• 池田卓夫 Takuo Ikeda

札幌PMF2年ぶり開幕!バーンスタインしのぶ原田&三舩のアメリカ音楽特集


終演後の楽屋で。欧米では歯並びの美しさも重要なポイント。

20世紀後半を代表する指揮者で作曲家レナード・バーンスタイン(1918ー1990)が最後の力を振り絞り、1990年に札幌市で立ち上げた国際教育音楽祭「パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)」は2020年、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)世界拡大のため初の中止に追い込まれた。2021年もコロナ禍は続くが、感染対策に万全を期し、日本国内の演奏家中心のコンサート、世界のPMF教授チームによるリモート指導などを組み合わせ、開催にこぎつけた。「PMF 2021オープニング・コンサート」は7月23日午後3時、改修を終えた札幌コンサートホールKitara(キタラ)で開かれた。米ジョージア州サヴァンナ・フィルハーモニック音楽監督でPMF出身(ファビオ・ルイージが音楽監督だった時期、指揮コースに参加)の原田慶太楼の指揮、ジュリアード音楽院で学んだ三舩優子のピアノによるアメリカ音楽のみのプログラムはもちろん、バーンスタインへのトリビュート。冒頭ではバーンスタイン作曲の音楽劇「キャンディード」の序曲が華々しく奏でられた。


特別編成の「PMFオーケストラJAPAN」の「A」は2020&2021年のオーディションに合格した25人の日本人アカデミー生と日本各地のオーケストラで活躍するPMF出身者、ゲスト奏者で構成、郷古廉がコンサートマスターを務めた。後日、沖澤のどかが指揮する「B」オケにはアカデミー生25人に全国の首席奏者たちが加わる。「A」オケには外国人アカデミー生で日本のオーケストラ楽員となった第1号のジョナサン・ハミル(ホルン=東京交響楽団)、それに続いた日本フィルハーモニー交響楽団のエリック・パケラ(打楽器)、デイヴィッド・メイソン(ヴィオラ)、東京フィルハーモニー交響楽団のチェ・ヨンジン(ファゴット)と、日本のオーケストラで演奏する外国人奏者4人も参加している。


PMF事情に通じた原田の陽気で積極的なリードを得て、久々の札幌で新しい音楽づくりに力を合わせた卒業生と現役アカデミー生の交流が、オーケストラとして実を結ぶまでには「それなりのハードルもあった」と聞くが、本番ではカラッと乾き、しなやかに歌う〝日本人離れ〟したサウンドのアンサンブルが出現した。原田が全身で表現する情熱の爆発や、入念な譜読みで練り上げた繊細で抒情的な部分の人懐っこさは、楽員を大きな音楽の渦の中に巻き込んでいくし、普段おとなしい札幌の聴衆からもダイレクトな反応を引き出す。ガーシュインの「へ調のピアノ協奏曲」第1楽章アレグロが派手な着地を決めると拍手が起き、まだ曲の続きそうな気配にすぐ止まると、原田は客席を向き「拍手してもいいんですよ!」と呼びかけた。ジャージーな曲想を確かなテクニックで描く三舩のピアノともども、演奏者のオープンマインドが一気に会場全体の緊張を解放した瞬間だった。


コープランドの「バレエ音楽《ロデオ》」からの「4つのダンスエピソード」も活力と抒情を兼ね備えた再現。第4曲「ホーダウン」のコーダ(終結部)ではオーケストラ全員の立奏だけでなく、客席方向への前進を促し、第2ヴァイオリン群が派手なパフォーマンスに興じた。PMF初期に活躍した指揮者の佐渡裕もバーンスタインの薫陶を受け、アメリカ音楽を多く指揮するが、京都人の奥ゆかしさが何らかの抑制に作用するのか、東京のインターナショナルスクールから17歳で渡米したコスモポリタン原田のダイレクトな挑発には及ばない。かつて日本を支配した教養主義型のクラシック音楽ファンからは「邪道」「はしたない」「過剰」と批判されそうな振舞だが、そうした聴き手は幸いにも絶滅危惧種に属するし、原田も音楽の内容を掘り込み、嫌味なくスマートにやってのけるので支持が圧倒的に上回る。


すっかり熱を帯び、耳と心を開き切った状態の聴衆は最後に置かれたガーシュインの「歌劇《ポーギーとベス》」からのポプリ(接続曲)である「交響的絵画」(ロバート・ラッセル・ベネット編)に編まれた「サマータイム」など数々の名旋律を深く味わい、それぞれにこめられたメッセージの何かにも思いをはせることができたはずだ。演奏会の随所で聴かれた郷古の美しく引き締まったヴァイオリンをはじめ、ソロパートがそれぞれ名人芸の域に達していて、原田も起立を促し健闘をたたえた。アカデミー生だけの起立も、好ましかった。


バーンスタインが第1回PMFの3か月後、1990年10月14日に亡くなった時、私はフランクフルトから東西ドイツ統一(10月3日)直後のベルリンに出張中だった。PMF発足時最大のスポンサーだった野村證券のベルリン駐在員事務所開設披露パーティーに出かけると、東京証券部在籍中にインタビューしたことのある田淵義久社長(当時)が現れた。「バーンスタインがいなくなったら、PMFから手を引くおつもりですか?」 若い(当時)新聞記者らしい不躾な質問をぶつけたら「ばかやろう!」と一喝された。「私自身が直接握手した〝男と男の約束〟を簡単に破ったりはするもんか」と言葉を足され、東京朝刊に記事を送った。


前後して起きたバブル経済崩壊、その後の「失われた30年」の日本経済衰退を通じ、野村はメインスポンサーの座を退いたが、野村財団は今も助成金を出している。2021年オープニングコンサートの休憩時間、客席の真ん中に今年10月で89歳になる田渕さんの姿を見つけ、声をかけた。1992年に帰国して証券部に復帰した直後、私をPMFと結びつけた小林敦さん(元アサツーDK)も同じ列にいらして、恐らく20年ぶりくらいに言葉を交わした。「大田淵(おおたぶち)」と呼ばれた前任者の田淵節也氏(故人)との比較で「小田淵(こたぶち)」とされた義久氏だが、バーンスタイン本人と結んだ音楽の絆を今も糧に毎年、PMFオーケストラの公演に足を運び続ける姿には、経営者時代とはまた違った迫力がある。

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