新国立劇場がトニー・クシュナーの戯曲「エンジェルス・イン・アメリカ」を小田島創志の新訳、上村聡史の演出で上演している。私は3時間半の第1部「ミレニアム迫る」(1991年初演)を2023年4月18日、4時間の第2部「ペレストロイカ」(1992年初演)を4月21日に観た。
先ずは、あらすじを同劇場のホームページから転載する;
<第一部>
1985年ニューヨーク。
青年ルイスは同棲中の恋人プライアーからエイズ感染を告白され、自身も感染することへの怯えからプライアーを一人残して逃げてしまう。モルモン教徒で裁判所書記官のジョーは、情緒不安定で薬物依存の妻ハーパーと暮らしている。彼は、師と仰ぐ大物弁護士のロイ・コーンから司法省への栄転を持ちかけられる。やがてハーパーは幻覚の中で夫がゲイであることを告げられ、ロイ・コーンは医者からエイズであると診断されてしまう。
職場で出会ったルイスとジョーが交流を深めていく一方で、ルイスに捨てられたプライアーは天使から自分が預言者だと告げられ......
<第二部>
ジョーの母ハンナは、幻覚症状の悪化が著しいハーパーをモルモン教ビジターセンターに招く。一方、入院を余儀なくされたロイ・コーンは、元ドラァグクイーンの看護師ベリーズと出会う。友人としてプライアーの世話をするベリーズは、「プライアーの助けが必要だ」という天使の訪れの顛末を聞かされる。そんな中、進展したかに思えたルイスとジョーの関係にも変化の兆しが見え始める。
ロイ・コーン(1927〜1986)は実在のユダヤ系アメリカ人で最初検事、後に弁護士。反共主義者でローゼンバーグ夫妻を電気椅子に送り、「赤狩り」主導者マッカーシー上院議員の右腕となる。マッカーシー失脚後も闇社会やドナルド・トランプの相談役を務め、レーガン政権誕生にも暗躍した。自身の同性愛を否定しLGBTの権利獲得にも反対、病名を肝臓がんと主張したが、結局は男性関係に起因するエイズ(後天性免疫不全症候群)で亡くなった。
コーンを演じる山西惇はテレビドラマ「相棒」でも知られる名優。彼も含めた俳優全員が1人何役かを兼ね、膨大なセリフを機関銃のように放ちながら動き回り、上演時間の長さを感じさせないのは素晴らしい。ブライアー・ウォルター役がメイン(以下同)の岩永達也、ジョー役の坂本慶介、ルイス役の長村航希、ベリーズ役の浅野雅博、ハーパー役の鈴木杏、ハンナ役の那須佐代子、天使役の水夏希らはそれぞれモデル、舞台、劇団四季、宝塚…と異なるバックグラウンドを持ちながらも役になりきり、隙のないアンサンブルを築いている。
普段オペラ取材がメインだから、同じ劇場でも演劇の公演は観たいものだけ、自分で買って出かける。「エンジェルス・イン・アメリカ」に食指を動かされた理由は2つ。まず昨年公開のスティーブン・スピルバーグ監督映画「ウェスト・サイド・ストーリー」の脚本家であること、もう1つは描かれた時代の1980年代初頭。自分が生まれて初めて外国に出て、ホームレスとエイズの暗い時期のアメリカ合衆国で、健康産業(フィットネスやエアロビクス、サプリメント、在宅ヘルスケア、分離大豆タンパクなど)の出張取材に当たった時期と重なる。ロナルド・レーガン(1911ー2004)はもう大統領に就任していたが(1981)、まだ経済改革(レーガノミクス)の効果が現れる前だった。ニューヨークの街角の至るところにホームレスがたむろ、焚き火などをしていて怖かった。
ちょうどエイズが流行り出したタイミング、日本でも年齢より若く見られがちな私(当時24歳)は出発前、上司に「ゲイの男性から声をかけられたら危険だよ」と真顔で忠告された。エイズ=ゲイの病気という偏見が広まりつつある時期だった。やがて劇中にも出てくるアジトチミジン(AZT=現在は「ジドブジン=ZDV」の呼称が一般的)をはじめ治療薬が開発されてブライアーのようにHIVキャリアのまま生存する患者が増え、死病ではなくなった。ゲイ・イン・クローゼット(隠れゲイ)が結婚後自身のセクシュアリティーに目覚め、妻との関係に苦悶するといったジョセフ(ジョー)の担う状況も当時より緩和したはずだ。
ところが2023年の東京で、1980年代ニューヨークの〝近過去〟と対面した瞬間の思いは「変わった」ではなく「何も変わっていない」だった。LGBTQを取り巻く環境が「好転していない」と言えば嘘になるが、社会の奥深く打ち込まれた様々の差別コードは手を替え品を替え、新たな分断の果実を生む。2020年以降の世界は新型コロナウイルス(COVID-19)感染症の世界拡大(パンデミック)で再び分断の時期を迎えた。コロナより規模は小さいが、サル痘にはまたぞろ「ゲイの病気」という書き込みがネット上で飛び交っている。30年の間には4年間のフランクフルト駐在を通じ、「ベルリンの壁」崩壊からドイツ統一、旧ソ連解体までをヨーロッパ大陸の側から目撃、日本に向けて報道した時期もあった。ペレストロイカで自由主義社会に転じたかに見えた旧ソ連は「プーチンのロシア」となり、ウクライナへ侵攻。戦闘が長期化するにつれ、ヴェトナム戦争などの悪夢が蘇りつつある。
世界は進歩しているのだろうか? 差別意識はなくならないのだろうか? 自分が自分らしく生きるのはそんなに難しい、あるいは悪いことなのだろうか?--2公演7時間半に及ぶ壮大な「歴史絵巻」に巻き込まれつつ、大学を卒業して会社に入った時点(1981年)から今日までの自分に思いを重ねていた。単純な感動とは別の次元の深くて苦く、それでも何か希望につながる感触というか、不思議な気分に陥った。ジョーの坂本、もちろん素顔は遥かにイケメンだけど、舞台でメイクした時の横顔が若い頃の自分に妙に似ていて(錯覚?)、時々ギョッとする。演じるキャラクターがまたなあ…(苦笑)。ブライアーの岩永が最後に万感の思いを込め「生きる」への希望、意思を高らかに叫んだ時は自分もまた、ちょっとだけ晴れやかな思考を取り戻し「あと何十年も生きていたい」と考えた。本業の音楽批評ではないから客観性ゼロ、極めてパーソナルな感想文を書いた。これ、オススメの芝居です!
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