴェンがいかにモーツァルトの大きな影響下で、第一歩を踏み出したかが良くわかる習作。和音の重ね方など随所に、後の開花の萌芽をみることができる。独奏の鐵は東京藝術大学音楽学部の大学院博士課程に在籍中、音楽評論のコンクールでも優勝歴がある学究派らしく、ベートーヴェンに必要とされる音の質感を保ち、後の発展の兆しとなる箇所にも丁寧な光を当てた。原田のつくる明るい響きは、10代前半の作曲家の無邪気で溌剌とした世界を巧くとらえていた。


後半のプロコフィエフ「第5交響曲」は第二次世界大戦中の1944年に完成、翌年1月にモスクワで作曲者自身が指揮して初演。「100」の節目の作品番号を持つ。「誰もかれもが祖国のために全力を尽くし戦うなか、自分も偉大な仕事に取り組まなければならないと感じた」といい、作曲の動機には戦争が色濃い影を落とす。確かに第1楽章の打楽器の強烈な連打、ホールを圧する破壊的な総奏(トゥッティ)は戦争の恐怖そのものだが、次第に明るく力強く肯定的な方向へ展開する作風には、プロコフィエフの「自由で幸せな人間、その強大な力、その純粋で高貴な魂への讃美」が込められているという。原田は4日間の入念なリハーサルを通じて東響の音量にかかっていたリミッターを取り払い、旧ソ連の〝国威発揚〟オーケストラ並みに巨大な音圧を(とりわけ第1楽章で)引き出すとともに、第3楽章から第4楽章にかけての繊細な音色の移ろい、軽妙で明るい響きの世界への移行も抜かりなく再現した。終演後、1964年から東響を振り続けている桂冠指揮者の秋山和慶が楽屋に駆け込んできた。「僕も東響ではたくさん、プロコフィエフを指揮してきました。でも不思議なことに《第5》は他のオーケストラばかりで、東響では振っていません。今日の演奏、本当に素晴らしかったですよ」と、秋山は原田の大健闘を絶賛した。


2人の永久名誉指揮者ーー上田仁、アルヴィド・ヤンソンス(マリスの父)に始まり、ロシア=ソヴィエト音楽で大きな足跡を残してきた東響の歴史に、新たなページが加わった。

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