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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

旧東独ピアニスト、ペーター・レーゼルが最後に到達した融通無碍&遊びの境地

更新日:2021年11月3日


21世紀の日本で復活した名手

1945年2月13ー15日。ドイツ・ザクセン州の古都ドレスデン市は連合国軍の激しい爆撃を受け、瓦礫の街と化した。2月2日に市内の病院で誕生したペーター・レーゼルの母は産後の肥だちもよく、12日に郊外の実家へ戻った。ドレスデン大空襲では病院も被災、「あと1日、母の退院が遅れていたら、私はこの世に存在しませんでした」とレーゼルは2007年、私と最初のインタビューの折に語った。1949年、ドイツ民主共和国(DDR=旧東ドイツ)建国とともにドレスデンは旧ソ連を盟主国とする〝東側〟の社会主義圏に組み入れられた。レーゼルはモスクワ音楽院に留学、レフ・オボーリン教授のクラスでは同い年の野島稔と親しくなった(後に野島が仙台国際音楽コンクールのピアノ部門審査委員長に就くとレーゼルを審査員に招き、そこでもインタビューの機会を授かった)。


当時のDDRにはラフマニノフやプロコフィエフ、ストラヴィンスキーなどをバリバリ弾きこなせるピアニストがいなかったため、レーゼルは20代で同国を代表するヴィルトゥオーゾ(名手)として頭角を現した。クルト・ザンデルリンク指揮ベルリン交響楽団と録音したラフマニノフの「ピアノ協奏曲第1−4番」は現在、Apple Musicをはじめとする配信サイトでも簡単に見つかり、早めのテンポで颯爽と弾く若いレーゼルの魅力を再確認できる。


計画経済国家DDRではレコード会社もVEB(フォルクスアイゲナーベトリーブ=人民公社)のドイッチェ・シャルプラッテン1社だけで、カタログを厳格に管理していた。レーゼルには先ずロシア物、次いでブラームスのピアノ独奏曲全集が割り当てられたが、ベートーヴェンは主にディーター・ツェヒリン(1926ー2012)の担当で、レーゼル最初のベートーヴェン「ピアノ協奏曲」全集の録音(クラウス・ペーター・フロール指揮ベルリン交響楽団との共演)はDDR消滅(1990)をはさんだ1988ー1991年にようやく実現した。


ドレスデンのカール・マリア・フォン・ウエーバー音楽大学教授に抜擢され演奏と教育を活動の両輪とするなか、クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団をはじめ、DDRのオーケストラのツアーにソリストとして同行する機会はあっても、日本での単独リサイタルは〝西側〟亡命を懸念され、1970年代初頭に1度行ったきり。東西ドイツ統一後しばらく来日が途絶えたが、2002年にゲヴァントハウスの元コンサートマスター、ゲルハルト・ボッセが新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮する公演のソリストに招き、ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第5番《皇帝》」に圧巻の名演奏を刻印したのを境に復活した。


紀尾井ホールが単独招聘を決め、30年ぶりの東京リサイタルに臨んだのは2007年4月29日。ハイドンの第52番、ベートーヴェンの第32番、シューベルトの第21番と、ドイツ=オーストリア圏作曲家3人の「最後のピアノ・ソナタ」3曲を並べ、きりりと新鮮な感覚で引き締まり、作品の核心を一気につく迫真の演奏で客席を魅了した。以後、ベートーヴェンのソナタ&協奏曲の全曲、ロマン派の連続リサイタルを開き重ね、キングレコードが日本の内外で20点のアルバムを制作した。ベートーヴェンのソナタ全曲演奏会の1つに昭和〜平成の大ピアニスト、園田高弘(故人)の奥様で名プロデューサーの春子夫人を誘った折、ふと「大変に正統的で素晴らしいピアノだけど、〝閉ざされた世界〟に長くいらした方の演奏という印象を捨てきれないわね」と漏らされた言葉はある意味、当時のレーゼルのストイック過ぎる演奏の本質を突いていた。ツィクルスが前日のリハーサル、本番を編集したライヴ録音で制作されたことも、冷静で楷書体の演奏ぶりに拍車をかけたのではないかと思われる。


2021年10月13日。本来は前年の75歳の節目に企画された「ペーター・レーゼル フェアウェル・リサイタル」がコロナ禍の影響で1年延期され、来日後14日間の待機も経た上で実現した。プログラムは14年前の初回と全く同じ、3人の作曲家の最後のソナタ3曲。


