• 池田卓夫 Takuo Ikeda

東京・春・音楽祭2021、ムーティ「マクベス」が示した日本人音楽家の未来像

最終更新: 4月21日


私にとっての「東京・春・音楽祭2021」は4月19日、東京文化会館大ホールの「イタリア・オペラ・アカデミーin東京vol.2 リッカルド・ムーティ指揮《マクベス》」という超弩級の名演奏で、勝手に幕を閉じた。「1人あたり5公演」のプレスチケット枠のうち、12日の「川口成彦(フォルテピアノ)協奏曲の夕べ」は急きょ決まったダニエル・バレンボイム(ピアノ)のオンライン記者会見と重なりキャンセル、4公演を消化した。音楽祭の鈴木幸一実行委員長(IIJ会長)は「厳しい状況だから中止するのではなく、将来に向かって、いかに、音楽祭の灯をともし続けるかが、今春の音楽祭のテーマである」とプログラムに記した。先回りして独自に総括すれば、踏ん張って灯をともし続け、外国人演奏家の来日が大幅に制約されれば即、国内の有能な若手を招き入れた結果、日本の演奏家と聴衆が何10年もかけて吸収し、理解し、それぞれに「かけがえのないもの」となった音楽に、確かな希望と未来像を示し得た稀有の展開だったと思う。4公演の詳細は以下の通り。


1)「Trio Accord」

白井圭(ヴァイオリン)、門脇大樹(チェロ)、津田裕也(ピアノ)

ドヴォルザーク「ピアノ三重奏曲第1番」

マルティヌー「同第2番」

ドヴォルザーク「同第4番《ドゥムキー》」

アンコール:ドヴォルザーク「我が母の教え給いし歌」

(3月29日、石橋メモリアルホール)


2)東京春祭for Kids 「子どものためのワーグナー《パルジファル》」

芸術監督=カタリーナ・ワーグナー、石坂宏指揮東京春祭オーケストラ

アムフォルタス=大沼徹(バリトン)、ティトゥレル=河野鉄平(バリトン)、グルネマンツ=斉木健詞(バス)、パルジファル=片寄純也(テノール)、クリングゾル=友清崇(バリトン)、クンドリ=田崎尚美(ソプラノ)、魔法の乙女たち=横山和美、金持亜実、首藤玲奈、江口順子、助演=山口将太朗、北村真一郎、浅野郁哉

(3月31日、三井住友銀行東館ライジング・スクエア1階、アース・ガーデン)


3)東京春祭のStravinsky vol.8 「ストラヴィンスキーの室内楽 永野英樹と仲間たち」

永野英樹(ピアノ)、川田知子(ヴァイオリン)、松本健司(クラリネット)

ストラヴィンスキー「イタリア組曲」「協奏的二重奏曲」「バレエ音楽《ペトルーシュカ》より《ロシアの踊り》」「ピアノ・ラグ・ミュージック」

アンタイル「ジャズ・ソナタ」

ストラヴィンスキー「タンゴ」「サーカス・ポルカ」「行進曲、ワルツ、ポルカ」「兵士の物語(ヴァイオリン、クラリネット、ピアノのための三重奏版)」

アンコール:「《兵士の物語》より第5曲《悪魔の踊り》」

(4月8日、東京文化会館小ホール)


4)イタリア・オペラ・アカデミーin東京vol.2「リッカルド・ムーティ指揮《マクベス》」(演奏会形式/字幕付)

(4月19日、東京文化会館大ホール)


ムーティ指揮のオーケストラは第1ヴァイオリンだけでも読売日本交響楽団の長原幸太、東京フィルハーモニー交響楽団の依田真宣、東京交響楽団の小林壱成と在京オーケストラのコンサートマスター3人が参加、中木健二がトップに座るチェロには東京都交響楽団ソロ・コンサートマスター矢部達哉の息子である矢部優典も。ホルンに福川伸陽、ファゴットに鈴木一成、トランペットに辻本憲一…と管も素晴らしい顔触れだ。あまりに見事なオーケストラに驚き、真夜中、親しい奏者にメールを出し、ムーティへの率直な感想を尋ねてみた:


