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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

岡田博美と若林顕、至芸のピアニズム


週末と「勤労感謝の日」の月曜日までの3連休に岡田博美、若林顕と「おじさんピアニスト」2人のリサイタルを聴いた。若いころから傑出した存在だったが、ピアスニズムは至芸の域まで磨き抜かれ、プログラム全体と個々の楽曲の設計も周到、熟した解釈で魅了した。


1)岡田博美(2020年11月21日、東京文化会館小ホール、ピアノ=ハンブルク・スタインウェイ)

J・S・バッハ「フランス組曲第5番」

ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第23番《熱情》」

シューベルト「楽興の時」

ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第31番」

アンコール:ベートーヴェン「エリーゼのために」サン=サーンス「左手のための練習曲」


2)若林顕(2020年11月23日、東京芸術劇場コンサートホール、ピアノ=ヤマハCF-X)

ラフマニノフ「楽興の時」から「第1、2、3、4番」

シューマン「幻想曲」

ラヴェル「水の戯れ」

ショパン「24の前奏曲」

アンコール:チャイコフスキー「ノクターン」、ラヴェル「ソナチネ」第2楽章、リャードフ「オルゴール」、アブラハム・チェイシンズ「香港のラッシュアワー」、ヘンリー・マンシーニ(服部隆之編曲)「ムーンリバー」

両者に共通する楽曲名は「楽興の時」。岡田はシューベルト作曲で、生誕250周年のベートーヴェンを軸に「以前」のバッハ、「以後」のシューベルトを置く構成。若林はラフマニノフを起点に、ピアノ演奏におけるヴィルトゥオージティ(名技性)の系譜をたどる趣向だ。

岡田は「フランス組曲」を端正ながら味わい深く弾いたが、「熱情」では一転、阿修羅のごとく激しくハイテンションの打鍵で最強音が濁るのもいとわない。「どうしたのだろう?」と思ったが、休憩後のシューベルトで慈しみに満ちた新境地が広がり、作品110のソナタでは「熱情」の対極にある静謐な浄化の世界を描いた。ベートーヴェンが本来はシューベルトに託すはずだった音楽の遺言を中期、後期のソナタの対照的な再現でくっきり浮かび上がらせる、頭脳派のプログラミングに基づく確信犯の「熱情」であった。現代最高レベルの表現テクニックを駆使して18世紀から今日までの切れ目ない音楽の営みを俯瞰しつつ、21世紀の私たちに明日の希望を託すーー一途さは「エリーゼのために」まで浸透した。サン=サーンスの小粋な小品を終えて楽器の蓋を閉じるユーモアまで、一貫してプロの仕事だった。

若林はラフマニノフのロシア的情感、シューマンの男女愛それぞれのロマンの奔流を起点にラヴェルの「水」、ショパンの「雨だれ」、アンコール最後の「ムーン・リヴァー」の着地に至るまで、水あるいは人間感情の「流れ」を〝隠れテーマ〟に設定していたと思われる。卓越したテクニックでバリバリ弾くイメージは影を潜め、じっくりしたテンポで音楽の内面にどこまでも深く深く降りていき、作曲家の人生、そこから生まれた音たちとの濃密な会話を繰り広げる。倍音の余韻までたっぷり、ピアノの音を響せ、自らも耳を傾ける風情だ。シューマンの第1楽章で私の意識は遠のき、精神の真空地帯をしばらく彷徨った後、再び若林の独特なフレージングで伸縮するシューマンのライヴ演奏に戻ってきた。第3楽章の官能世界は濃密。それをラヴェルの玲瓏(れいろう)な音たちで洗い落とした後、ショパンでは24編のドラマのミニアチュールを最大限の振幅で再現した。ヤマハの楽器の図太い低音と煌めく高音の組み合わせも、若林の硬派のアプローチに合致していた。

どちらも、世界のどこに出しても賞賛されるだけの高い水準に達していた。ピアニスト自身が主役になることを自ら厳しく戒め作品の下に潜り、音楽にすべてを語らせる自然体に、それぞれの円熟を実感する。岡田が62歳で若林が55歳。さらなる進化&深化が期待できる。

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