NHK交響楽団2020年11月の演奏会は2人の若手指揮者を起用。1992年生まれの熊倉優がNHKホール、1985年生まれの原田慶太楼が東京芸術劇場、サントリーホールのプログラムを分担する。先ずは熊倉の初日、11月14日を聴いた。昨年のチャイコフスキー国際音楽コンクールで第2位を得た1998年生まれのピアニスト、藤田真央のN響デビューでもあり、客席の平均年齢は定期公演休演中で高齢者激減のN響演奏会にあっても、目立って若い。
16歳で指揮よりも早く作曲の勉強を始めた熊倉は桐朋学園大学音楽学部も作曲専攻で卒業している。2018年に第18回東京国際音楽コンクール〈指揮〉で第3位に入った時点から定期的に聴いてきたが、スコア(総譜)の特定箇所への興味が強過ぎる場合にテンポが落ち、なかなか元に戻らない〝分析(アナリーゼ)おたく〟ぶりが1回の現場経験を踏むごとにセーヴされ、コンサート指揮者のグルーヴ感(ノリ)を身につけてきた。幸い、作曲を学んだ蓄積は音楽史や構造を踏まえたプログラミングに現れ、ごく普通の名曲コンサートでも筋を通す姿勢は素晴らしい。
今回はメンデルスゾーンが指揮者としてJ・S・バッハ《マタイ受難曲》の歴史的復活演奏を成功させた年、1929年のスコットランド旅行中のヘブリディース諸島で霊感を得た「序曲《フィンガルの洞窟》」、翌1930年のイタリア旅行中に作曲を始めた「交響曲第4番《イタリア》」の2曲を両端に置いた。メンデルスゾーンに影響を受けたシューマンの「ピアノ協奏曲」で藤田のデビューを盛り上げた後、後半の開始にはバッハの「コラール前奏曲《おお人よ、おまえの罪に泣け」のレーガーによる弦楽合奏版をはさみ、バッハ〜メンデルスゾーン〜シューマン(〜ブゾーニ)のドイツ音楽史を鮮明に浮かび上がらせる趣向だ。
藤田のピアノはいつ聴いても生命の輝き、俊敏な運動神経、思わずハッとさせる即興的感性などに満ち、聴く者を瞬間で惹きつける。新しいレパートリーのシューマンの協奏曲も全面的に「真央カラー」で染め上げ、1度も緊張感を途切れさせずに弾き切ったのは天晴れだ。
半面、この大胆不敵の縦横無尽が許され、才能の器を絶賛されるのは今だけであり、管弦楽との音量のバランスや駆け引き、熊倉がプログラミングでみせたような音楽史や構造の視点が備わらないと、ただの野生児として異端に追いやられてしまうリスクが次第に高まる。第1楽章の冒頭、劇的な序奏の後に先ずオーボエが奏で、ピアノに受け渡す超有名な第1主題を藤田は、今まで誰も試みなかったほど極端なピアニッシモで弾き、客席の度肝を抜いた。第3楽章でも何箇所か、このスビトピアーノ(急激に音量を下げた瞬間的な弱音)を試みていた。確かに詩的な繊細な感性の発露であり、シューマン解釈の許容範囲を逸脱するものでもない。座席数800の紀尾井ホールでのソロ・リサイタルなら、高く評価されるかもしれない。だが、最大3,800人収容のNHKホールでフル編成のオーケストラと共演する場合には、音量バランスや管弦楽との解釈の一致において、少なからぬ問題が生じる。この辺の〝さじ加減〟もまた、今後の現場体験の積み重ねのなかで、うまく掴んでいってほしいと思う。
熊倉の指揮。《フィンガル》では徐々に入り込み、テンポが落ちる癖が顔を出したものの、協奏曲で活が入り、後半で現時点での本領以上のポテンシャル(潜在能力)を発揮した。バッハのコラール編曲を敢えて近代のブゾーニとして、メンデルスゾーンの先見性に敬意を表しつつ、《イタリア》のポテンシャルも、通例以上の「大きな音楽」として再現した。管楽器の首席指揮者たちのソロの妙技もさることながら、ゲスト・コンサートマスター白井圭をはじめとする弦楽セクションも全身弾きで、熊倉から最上最良の音楽を引き出していく。楽員の世代交代に成功したN響の平均年齢は目下、東京都内のオーケストラ中でも2番目か3番目に低く、実態は若い音楽家の集団だ。28歳の指揮者、22歳のピアニストとの出会いにオーケストラ自体も若く熱狂的なエネルギーを爆発させ、N響新時代を目の当たりにした。終演後に出くわした先輩指揮者の山田和樹が熊倉を評価し、「《イタリア》の第4楽章をああいう風に振るのを聴いたことないし、素晴らしいです」と話していたのが印象的だった。
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