「ムーティさん、当然のことながら僕は本当に素晴らしい方だと思います。 日本だと『そんなこと、楽譜に書いてないじゃない』と言われそうですが、ムーティさんのアプローチがその場面、場面にぴたりと当てはまる表現で、全てが自然な音楽になっており、また指揮法にもムダがなく、必要最低限しか出さないし、表現したいと思うところは、むしろもっと強調されるので、こちらもムダ弾きさせられず、バランスも無理せず取れ、これぞ理想のスタイルだと納得させられました。 自然に聴かせることが何より難しいことではありますが、その感覚がずば抜けて素晴らしいですね。 普段オーケストラで演奏させていただくとき、何らかの指揮者の個人的要望を感じることが多いのですが、今回は指揮者の要望ではなく、あくまで作曲家の意図を尊重されているのが、本当に素晴らしいと思います。 素晴らしい機会を頂けて本当に幸せです。 ただ、めちゃくちゃ厳しく、とても鍛えられます(笑)」


ムーティの初来日は1975年。カール・ベームの補佐としてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の日本ツアーに同行、34歳だった。広島公演を指揮する際、招聘元だったNHKのインタビューに「私は1945年8月6日、この街で何が起きたのかを知っています」と語り、ドヴォルザークの「新世界」交響曲を力強く指揮した後のアンコール、ヴェルディの「歌劇《運命の力》序曲」で広島の人々を鼓舞する姿に、深い感銘を覚えた記憶がある。以後、ミラノ・スカラ座とスカラ・フィルハーモニー管弦楽団、ローマ歌劇場、ウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場、シカゴ交響楽団などとともに頻繁に日本を訪れてきた。私もスカラ座やウィーン国立歌劇場などの日本側共催者の社員として何度も会い、2008年にはザルツブルク郊外のご自宅を訪れ、「音楽の友」誌のためのインタビューをする幸運にも恵まれた。


長くオペラの世界に生きてきたマエストロにもかかわらず、見せかけの「伝統」に安住したステレオタイプを潔癖なまでに拒んできた。その背景の1つには、ピアノをナポリ奏法最後の継承者だったフランチェスコ・ヴィターレ、オペラ指揮を職人芸の権化アントニーノ・ヴォットーに師事した正統派ながら、南イタリアのナポリ出身ゆえ、北イタリアのミラノ・スカラ座で1986ー2005年の長期政権を担った時期も、理想の音楽づくりに至らなかった苦い思い出がある。まさかの解任直後は落ち込んでいたが、1年後に再会すると「地位にしがみついていた自分が愚かだった」と漏らし、見違えるように生気あふれる音楽に戻っていた。


今回、東京春祭オケと生み出したのは従来型イタリアオペラの熱く大雑把なカンタービレでも、日本のオーケストラの正確だが幅も奥行きも小ぶりなミニアチュールでもない、全く新鮮なサウンドだった。メカニック的には世界の最先端、どこにも綻びはない。精妙極まりないピアニッシモを聴かせつつ、中くらいの音量と音域のゾーンには歌が存分に動けるプールをつくり、フォルテッシモではドラマトゥルギーのクライマックスとオーケストラのポテンシャルを極限まで引き出す。信じられないほど拡大したダイナミックレンジに描き出されるのは原作者シェイクスピア、作曲者ヴェルディの時空を超え、火花が散るコラボレーションの凄みだ。演出や衣装、装置を伴う上演では味わえない、音のドラマが全てを支配した。


世界的音楽家の多くは売り出し中の若手時代、ツアーの一環で最初は何気なく、日本を訪れる。そして、クラシック音楽の文脈では「新開地」のはずの極東の島国に多数のファンが存在するだけでなく、作品をよく知り、解釈の良し悪しを深い次元で聴き分ける耳を持ち、恐ろしいほどの集中力で接する光景に強い感銘を受け、来日を繰り返しながら人間関係を深めていく。一方、日本人演奏家も明治維新の洋楽本格導入から4代目、5代目…と世代を重ね、ヨーロッパや米国での研さんも常態化するなか、個人単位ではアクセントフリーというか、グローバルスタンダードというか、国籍を超えた水準に到達する名手が増えている。80歳にさしかかったムーティが21世紀の日本で「イタリア・オペラ・アカデミーin東京」を立ち上げ、ヴェルディのスコアの理想的再現に挑む土台には日本人演奏家の進化、日本の聴衆の深化への深い認識と信頼がある。人類普遍の文化遺産をヨーロッパ圏外の音楽大国に浸透させ、未来を託す夢はコロナ禍を通じ、むしろはっきりした形を見せるに至った。