先立つ9&10日には沖澤のどか指揮の読売日本交響楽団(読響)とベートーヴェンの「協奏曲第1番」も演奏している。42歳の年齢差があるピアニスト、指揮者そろっての読響デビューの批評は後日、「毎日新聞オンライン」に執筆する予定だが、しばらくぶりに聴いたレーゼルのピアノには、大きな変化が現れていた。もはや「DDRきってのヴィルトゥオーゾ」の気負いからも、「ベートーヴェンの正統的解釈」への緊張からも解き放たれ、愛する作品を十分な脱力とともに極め、時にハッとする遊びやユーモアのセンスも発揮しながら100%の自然体で弾く融通無碍の境地! 緩急のメリハリも大胆にとり、「ここぞ」の場面では輝かしいフォルテを何の不自由・不足もなく繰り出す。沖澤も「すべてが自然で、特別なことは何もしていないのに、どこまでも深く吸い込まれる音楽でした」と、感激を述べていた。


リサイタルの印象も、協奏曲の延長線上にある。14年前に比べると、テンポが総じてゆっくりめになり、大きな音と推進力でバリバリ弾き進める瞬間が消えた。それでも1つ1つの音が明確に発音され、「ここぞ」のフォルテは決める。がっちりした上半身が安定した姿勢を保ち、肩から腕、手へと無理なく送られる力が10本の指をきっちり支え、正確かつ強い打鍵を可能にする状態には、今も全く変わりがない。金属をハンマーで叩く打楽器というピアノの〝本性〟は見事なまでに隠され、木質の温もりを思わせる柔らかな響き、透き通るほどに美しい弱音、たっぷりと余韻を残す倍音が聴く者に大きな安らぎを与える。


ハイドン冒頭、堂々としたフォルテの第1主題がエコーの弱音に転じた瞬間の神がかり的な美しさや随所に挿入されるユーモラスな表情、ベートーヴェン第2楽章アリエッタの変奏が一歩ずつ天国に近づいていく感触、そのベートーヴェンを継承しながら、すでに死を超越したシューベルトが踏み入れた天国の様々な色彩の淡々とした描き分け。ものすごく情報量の多いピアノ・リサイタルでありながら、全く疲れを覚えずに聴き通せた一因は、レーゼルの「間(ま)」の取り方の旨さにある。あらゆるオブセッション(強迫観念)から解放され、心のおもむくままに音と響きを繰り出す営みの随所に、レーゼルは絶妙の「行間」を置く。それは人間国宝の歌舞伎役者とか、ドイツ演劇の長老俳優に匹敵する「語りの芸」だった。


東条碩夫先輩は「3人の作曲家の個性の違いを際立たせるというよりは、3人がある一つの特性━━いい言い方が見つからないが、たとえば『ヒューマニズム』といったものではないか━━で結びつき、一貫した音楽史の流れを作っていることを浮き彫りにしていたのではないかと思われる」と、すでに「コンサート日記」で指摘されたが、全くの同感。ペーター・レーゼルが過去の3人と自らを重ね合わせ、壮大なヒューマニズムのドラマを描いていた。


シューベルト第1楽章の繰り返しを省いたので本編は意外とコンパクトに収まり、アンコールを3曲もサービスした。シューベルトの「即興曲」作品142の第2番、ベートーヴェンの「バガテル」作品126の第1番と「ソナタ第10番」の第2楽章。さらに自由自在に歌い上げる〝レーゼル節〟全開となり、客席は総立ちになった。NHKが収録、後日放映する予定。


今回のフェアウェル。実はレーゼル自身ではなく、紀尾井ホールの意向が強く働いたものだ。ご本人は「ドイツと日本、両方のオーケストラとの協奏曲からソロ・リサイタル、室内楽、レコーディング、マスタークラス、コンクール審査…と、フルコースの活動を日本で味わいました。14年前のカムバック・リサイタルと同じ曲を弾く今回、1つの輪が完結したのは確かですが、先のことはわかりません」と今まで同様、ごく自然に構えている。来日後の待機中に音楽メディア「ぶらあぼ」の依頼で実現したテレワークインタビューでも「目下、コロナ禍で延期に追い込まれた公演のリスケジュールをこなしています」といい、明確な「引退」の言葉は出なかった。ある日また、ひょっこりと日本に現れるかもしれない。




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