• 池田卓夫 Takuo Ikeda

恩師の尾高惇忠に捧げた広上淳一指揮のN響、白井圭のヴァイオリンが花を添え

最終更新: 5月27日


2021年5月のNHK交響楽団演奏会の最後はサントリーホールで広上淳一の指揮。26日の初日を聴いた。プログラムを接写した写真、広上の経歴の書き出しに注目していただきたい。「尾高惇忠にピアノと作曲を師事、音楽、音楽することを学ぶ」とある。前半はよくある表記だが、後半の「音楽、音楽することを学ぶ」は滅多にない。今年2月16日に76歳で亡くなった尾高の曽祖父はNHK大河ドラマ「青天を衝け」主人公の渋沢栄一、その従兄で同姓同名の尾高惇忠の2人。父はN響の「尾高賞」に名を残す作曲家で指揮者の尾高尚忠、母はピアニストの尾高節子、弟がN響正指揮者で大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督の尾高忠明という物凄いファミリーの一員だ。東京藝術大学音楽学部とパリ音楽院で作曲を学び、早くから才能を注目されたが、自己に厳しい寡作家で、教育活動に大きなエネルギーを注いだ。指揮者では広上のほか堀俊輔、鈴木優人らが惇忠門下といえる。


広上は5月のN響演奏会のメインに尾高の「交響曲〜時の彼方へ〜」を据えた。東日本大震災被災直後の2011年9月23日(秋の彼岸だ!)、弟の忠明が仙台フィルハーモニー管弦楽団を指揮して初演、2012年度の第60回「尾高賞」を受賞した。N響のプログラム冊子「フィルハーモニー」に野平一郎氏が書いた楽曲解説によれば、「作品の最後で鐘が8回ピアニッシモで神秘的に鳴らされることで、実はこの作品全体が初演の年に起こった東日本大震災への『祈り』(作曲者の言葉によれば『現代社会への不安』)であり、各場面がさまざまな人間の営みを象徴したものであったことが明らかとなる」という。循環形式を用いた3楽章約35分の楽曲はフランクからパリで師事したデュティユーに至るフランス管弦楽や教会オルガン音楽の伝統を継承しつつ、尾高独自の日本的な音世界を究めた傑作である。野平氏や今夜たまたま隣席に座った朝日新聞社編集委員で東京藝大在学中、尾高に作曲を学んだ吉田純子さんが「緻密なエクリチュール(和声や対位法などの音楽書法)の達人」と振り返ったのも頷ける、無駄なく息の長いフーガをはじめ、強い集中力で聴く者を惹きつける。変拍子の連続などで演奏は至難を極め、広上渾身の指揮とN響の技量をもってしても乱れは生じる。それでもチェロの辻本玲ら首席奏者の卓越したソロを交え、最上の追悼演奏に実った。


今年5月のN響は3つの演奏会それぞれで首席奏者の妙技に光を当てた。5月15&16日のサントリーホール、尾高忠明指揮では辻本だけでなくハープ、木管、金管の首席が協奏的作品のソロを担った。21&22日の東京芸術劇場で原田慶太楼が指揮した南米作品も「管弦楽のための協奏曲」的色彩を帯び、首席たちが次々と妙技を披露した。今回は昨年4月からゲスト・コンサートマスターを務める白井圭がサン=サーンスの「ヴァイオリン協奏曲第3番」を独奏した。パリで学んだ尾高の交響曲の前にくる協奏曲も「フランス音楽で」と広上が考え、白井のレパートリーと突き合わせた結果だろうか? 作曲家没後100年の節目でもある。たまたま前週、辻彩奈が井上道義指揮東京都交響楽団と共演したのと同じ作品だが、ソロの持ち味は驚くほどに異なる。骨太で冷静、それでいて、いつしか客席を熱狂に引き込む白井のヴァイオリンには強い個性、説得力があった。アンコールはドントの「《24の練習曲と奇想曲》作品35の第23曲」。チャイコフスキーで渋いソロを奏でたコンサートマスターの篠崎史紀を筆頭に、凝った選曲を闊達に奏でる白井を見守る同僚たちの温かく楽しそうな眼差しも素晴らしく、本当に「N響は本当に変わった」と実感する。広上の指揮は井上に比べると色彩感、リズムとフレーズの弾力性がやや不足するように思えた。


広上には自身の内面に抱く思いを、1曲の小品に託す傾向がある。敬愛する名演奏家の死に際してはシューベルトの「《ロザムンデ》間奏曲」、失恋など青春時代の記憶にはグリーグの「過ぎにし春」…といった具合。今回は冒頭にチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」(「弦楽四重奏曲第1番」第2楽章)の弦楽合奏版(クラーク・マカリスター編)を置いた。しみじみと美しい響きに浸りながら、広上が恩師尾高に寄せる思いを直感した。


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