俳優・演出家から歌手に転じた題名役ミケレッティ、夫人役バルトリはともに若く、美声で華がある。バルトリの顎をしゃくり上げる癖を指摘する声もあったが、歌に情があり、亡くなる寸前の発音をはじめ、演技も達者だった。ムーティ組常連のバンコ役ザネッラートは堅実で、可もなく不可もなし。芹澤と城のテノール2人は何とか歌い切った。侍女の北原、医者の畠山が脇役の王道といえる控え目な表現で陰影を描き、健闘していた。イタリア・オペラ・アカデミー合唱団も国内の若手ソリストの集団。コロナ対策で40人に絞ったにもかかわらず音量の不満はなく、イタリア語が明瞭に聴こえるメリットもあった。舞台上演では狂言回しの魔女たちとしての存在感も発揮する女声合唱に敢えてオラトリオ的な静謐を与え、ヴェルディが描く骨太ドラマの証言者のように扱ったのも、ムーティのアイデアだろう。バーナムの森が動き出す「まさかの展開」は地球温暖化に対する自然界の逆襲とも思え、どこまでも音と言葉だけでドラマを紡ぎ、想像力を刺激する演奏会形式の面白さを感じた。


ウィーン・フィルの2021年ニューイヤーコンサート、史上初の無観客演奏で気を吐いたムーティではあるが、背後に東京文化会館大ホールいっぱい(チケット販売開始が8日前だったので満席とはいかないが、かなりの入りだ)の聴衆の気を感じ、同じ空間と時間を共有するライヴの尊さに改めて目を啓かれ、感謝している風情が全身に現れていた。とにかく、久しぶりに「ちゃんとしたもの」「訛りのない世界」の音楽に浸れた満足感は破格である。


「子どものためのワーグナー」の2年ぶり第2作、「パルジファル」も指揮者が日本人に変わり、カタリーナ以下バイロイト組のリモート指示に基づき、太田麻衣子らが演出をつけることで昨年の「トリスタンとイゾルデ」に続く中止を免れた。主要キャストのうち大沼、片寄、友清、田崎の4人は東京二期会の「タンホイザー」(2月)、斉木はびわ湖ホールの「ローエングリン」(3月)に出演していたが、とりわけ「タンホイザー」組の男声の出来は「パルジファル」の方が遥かに良かった。子ども向けなので全体を90分に圧縮、エッチで際どい部分もコミカルな処理でかわし、小編成のオーケストラがワーグナーのエッセンスを手際良く伝える。大人が観ても思わず爆笑してしまう仕掛けが随所にあり、秀逸だった。


Trio Accordのヴァイオリンの白井は、NHK交響楽団から度重なるコンサートマスター就任要請を受けてもウィーンにとどまり、「客演コンサートマスター」を貫く。音楽の都は旧ハプスブルク帝国の首都であり、ドヴォルザークなどボヘミア(現在のチェコ)の文化へのアフィニティ(親和度)も高い。ストラヴィンスキーの室内楽で目覚ましい成果を上げた永野も長くパリを本拠とし、アンサンブル・アンテルコンタンポランのピアニストを務め、フランスにおけるストラヴィンスキーの位置を頭ではなく肌で感じている。ドヴォルザークとマルティヌーの違いよりは同質性を浮かび上がらせた白井、門脇、津田の緊密なチェコ音楽。永野と同じくパリ留学組の松本のクラリネット、練達のアンサンブル・プレーヤーでもある名手川田のヴァイオリンが火花を散らしたストラヴィンスキー。日本人だけの室内楽もそれぞれに最適の再現者を得て、易々とグローバルスタンダードをクリアした。バブルの時代に日本全国で粗製濫造されたリハーサル1回きり、「とりあえずスコアの縦の線だけ、きっちり合わせました」の本番で「一丁あがり」みたいな室内楽は、完全に過去のものとなった。


2021年の東京・春・音楽祭はコロナ禍の「陰」を稀にみる思考と試行の時間の「陽」へと大胆に転換、内外演奏家のバランスを整え直しながら、音楽の未来への信任状をしかと認めた年として、長く記憶されることになるだろう。ムーティには少なくとも来日50周年、84歳の2025年までは「頑張ってほしい」と1人のファンとしても、切に期待する。

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